2014年

3月

12日

パパと猫を東京に残して引っ越してきました。

 

わたしはママと二人で福岡に、パパと猫を東京に残して引っ越してきました。

ママは産地を聞いて安全なものを食べています。

原発(事故)がなかったらな。

なければなんでも食べられるのに。

もっとお魚が食べたい。

震災前の缶詰を時々食べています。

お鮨の美味しさは分かりません。

小さい時はお刺身が食べられなかったから、納豆巻きと玉子とかっぱ巻き以外食べたことがありません。

シラスご飯が大好物だったとママが言うけど、味はもう覚えていません。

福岡はお友達もできてとっても楽しいけれど、大人になったら仲良しのお友達と東京に遊びに行きたいです。

パパのお家に泊まってスカイツリーに登ったりディズニーランドに行きたいな。

ディズニーランドは、子供のうちだったらプリンセスのドレスが着れるのに。

でも今は東京には全然帰っていないから行けません。

だけどいつかは絶対東京に遊びに行きたいです!

東京はとても楽しいところです。

福岡も楽しいけれど、どっちも楽しい。

だからいつかは東京にも帰ったり遊びに行ったりしたいです。

 

 

(匿名/6才女の子/東京→福岡)

 

 ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

12日

どうして原発があるのかしりたい。

 

 

わたしは、3年まえにだいしんさいがあってひっこしてきました。

わたしは、やっぱり原発は、いやだなと思いました。

どうして原発をつくるんだろうか?とおもいました。

東京のほうが、わたしとしてはにぎやかでいいし、ともだちもいっぱいいるし、ほいくえんのときずっとちいさいときにいっしょだった先生がいたからです。

原発(事故^^)がおこったからひっこししなければならなくなりました。

 

 

(Saya/8才/福岡在住)

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

10日

私はこう思うと発する影であの人が傷ついてやしないかと

3年

言葉になりません

3年たった自分の思いをどう言語化してよいのか。

1度口火をきったらたくさんの迷い、とまどい、葛藤、ありとあらゆるマイナスの

感情がでてきてしまうのではないかと。

 

私はこう思うと発する影であの人が傷ついてやしないかと。

そしてこう思うことで自分も。

 

子どもたちの笑顔に影を落とす選択は私はしません。

私は子どものため、私のために、笑顔でいる時間を増やしました。

罪悪感も伴いながら。

その重石を減らすために、どうしたらよいのかと考え続けました。

 

変わらず笑顔でいる人に、あなたは何を考えているのですか?

疎遠になってしまった友人に、今は何をどうしていますか?とたずねたい。

 

被害者意識はとうに捨てました。

私は世の中の思い描く被災者・避難者像に答えるのはやめました。

 

同情も重いが、あなたとは違うから、という突き放さ方もさみしかった。

 

人生は選択の連続だと言うけれど、前に進めているのでしょうか。

 

 

友人の顔、家族の顔を想い描きながら、元気でいてくださいと思います。

 

いろんな感情が噴出しますが、それでも私はすべては幸せに向って

つくられていると思っています。創っていけると。

 

3年間よくがんばりました。

支えてくれた方々、仲間たち、地球、すべての存在たちに感謝をこめて。

 

幸せでいてくださいね。

 

 

 

(E.Y 311後宮城県から移住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

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2014年

3月

07日

電気が足りなければ足りない分我慢すればいいと思うから。

 

 

僕が小学生になる少し前に原発の事故がありました。

地震と津波で沢山の家が壊れて、原発も壊れて怖いなと思いました。

でも、僕の住んでる所はそんなことはなくてよかったなと、僕は思っていたと思います。

お父さんが、原発なくさなアカンと言ったことを、どうしてなのか分かりませんでした。

おじいちゃんやおばあちゃんは、電気が足りなくなるから原発はいるんだよといっていたからです。

 

僕はゲームが好きです。

そのゲームをするのにも電気がいります。

だから、電気が足りなくなるのは嫌だなと思ったら、原発はいるんじゃないのかなとお父さんに話ました。

 

お父さんは、放射能の話をしてくれました。

放射能を浴び続けると病気になって大好きなゲームも出来なくなるし、友だちとも外で遊べなくなることをききました。

それと、原発が壊れたところに近い場所は子どもが外で遊んだりすることも出来なくなっているときいて、可哀想だと思いました。

 

どこかの原発でまた、事故があったら遊べるところがなくなってくるし、病気になる人が増えるんだと思うと、なくていいかもしれないと思いました。

 

電気が足りなければ足りない分我慢すればいいと思うから。

病気は我慢すること出来ないから。

 

いろんな事をお父さんからきいて、いろんな事を考えるけど、まだ本当はどうしたらいいのか分からない。

 

だから、もっと勉強してどうしたらいいのかをお父さんやお姉ちゃんと考えていこうと思う。

 

 

 

 

(清貴くん/小3/愛知県在住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

05日

ママは原発いりません~4年目のメッセージ~ 4

原発事故から3年。

事故直後、私は幼い娘を連れて遠く福岡まで母子2人で避難し1年を過ごしました。

 

思えば、あの事故が起きてからずっと私は何かに怖れていました。

放射能で子どもが病になったら…

原発がまた事故を起こしたら…

大地震がまた起こったら…

そんな怖れがいつも心のどこかを占領していたのです。

 

私の福岡での1年はママ原と共にありました。

大好きな仲間との活動は私を助けてくれたし、本当に充実した時間だった。

だけど、いつもどこか悲しくて苦しかった。

それは私が怖れに支配されていたからだった。

怖れから逃れるために、何かから自分を守るために、私は原発はいらない。放射能は危険だ。と声を上げていたのです。

 

事故から1年後、主人の赴任先の離島へ家族で移住し、島で家族や周りの人たちと関係を丁寧に築いていく暮らしの中で、私はそのことに気づいたのでした。

そして、怖れからではなく、自らの心で全てを選びとる、自由な生き方をしようと決めたのでした。

 

 

よい意見だなと思うから賛成する。

キレイな米や野菜が食べたいから選ぶ。

自然エネルギーの電気で暮せたら素敵だなーと思う。

好きだから選ぶ。

やりたいから選ぶ。

そう決めたから選ぶ。

決めたからには自分で責任をとる。

そんな風に生きていこうと決めました。

 

怖れの支配から解かれると、自分がとてもニュートラルな状態になりました。

そうなると、不思議と自分の歩いて行きたい道が見えてきたのです。

 

今、私はある自然療法のセラピストとして仕事をしています。

今後は関東を中心に活動し、いずれは関東、東北の病や障害を持つ子どもへのセラピーを専門にしていきたいと考えています。

 

私の選んだ道です。

もう悲しくも苦しくもない。

ただ未来へと歩んで行くことにわくわくしています。

 

 

私は、その未来には、今と変わらず子どもたちの笑顔があると信じているのです。

 

 

 

(ママ原メンバー/4歳児母/離島在住 4月から千葉へ移住予定)

 
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2014年

3月

04日

子どもたちの声 

もうすぐ3月11日です。

東日本大震災が起こって3年。

原発が危ないものだと分かってもうすぐ3年が来ます。

 

私は3年前は小学校の3年生で、もうすぐ4年生になるというところでした。

その時は、『原発が爆発して怖いな』と思ったけれど、その怖さもすぐになくなってしまいました。

それは、周りの友だちもそうだったからです。

家族の中で、お父さんだけが『原発は安全じゃなかったんや、原発なくさなあかん』と私や弟に話してましたが、どうしてなくさなければならないのかが私にはわかりませんでした。

 

1年ぐらい過ぎた時に、私の学校に転校生が来ました。

福島県の近くから避難してきたと話してくれたとき、私は『避難しなきゃダメなくらいなのかな?』と疑問を持って、お父さんにその話をしました。

お父さんは、放射能のことを簡単に教えてくれました。

そして、福島やその周りの人は放射能を私たちより多く浴びて体が悪くなっていくかも知れないから早く避難して欲しいと真剣な顔で話してくれました。

避難してきた友だちに、その話をすると『私のおかあさんも言ってた、体が悪くなる前に逃げようって』

その時はじめて、逃げなきゃならないくらいに怖いものなんだとわかった。

 

そして、原発いらないと言うお父さんと一緒にいろんな事を調べたりして友だちにも話したりして、みんなで電気のこととかエネルギーのことを真剣に考えてきた。

そして、放射能の汚染に苦しむ人がこれ以上増えないようにどうすればいいのか大人も子どもも一緒に考えていかないとと今も考えて考えて、悩んで悩んで、それでも、わからなくてわからなくて…

 

中学生になればもっと分かるかな?

もっと考えられるかな?

 

私の3.11は現在進行形です。

お父さんと一緒に原発いりませんです。

 

(絢音ちゃん/小6/愛知県在住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

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2014年

3月

02日

ママは原発いりません ~4年目のメッセージ~ 3

 

 

あの日から、311から3年かぁ。。。

311という言葉を目や耳にするたびに、後悔で押しつぶされそうになる。
なぜ私は 東京という汚染地に4ヶ月も留まってしまっていたんだろう。
目の前にいた子と、お腹の中の子を被曝させてしまった。

その後悔がキッカケとなって、色々な事を知った。
本当に色々な事を。
生きているって、元気で笑っていられるって 当たり前じゃない。
やっと気づけた。

その時・瞬間・刹那の小さな奇跡がいくつも重なって、そういられる。

私が避難してきたのって、子ども達の小さな奇跡を守るためだったのかもなぁ。と考えると妙にシックリくる。

私は 子ども達が、より多くの小さな奇跡を起こせるようサポートをしていこう。
自分自身を見失わないよう、しっかりと前を見て 背筋をピンと張って。



この子達の 1番のサポーターは、母親の私だから。
覚悟はできてる。
覚悟ができてるから、図太く今を生きてこう。

そして、子ども達が 小さな奇跡を起こしている間に、次の一歩を踏み出す覚悟もしてこう。
一歩踏み出したら、また手をあげてみよう。

そうやって、私達は生きていく。
捨てた土地にも人にも振り返らない。


ただ姿勢よく 前を見続けるんだ。

 

 

(ママ原メンバー/1才、3才男児母/東京より母子移住)

 

 

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2014年

2月

27日

ママは原発いりません ~4年目のメッセージ~ 2

原発事故から3年、事故直後と違い、原発による避難者も多様化してきました。


家族の理解が得られず汚染地に戻る人、離婚する人、転勤で家族揃って移住する人、海外へ行く人。

 

未だに避難できず苦しい思いをされている方もたくさんおられると思います。

 

私個人としては、今は避難ではなく移住として生活を確立する時だと感じています。


 

3年経った今でも、日本人が福島の事故から学ぶことは、まだまだたくさんあると思います。

 

原発は必要か?必要ないのか?

 

必要ないならどういったエネルギー政策を考えていけば良いのか?

 

これから先も続いていくであろう被曝についてどう考えるか?

 

都知事選でも脱原発が争点になったように、個人個人が調べて考え、意見を持つ必要があるのではと思います。

 

なんとなく他人事と思っている人もいるのではないでしょうか?


事故は収束とは程遠いのに放射能を気にする人は少数派だし、原発や政治について気軽には話せない雰囲気が日本にはあります。

 

でも、人任せではなく自分達の意見で変えていかなければという危機感を持つ人が少しでも増えるように、一お母さんとして伝えることを続けていきたいと思っています。

 

子ども達へ負担を残さないで済むような未来が選べるように祈っています。


 

 

(ママ原 メンバー/3才男子母/2011年6月より 福岡へ母子避難) 

 

 

 

 

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2014年

2月

19日

ママは原発いりません ~ 4年目のメッセージ ~

 

3.11 から3年が経とうとしている。
もの凄いショックから、ようやく日常生活を取り戻しにかかっているこの頃ー
 
あの大きな地震、東京でも立っていられないくらいに感じた揺れ、テレビ映像で見た全てをのみ込んでいく津波、
しかし今思えば、何よりも私にショックを与えたのは、福島原発事故に対する日本政府の対応、そしてそこから知ることになった社会の構造だった。
 
水俣からも学んだ。政府は一度でも、”魚が水銀に汚染されているから、食べるな” と伝えたことがないと。
 福島の友人から学んだ。国は決して助けてはくれない、と。
 
 
じゃあいったい、毎度テレビで、”国民の皆さんのために” を繰り返しているあの政治家たちは一体何なんだろう?
 政治を、この社会のシステムを、変えなくちゃどうにもならないことに気がついた。そんな人が沢山いる。
 
 
 
人は皆それぞれの立場にいる、誰も悪かろうと思ってやってきている訳じゃないんだろう。相手の立場に立ってみる、言うのは簡単だけど、難しいことなのかもしれない。
私たちは愛を持って歩みよらなくちゃいけない。
 

"和” を信じて。”愛” を持って。
 
LOVE is The Movement!
 
この言葉の意味が解りかけてきたこの頃。
 
 
 
(ママ原メンバー /小学2年母/2011.3.13 東京より福岡へ一時避難。後に福岡へ移住)
 
 
 
 
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2013年

7月

17日

選挙フェス ☆ 政治をマツリゴトに!

 

緑の党 グリーンズジャパンから、全国比例区に推薦候補として出馬中の三宅洋平氏☆


自分で選挙に出てみてー
わかったんだよね、何にもしないで文句ばっかり言ってたってこと。
1票なんてね、紙に名前書いただけだよ。
票を入れた人が、公約を達成できてなくて、あの人困ってるんやろな、って思ったら、
その人の事務所まで行って、わし、今日暇じゃけん、手伝えるぞってー
言いにいける人が、どれだけ俺の後ろにいるか?が、おれの政治力になるんよ。  (選挙フェス・福岡にて)


そう。
応援してます!って言ってくれる人はたくさんいて、実際1票も入れてくれるんだろうけど、でも、足をわざわざ運んで、手伝うよ! って自分から来てくれる人、圧倒的〜に少ない。


みんな仕事もあるし、家庭もあるし、こどもも小さいしで、忙しいのは承知です。


でもね、みんながちょっとずつ無理する、背伸びする、参加する、そうしないと、わたしたちの願いはやっぱり政治には届かないー んじゃないかと思う。


今までと同じことしてたんじゃダメなんだよね。


だって、自民党の街頭演説、見てみなよ。 あの人の集まり方。もちろん、いろんな利権も絡んでいるでしょう。

でも、人をそれだけ拘束できる時点で、すでに私たち勝ててないんだよね。
私たちができることは、やっぱりつながっている人たちが、少しずつでいい、
ちょっとずつでいいから、時間をさいて、1人2〜3回くらいは、何か手伝いに ”絶対” 参加する、くらいの気構えがないとさ。。



でも、皆、とにかく、まずは、選挙へいこう!


以下、ひさしぶりにシビレタ三宅さん情報です♡ 

★【ナマ中継】の簡単な探し方http://t-proj.com/twitter/?q=三宅洋平…上記 Twitter 検索で出てくる三宅洋平ツイートの中から、USTやツイキャスのリンクをクリック!
◆選挙フェス スケジュールhttps://miyake-yohei.jp/schedules/…投票日までの予定が確認できます
◆選挙フェス タイムテーブルhttps://miyake-yohei.jp/category/活動報告/…当日の予定がUPされています

◆1ページでわかる 三宅洋平http://ym.aso3.jp/…三宅洋平を知らない人、もっと知りたい人、友人・家族に知らせたい人におすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年

4月

15日

ママは原発いりません 愛知・岐阜  立ち上がりました!

ママは原発いりません 愛知・岐阜 の発起人、杉本さんからメッセージを頂きました。(杉本さんはパパです!) 

広がれ広がれ! わたしたちの輪〜っっ♡

 

 

 

ののこさんの『100人の母たち』を知って初めてママ原の存在を知りましたが、私の想いと同じではないかと胸を打たれました!!

そして、愛知・岐阜で立ち上げるならママ原しかないと思ったのです!!

偶然の出逢いが私の気持ちを大きく動かしました!!

もし、この出逢いがなかったら、もしかしたら私は何もせず沈黙していたかも知れません!!全国のママ原メンバーへ是非、メッセージということでML掲示板にも書かせて頂きましたが…

 

初めまして、愛知県在住、看護師をしています。

この度、『ママは原発いりません愛知・岐阜』を許可を頂きまして立ち上げる事になりました。

愛知・岐阜に於いては、原発問題は風化し始めてその他の問題も対岸の火事のような感覚を多くの方が持っておられるようです。岐阜県土岐市の核融合実験施設建設も小さな市民運動はありましたが、多くの市民が内容も詳しく説明されず、『安全』だという言葉を信じて近隣3市は許可を出し県も追認してしまいました。

放射性物質は核融合によって生まれます。そして、それは人体に悪影響をもたらすこと、子どもたちにとって健康(生命)を脅かすものだということが現実のものだと思っていないのです。

そのような事が福島のような悲劇を繰り返すこととならないように、何とかしたいと…そして、たどり着いた答えが『ママは原発いりません愛知・岐阜』の立ち上げをして、福岡・秋田・鹿児島と共に想いを一つにしてネットワークを広げて行こうということでした。


現在立ち上げメンバーを選定して活動準備をしているところですが、FBページに『ママは原発いりません愛知・岐阜』を作成したところ、1日で100名以上の方がいいねを押して頂き、ママ原として活動する事に間違いはなかったと確信しました。

今後とも連携をとりながら想いを一つにしてネットワークを広げていきたいと思います。今ここで暮らす私たちと、被災地に暮らす人たちの「心」をつなげ、ともに未来を考えていきたいと思っています。

 

『ママは原発いりません愛知・岐阜』では、子どもたちを守る為の勉強会、情報交換会、また各種団体と連携をとりながら明るく住みよい未来となるような活動(プロジェクト)などを行っていく予定ですので宜しくお願いします。

 

 

どうぞよろしくお願いします!

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2012年

12月

05日

原発事故 こども被災者 支援法 福岡フォーラム

今年6月に成立した、「原発事故子ども・被災者支援法」をご存知ですか?

福島原発事故の被害者救済に熱意をもつ議員さんたち、被災者・支援者たちの努力によって成立した、画期的な法律で、その基本方針が来年1月までに決まる予定です。
原発事故から1年8か月が経ちますが、放射能汚染に苦しむ地域の住民も、避難した人々も、ほとんど何の国の支援を得られないままにいます。


避難・移住したい。故郷で暮らしたい。
それぞれの選択が尊重され、かつ生活再建の支援が受けられる。
健康確保のための検診や医療費減免なども整備される。


本当に必要な支援を実現するために、この法律について学ぶ、
 「原発事故子ども被災者支援法 福岡フォーラム」が去る11月21日に、同ワークショップが11月29日に催されました。


第一部で講演された、河崎健一郎弁護士は、
福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(Save Fukushima Children Lawyer's Network: 通称 SAFLAN) の共同代表。

SAFLAN は、避難区域外の地域であっても「避難の権利」が認められるべきである、という前提にたち、同法の立法、またその基本方針を具体化していくにあたって、並みならぬご尽力をされてきました。

第ニ部は、専門のファシリテーターの方による、ワールドカフェ形式のワークショップ。 ”本当に必要な支援は何か” を参加者全員で考えました。
”法律” というと、わたしたちは、政府のせいにしたり、
政治家がつくるものだと捉えがちですが、この法律は、わたしたちの声を届け続け、
実のあるものにしていかなければならないー 
自分たちが参加してつくり、活用していくものなんだ、ということを学びました。
どうもありがとうございました。

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2012年

10月

22日

宮脇昭先生の講演会へ行ってきました。


”人は太古の昔から、木を切り、森を食いつくし、そしてその文明は滅びてきたー”

植林の権威、国際的な生態学者であられる宮脇先生のお話は、メソポタミア、エジプト、ギリシャなどの古代文明に遡って始まりました。

ジブリのアニメや、何かの映画や物語で見たことのある、地球上の緑がなくなりつつあることへの喚起。文明という名の狂気が緑を焼き払った灰色の世界。
そんなメッセージを含んだ絵を、幾度となく見たように思うし、それが現代社会に警笛を鳴らしているものだということも知っていたけれどー


今日本には、そして世界にも、その土地古来の森、というのは殆ど残っていないそうです。
砂漠の3分の2は、人によってつくられたもの。 芝生の公園、 白砂青松と愛でられる海岸線の松林、これも土地古来の森を破壊してつくられた。松林は、海岸にあるものだとばかり思っていたけれど、、(そうではなかった〜)

日本の山々をうめる、人間が材木を生産するため人工的に造林したスギやヒノキなどの針葉樹は、人が手を入れ続けなければ維持できない偽物の森、その管理費なんと2億2千万。そしてほんの1年補償、だそうです。

先生が植えるのは、9千年保つような命の森。その土地本来の木々から成る森は、自らを育み、火事、地震、津波などの自然災害に耐える力を持つ。私たちはその土地古来の生態系を ”鎮守の森” に見ることができるそうです。

”まず、木を植える” 
考えているだけじゃ、20年何も変わらない。まず、木を植えれば、20年後には大きく育っている。

”やりながら考えなさい” と先生はおっしゃいます。
今できることを明日のためにやっていく、それが生きがいである、と。
健全な人間社会をとり戻す為に。

”とにかく、木を植える”

すごいと思いました。地球を本物の緑で覆いなおすこと、それを実践されているのです。


そして、改めて知りました。ジブリや、いつか見た映画や物語が、発信してくれていたことは、絵空事ではなく、私たちのすぐ足下にある問題だったんだなと。

 

 

大変遅くなりました(汗)が、レポ−ト提出いたします。

 

ミトン

 

 

 

 

 

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2012年

9月

22日

嬉しかったこと

こんにちは。昨日、かなり嬉しかったことがあり、メールします。 

 

昨夜、実家の食卓で、たまたま会話の流れから父親に「ママ原ステッカーをうちの車に貼ってほしい。」と言いました。我が家で主に車を使っているのは父親なので、勝手に貼るのは絶対面倒なことになるということと、たぶん貼ってくれないだろうとの思いから、今までずっと言えずにいたのです。 

 

父親は、わたしがママ原に参加していることや、脱原発デモなどに参加していることは知っていたけど、今まで面と向かってそういった話をしたことはありませんでした。でも、昨夜はなぜだか言ってみようという気になり、ちょっと勇気を出しました。すると案の定、「ダメだ。」と言われました。

 

父親は、心の中では原発はないほうがいいと思っていたけど、特になにか行動するわけでもなく。たぶん、今の世の中で会社や組織で働く大多数がこんな感じの人なんじゃないかなというかんじ。ステッカーを貼らない理由は主に、今の仕事での立場上そういったことは出来ない、ということでした。 

 

わたしは納得できなかったので、その後、とことん父親と話をしました。なんでわたしがママ原で活動しているのか。自分がどんな気持ちで活動しているのか。活動していく中で、感じたこと、考えたこと。話は多岐に渡り、自分が今後進もうとしている生き方について・・・。 いろいろなことを話して、自分なりに気持ちを伝えました。

 

最終的に家族だからといって、個人の気持ちは説得できるものではないし、百人いれば百通りの考えがあるとわたしは思っています。ただ、車にステッカーを貼るということは、そんな普段仕事で忙しい父親でも普段の生活でなにか特別な行動をせずとも自分の意思を表現できるツールであると思って、貼ってほしいということを伝えたんだ、ということを最後に伝えました。本当に原発のない社会を作り上げていきたいのなら、心のなかで思っているだけじゃなにも変わらないんだと。もう、そんな時代ではないのだと。 結局話の最後までステッカーは受け取ってもらえなかったけれど、自分の気持ちを伝えることは出来たし、父親の気持ちも知ることが出来たのでまずはワンステップか・・・と思っていると、そのあと出かけた父親から電話があり、ステッカーのサイズはどのくらいなのか?と。まさか!と思ってサイズを伝えると、車に貼っても良いと!!!ただし、会社でダメだと言われたらはがすこともあるからな。とのこと。 ほんの数時間前まで、頭ごなしにダメだ!と言っていた父親がそんなことを言ったので、わたしはただただびっくりで、そしてめちゃくちゃ嬉しかったんです。

 

活動していている中で、大きな権力をまえに、これってなんの意味があるんだろうなんて思って心が暗くなってしまうことがたくさんあるけど、こんなこともあるから、意味がないことなんてないんだって、それを実感出来る瞬間が必ずあるから、それが例え一万分の一の確率だったとしても、絶対にあるから。

 

だからわたしは前に進めるんだろうなって思いました。 長くなってしまったのでこの辺で。最後まで読んでくださってありがとうございます。わたしは明日のデモには参加しませんが、行かれる皆さん楽しんできてください★ではでは。 

 

 

ノンノン

 

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2012年

5月

25日

北九州市役所へ行きました。

23日に、北九州市役所に行きました。

瓦礫の試験焼却の日で、わたしは将来子どもも欲しいし被ばくしたくないと思い、

電話やFAXでの抗議にしようと思っていたのだけど、もういても立ってもいられずに1人で博多駅に向かうバスの中でエリーさんのメールを見て、結局車で拾ってもらい六人で向かいました。

 

わたしは今回、初めて役所への直接アクションの場に行きました。

直接環境局の人とお話したり、秘書室前の人間バリケードを見たりして思ったのです。

 

「絆」の名の下に全国で行われている、瓦礫の広域処理。それが生み出しているものは、皮肉にも人々の対立です。

俯きがちにわたしたちの意見を聞く環境局の人たち、秘書室前で人間バリケードを作る能面のような顔をした職員の人や警備員さん。

そして、それに納得出来ない人びと。

 

「絆」って、一体何なんだ?と。

これを「絆」と呼ぶのなら、こんな絆は絶対に必要無いと。

 

原発は必要だ、必要無い、とか、

瓦礫は受け入れるべきだ、受け入れるべきで無い、とか。

 

日本には、世界には、もっともっとたくさんの色んな問題があります。

だけど、わたしが1番哀しいのは、人びとの分裂です。

意見が違うことは悪いことでは無いと、わたしは思います。

信念のある者同士がお互いに主張してぶつかるのは、当たり前のことだと思うから。

 

だけど、今回のように、その意見が違うもの同士のバックボーンが違いすぎるときには一体どうすれば良いのだろうと。

 

今回の場合、わたしは1人のただのいち福岡市民で、対する相手は行政です。

そういった場合、やっぱり立場が強い側が、歩み寄ることをしなければ問題の解決は難しいと思います。

その点で、今回の瓦礫の試験焼却に関しての北九州市がとった行動は、歩み寄りがあったとはとても言い切れないものだと思います。

事前に、市民に対する説明会がじゅうぶんに行われたとは、とても言えません。

そんな中、試験焼却に対して不安を抱えている人たちの意見を力で押し通すようなかたちで、試験焼却が始まってしまったことがとても残念です。

 

もちろん、ここで終わりなんて全く思っていません。

瓦礫に関して言えば、本焼却は絶対にさせないために、自分の出来ることをするつもりです。

だけど、本当に北九州市市役所の対応は、残念極まりなかったです。

 

わたしのような普通の一般市民は、コツコツと草の根運動を続けていくしか無いのだと、改めて実感しました。

そして、それがとても大切なことなのだとも。

そんな中で、「面白きこともなき世を面白く」していきたいですね

 

ノンノン

 

 

 

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2012年

5月

24日

ほんのちょっといい話

今、かなり大変な状況ですが、そんな中でも、

ほんのちょっといい話があったので、

シェアしたいと思いました。

 

私の娘が行ってる幼稚園、東郷信愛幼稚園っていうんですけど、

試験焼却が始まってから一週間は、子どもの屋外遊びを、15分だけに

限定する、と自発的に決めて、発表してくれました。

気になるお母さんは、マスクを子どもにさせてくださいっていうお知らせの手紙を、

わざわざ保護者にも配ってくれました。

 

テンちゃんには外遊びしてほしくないとは思うものの、

ほかの子どもたちとは別行動させるのもかわいそうで、

どうしたもんかなあと思っていた矢先のことだったので、すっごくうれしかった。

 

特に、意識の高いお母さんがいるっていう幼稚園でもないんです。

全学年で300人くらいいる、マンモスなところで、

私が避難してきたって話をしたときは、「え?東京から?」みたいな雰囲気だったし。

でも、そういう中で、こういう措置を発表してくれて、

瓦礫の焼却について、保護者にちゃんとした危機感をあおってくれたことに、

私はものすごく感謝しました。

園長先生は、昔、広島で脱原発運動をやっていた方らしくて。ほんと感謝です。

 

でも、よく考えると、こういう措置って、

各小学校、各幼稚園などでとられるのが、当たり前といえば、当たり前なはずで。

それが、当たり前でないことが、今の日本の悲しい現実ですね。

その当たり前のことを、当たり前にやってくれた幼稚園の先生方の決断に、

もう私は、今夜は泣きたい気分です。

 

おもしろきこともなき世の中ですが。

こんなこともあるから、生きてるっていいよね。

 

トニーネ

 

 

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2012年

3月

23日

3.11

皆さん日曜日は本当にお疲れさまでした。

3.11虹のひろば、脱原発 の文字は削られちゃったけど、放射能の危険から逃れてきた避難ママの存在や、ママ原デモのVTRをあの場で流せたことは、ものすごく意味のあることだったと思います。

実行委員の皆さん、本当にお疲れさまでしたm(_ _)m どうもありがとう。

 

また3・11福岡集会の壇上では、我らがアメリのスピーチが。

私はその後ろ、のぼりの陰でとまらない涙を拭いました。

2時46分の黙祷の後に抱き合って泣いていたアメリ&トニーネと一緒に、

福岡に着いた夜、福島がどうなるかわからない、途方もない大きな事故になってしまうかもしれない、全基が爆発を起こすかもしれないと、福島で収束作業にあたってくれている人達に、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに、泣きながら祈ったことを思いだしました。

そして、その輪に加わったハリイさんの言葉がずっと心に残っています。

 

ごめんね、こんなことが起きてしまって、ごめんね、って。

 

福島の事故はハリイさんのせいじゃないのに。

そんな思いで、そんな責任感を持って、ずっと私たちに寄り添ってくれているんだなって。

大人が皆、そんな大人だったら、今、世界はこんなじゃなかった。

 


デモで声をはりあげる子ども達を見て、大きくなってもきっと世の中の間違ったことに雄々しく立ち向かってくれるんだろうなって、頼もしく思いました。

 

皆、本当にありがとうー

 

 

 

(ミトン)

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2012年

3月

01日

ママ原の思いを聞いて下さい


みなさまお疲れ様です。
ママは原発いりません インディです。
毎度の会議では娘ソラがお騒がせしております。


前回の会議後、団体紹介フローチャートで、他とのバランスを考えて
「脱原発」ではなく、「エネルギー問題」とマイルドに表現したいという打診がありました。
「脱原発」は一般の人に少しインパクトが大きいかもしれないから、
マイルドにした方が間口が広くなるのではというアドバイスもいただきました。
(その打診やアドバイスに反論があるわけではありません。
 各団体の垣根を越えて作り上げるという趣旨は
 理解をしていますし、賛同しています。)


ただその際に、あらためて相互の間の認識に隔たりがあることを認識し、
ミーティングに参加している私たち自身の伝える力の足りなさを反省しています。
ママ原の思いを伝えたい伝えたいとずっと言いながら、
きちんと皆さんに伝えることをしていなかったことに気付きました。
今日のミーティングではお互い団体について理解を深めあおうというお話でしたが、
私は移住準備で東京に戻っている為、参加できません。
メールという形になりますが、私なりの思いをお話させていただきたく思います。


「ママは原発いりません」がなぜ「脱原発」を叫んでいるのか。
ママ原のメンバーの多くは放射能から避難してきた原発被災者です。
そしてそれに寄り添う者たち、で構成されています。
原発被災者の苦しみ、悲しみ、そこから立ち上がっていくこと、
それを経験してきたり、間近で見てきている人たちです。

私たちは帰る家を失いました。
生まれ育ってきた故郷に二度と戻れなくなりました。
避難場所を転々として地に足がつきません。
家族が離れて生活することになりました。
親に孫の顔を滅多に見せることができなくなりました。
クリスマスもお正月も誕生日も、家族ばらばらでした。
友人、親せきと疎遠になりました。
周囲からノイローゼ扱いされました。
長年誇りをもってしてきた仕事を捨てました。
子どもを泣かせて、それでも転校させました。
被曝の危険を理解してくれない夫と離婚しました。
たった1人で知らない土地で子どもを産みました。
住めない家のローンを払い続けなくてはいけません。
避難生活でもう貯金が底をつきました。
そしてなにより悲しいことに、
大切な我が子や自分の身体に異変が起こりました。
鼻血がでました。
血便がでました。
下痢が止まりません。
湿疹がひどくなりました。
風邪をひき続けています。
甲状腺にしこりができました。
血液の状態に問題があると指摘されました。
子どもの未来を考えると眠れません。
うつっぽくなりました。

これは、私自身や私が福岡で出会った友人たちの生の声です。

1年たってもまだまだ終わらない。
この先、一体どうしたらいいのか。
自分たちはどこに行くのか。
離れることで薄れていく家族の絆を取り戻せるのか。
そしてこの先、我が子が病気になるかもしれないという不安。

悲しい、苦しい、悔しい、さみしい、憤り、怒り・・・
心の中がぐちゃぐちゃになりそうなこともありました。

でも、自分たちはつらいんだと声高く愚痴ったりできないのは、
この悲劇を引き起こした原因の一端に
自分たちの無知、無関心があることに気付いているからです。
原発の事故がこんなことを招くなんて夢にも思わなかった。
私たちが何気なく使っていた電気を作るシステムは、
人口の少ない地方に危険な原発を押し付け、
そこで働く原発労働者に被曝を強いて病にさせる、
そういう誰かの犠牲の上に成り立っているものだった。
そんなこと自分たちに火の粉が降りかかってきて初めて知りました。
自分たちは間接的だけど加害者でもあるのです。
これまでの自分の無関心さに心から反省、後悔もしているのです。

福島では1年たっても、10年たってもその先もずっと
この苦しみと戦っていかなきゃいけない。
それは想像を超える苦しさではないかと思います。
もうそんな思いをする人をこれ以上増やしたくない。
またどこかで事故が起きて手遅れになる前に気付いてほしい。
九州は福島を、東北関東を助けられるところだから。


だからママ原は「脱原発」なのです。
イデオロギーでも自己満足でもなんでもないのです。
こんなひどいことになる原発、子どもの未来にはいらないよねって
親として、人間として、当たり前のことを言いたいだけなのです。
福岡の人たちに私たちの経験を、生の声を聞いて知って欲しい。
だから私たちは子どもを抱えて声をあげ続けてきました。
知っているのに沈黙することは罪だろうと思うから。
大人の、みんなの沈黙が子どもを虐げることになるのだから。
今、この瞬間も人がいてはいけない高線量地区で、
子どもたちが色んな事情でやむなく暮らしているのです。
家族が、友人が、恩師が、大切な人たちが暮らしているのです。
脱原発を訴えることは原発被災者と寄り添うことだとも思っています。


今回、東日本支援を核とする虹のひろばに参加しようと思ったのは、
以前の私たちのような普通の「知らない人たち」にこそ、それを伝えたいからです。
そして支援団体のみなさんにももっとリアルな実情を知って欲しいと思っています。
誰か困っている人たちがいるなら何かしようと身を削って日々動いてくださっている、
温かい気持ちを持ったみなさんにこそ、伝えるべきだと思っています。
また、3.11はデモでシュプレヒコールをあげるのではなく、
被災地への追悼の思いもあり、静かにそれを訴えたいという気持ちもあります。


私たちの思いが強く、また複雑で、実行委員の調和に
少なからずインパクトを与えてしまっていますよね。
なかなか上手に、大人な立ち回りのできないママ原に
温かく向き合ってくださっていること、心から感謝しています。
ありがとうございます。
長文になり、まとまらずすみません。
また、会議に参加せず、他団体の皆さんのお話を聞かずに一方的ですみません。
少しでも何か伝わればうれしいです。

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2012年

2月

25日

〜ムダなダム 下から読んでも ムダなダム〜

おはようございます、ミトンです。

ちょっと長くなりますが、レポートします

 

 

先日、五ケ山ダムの500億円を福島へ の講演会に行ってきました。

電気だけじゃなくて、水道もか〜

なるほどの構図がここにも。納得の講演会でした。

福岡は水道代がやたらに高いぞと思っていましたが、そんな方いらっしゃいませんか?

 

●●福岡市議・荒木龍昇さんから、"福岡市の水道水は余っている" こと。

福岡市の過去10年間の 給水人口(=世帯数/移住人口 と捉える)は増えてきているが、節水技術の向上や、節水努力により、1日平均給水量は横ばいで、増える見込みはない。

 

また、

●●佐賀大学名誉教授・久保浩洋先生より、五ヶ山ダムでは水害は防げない こと。

国交省の 水害統計 で、水害の場所を調べたが、那珂川本流から溢れたものはなく、

水害防止に、ダムは役立ちそうにない。

 

政府が同建設にあたって高らかにうたう、

 今後増えていく水需要にこたえる為と、

水害の防止の為は、

どうにもあてはまらないようです。

 

 

つまり、

.ダムをつくってお金儲けをしたい人がいて、

.その人達のいいなりの行政がそれに追従し

.周囲の自然をを破壊、人々には立ち退き料、もしくは迷惑料を払い

.巨額の税金を投じ、無用の施設を建設し

.過剰供給のシステムをつくりあげ

.皆が儲からないと困るので、

.結果、私たちが高いお金をだして水を買わされている

(あれ? どこかで聞いたような??)

 

さらに、渇水に備え、ということでもあるようですが、

・平成6年以降17年間は危機的状況はおこっておらず、

・30〜50年に1度の渇水の為に、今この非常時に更に500億円を使うのか??

 

なによりも、

渇水時などの非常時にはバケツを持って並べば良いじゃないか、自然に寄りそって生きるって、そういうことなんじゃないの??

(ここで拍手でした!! わ〜そうだ、そうだ〜!!!!)

 

佐賀県の天然記念物である親子杉を、ダムの底に沈ませてまで、まだやりたいの???? と。

いい加減にしてください(怒)

 

必要性が薄く、自然環境を壊す事業を今すぐ止めて、

フクシマで放射能を浴びる続ける生活を余儀なくされている子ども達を助けること、

その税金を子ども達のいのちと未来のために廻すこと、を福岡県に訴える署名があります。

 

皆さん、ご協力よろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

2月

01日

屋久島にふらり

アメリ@只今、屋久島旅行中

 

おはようございます。

どうしても行ってみたかった屋久島へ、ふらりと来ています。

ふらりと来れる所じゃないでしょ!!と言われちゃうかな()

 

皆さん!屋久島は最高です!!

お水や空気は本当に美味しいし、グローバルな植物達に大自然と共に生きる動物達。。

子供達と私はこの大自然にノックアウトされて、ここに住みたい~と連呼しています。

 

原発のことはもちろん、環境問題や動物愛護などたくさんのことを考えずにはいられない屋久島、皆さんもぜひ一度、屋久島へ!!

 

屋久島ではお世話になった方々や出会った方々と原発の話をしましたよ~

 

そして、とっっても心強い素晴らしい生き方をされている素敵な方とつながらせていただきました。

作家の星川淳さんです。

ツイッターでも流してくださったそう。私はツイッターをやっていないので仕組みとかもよくわかりませんが、皆さん、ぜひツイッターでつながってくださいね!

 

https://twitter.com/#!/HoshikawaJun/status/164377788198043648

3人の子連れで九州へ避難してきた女性と会った。パートナーは仕事で福島を離れられず、親子が週末一緒にすごせるよう汚染の低い近隣県へ再移住予定。そこでも給食は福島産食材が混じり、弁当は不可。3度里帰りの度、子ども3人とも鼻血と下痢。こういう人たちが折れないよう応援したい。」

 

 

屋久島旅行、明日で終わります。

数日の滞在だけで頭が研ぎ澄まされ、心の栄養になり、新たに出発していく力になっています。

 

ママ原のある意義、素晴らしさも感じとったよ~!

やっぱりママ原は最高です!

早くみんなに会いたいなぁと思っています。

 

4日、ママ原のこれからの在り方について、話し合いをしましょう。

 

ではまた。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

いつもありがとう☆

 

(アメリ)

 

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2012年

1月

16日

つながろうよ! in 福岡 へ参加しました。

1月14日の「つながろうよ!福岡」キックオフでは、 福岡でそれぞれ活動している人たちがこんなにいるんだ! (脱原発グループ以外もたくさん!)という印象でした。


被災者支援や給食問題、行政問題と 取り組んでるテーマは別だったりしますが、 今の現実からの脱却、子どもを守る、地域を守るという大きな枠は一緒。

それぞれがつながっていって、大きなうねりを生み出すんじゃないかと 期待の気持ちでいっぱいになりました。
地区ごとにも個人がつながって 学校や議員に働きかける仲間づくりのいいきっかけに なったんではないでしょうか。
    (インディ)

 

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2012年

1月

05日

2012年は脱原発の年です。

 

年末年始は親元には帰らず、福岡で親子3人ですごしました。実家に帰らない正月は生まれてはじめてで、あけましておめでとうなんて気持ちにもなれなず、、年賀状も出しませんでした。でも少しでもお正月気分をと思い、福岡風のあごだしカツオ菜の雑煮をつくったりしました。おいしかったです。


福島の親戚からは年賀状でどうぞ遊びにきてくださいやら、逆に頑張ってと言われるやら、放射能のほの字もでてこない生活に私の認識している世界とのギャップに混乱。
群馬の義両親からは暖かくなったらおいでと言われます。
生きている間に会えるのか、会いにいかなくていいのかと福島の祖母にはまだ年始の電話ができません。
毎回電話で、元気に暮らしているよ、元気でいてね、という会話。
曾孫の顔見せられなくてごめんねって毎回思いながら、つらくて口には出せません。

両親にも初孫の顔みせてあげたい。福岡にきたとき3か月だった我が子も1才、月日の流れを感じます。
もちろんつらいことばかりではなく、笑顔いっぱいでやんちゃに育つ子どもをみているとたくさん幸せを感じます。
避難しているみんなは多かれ少なかれある現実ですが。。
年末年始くらい帰れたら私もよかったのかな、と考えてしまう日々でした。

帰りたいけど帰れなかった。

年末は山本太郎さんもたくさん原発関連でテレビに出演されていましたね。
NHKのゆらぐ国際基準はいい番組でした。
民放の聖なる夜と放射能という番組もタイトルはどうかと思いますが、福島の自主避難の家族の様子がありのままに伝えられて、切なかったけどいい番組でした。
ドイツの脱原発デモに参加して、福島市から避難した子どもがドイツで内部被爆検査をするシーンがあるのだけど、検出されなくて!、安堵して涙しました。(逆に他の番組では日本で検査し、強いセシウムは検出されていませんから大丈夫!といった内容もありました。)


・・・・

いろんなことがありましたが、ママげんの皆様昨年は大変お世話になりました。仲間の存在、励ましで過ごすことができた年でした。みんなの存在が私を支えてくれています。

今年もどうぞよろしくお願いします。
2012年は脱原発の年です。(エリイ)

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2011年

11月

25日

明日は11月のママ原活動日です!

明日は11月のママ原(ママゲン)活動日です!

◆明日の上映会のお知らせを再度いたします。

西山監督をお迎えして
【脱原発 いのちの闘争】上映会

●11月26日 12時~
●福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1丁目12-45)←いつもの教会
●カンパ制

*お友達お誘いあわせのうえご参加ください!

その後、14時からママ原のいつもの活動になります。
みなさん、どうぞよろしくお願いします☆


12月のママ原の活動、12/10の自然エネルギー講座のお知らせも明日します。

HP、ツイッターで告知スタートしました。ドシドシ参加お申込みお待ちしております。

ではでは、また明日お会いしましょう♪

 

(エリー)

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2011年

11月

14日

1万5千人も集まったなんて、涙でました

おはようございます、ミトンです。

 

皆さん昨日はお疲れさまでした。

何としても成功させなくちゃ、と願っていた1万人デモ。

結果1万5千人も集まったすごい人の数に、思わず涙がでました。 

(東京の6万人ってあれの4倍なんだね。。)

★デモ初参加のママ達も本当にありがとう。お疲れさまでした。

 

私達も含めたあの大群衆は、皆同じ気持ちで参加してるんですよね。

こんなにもはっきりとしている脱原発の意志を見ないふり、そして 

見せないように努める政府、マスコミっていったい何なんだろうか。

 

★今回は「ママは原発いりません」の出店、皆本当にお疲れさまでした!

大好評で良かったです。次の形につなげていこうね。

ミッキーさん、インディちゃん、最後の会計まで、

どうもありがとうござい ました。

 

アメリちゃんとトニーネちゃんは(2人よく間違えられるそうだけど)

ママ原の双頭なんだよね。2人交互の熱いシュプレヒコールに応え、

帰りは喉が痛かったです。笑

 

★つながルームでは、すっかりご馳走になり、また写真も運び込ん 

で頂いて、どうもありがとうございました。

 

★最後にやすえさんから早速届いていたメッセージを送ります。

次は26日だね!

 

1万人が終り、これからが更なる正念場です。

2,3月には経済界と経産省の再稼働大合唱が起るでしょう。

つぶす為にはどうしたら効果的か、よーく考えて、

名案、珍案、奇想天外案、どんどん行動する他無い!!

誰かがやっていたら出来る範囲で協力しながら

自分の得意分野で自由に動くことです。」

 

ミトン

 

 

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2011年

11月

14日

1万人集会、お疲れさまでした!

みなさん、おはようございます!

 

昨日の1万人デモは本当にお疲れさまでした。

 

私は疲れ果て、顔も洗わずコンタクトもはずさず爆睡してしまいました()

 

デモでは、ののちゃんの写真展が大好評でした☆

母親の力強さを感じる!母親の笑顔は素敵!子どもを守る愛を感じる!

様々な感想をいただきました。

 

写真の上に

「亀山ののこ NO NUKES写真展」とあったら良かったな~、

そして、ののちゃんのプロフィールがあったら良かったな~と思いました。

写真の皆さんと同じく子どもを持つののちゃんが撮影していること、

同じく原発に悩み避難していることを伝えると

うっすら涙を浮かべる方もいらっしゃったので、

プロフィールがあるとさらにぐっと胸に響くと思います。

 

ののちゃんさえ良ければ、これからもいろんなイベントで写真展をやりたいです。

今回だけじゃもったいなーい!!

 

写真は、つながルームに置かせていただいています。

三枚で一組になるようパネルに張り直すとかコンパクト化対策と、写真がくっついてしまわないよう保管方法を考えなければいけません。

その作業を近々、26日午前かな?にしましょう。

 

デモの感想の続きですが、ミトンさんとビラを配りながら歩いていたら

「ママ原のHPを見ています!」という方や「MLに入りたいです!」

という声がありました☆

嬉しかったです。

でも「どうやったら仲間に入れますか?」とも聞かれましたよ。

 

1210日に考えている、

ソーラーのらやさんトークイベント&ワークショップでは、

ママ原の会員さんも募ったら良いですね!

 

実行委員的なMLとイベント情報等だけが流れるMLがあったらいいのかもね~

エリーちゃん、どうなのかな?

 

今回のデモでの経験を生かし、次につなげていきたいなと思います。

誰が何をやれるのか?を少し明確にできたら動きやすいですね。

 

販売は、エリーちゃん、バンビちゃん、コマリちゃん、

インディちゃんが上手だった~☆

優しい雰囲気で良かったです。

展示物のそばに説明を聞ける人、託児担当、裏方担当などもなんとなく決めておけたらいいですね。

 

今回は、託児はハラさんやトシさん、ツーくんがやってくれていて大変助かりました。

裏方では、シルクさんが風船膨らましをコツコツとやっていてくれました。

ブレイブさんはお花の飾りつけを素敵にされていました。

トニーネちゃんは取材の対応に追われていました、さすが代表です!

私とミトンさんはビラ配り、広報がいいね!

ミッキーさんには運搬業務をすっかりおまかせしてしまいました。

ミッキーさんは総監督だよね!!

つながルームの方々にもたくさんサポートしていただきました。

改めてありがとうございました!

 

初めての試みの中、一人一人が自分にやれることを精一杯やっていて

素晴らしかったですね~。

かなりのチームワークでした!

 

原発がハイロになって、デモをやらなくなるのが一番だけど、

そう簡単には終わる闘いではないと思います。

引き続き、ゆるやかに活動を続けましょう!

 

昨日は本当に本当にお疲れさまでしたっ。

参加できなかった方々も想いは同じだったと思います。ありがとうございます!

 

ノンちゃん、体調は良くなりましたか?

みんな心配していたよ~!

 

ママ原に出会えて本当に良かったです。

ママ原大好きです!

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

アメリ

 

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2011年

11月

02日

腹が立って眠れません

夜分にごめんなさい。

 

悔しくて悲しくて腹が立って眠れません。

 

今日、九電前に大分の友達が一人で座り込みを始めました。

女性一人で大丈夫かなと心配で心配でいましたが、

強い助っ人が!!

なんと、ショウトモさんが今一緒に座り込んでくれていました。

 

長崎からも一人来ているそうで、三人で座り込みしています。

 

彼女達の真剣な想い、本気さが伝わってきます。

涙が出るよ。ありがとう。

私達も明日頑張ろう!!

 

時間のある方はぜひ来てください。

声に出せなくてもいいんだよ!

たくさんの人の本気さを見に来て!

九電のヒドイ対応も見るべき!

 

私は息子を3時間目で早退させて向かいます。

13時半には着けると思います。

 

ママ原の横断幕を掲げて、来れなかった人達の分まで声をあげてきます。

エリーちゃん、ライトちゃん、ミッキーさん、任せといて!

 

エリーちゃん、大役、頑張ってね!!

 

ではでは、皆さん、明日!

 

追伸

ママは原発いりません!

ママは原発いりません!

ママは原発いりません!

 

アメリ

 

 

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2011年

10月

28日

10月28日 11/3まで 住民投票実現アクション@福岡市

Let's actionページに福岡市で行われている【住民投票実現アクション】を加えました。

 

 

10月3日~11月3日で目標4万筆!

玄海原発とこども病院の2つの問題について住民投票で決めましょう!

 

福岡市に住民票がある方で意思表示がまだの方は→

天神イムズ6階の自然食品屋さん、ナチュ村に全区の署名簿が揃っているそうです!

他各地で街頭署名も行われています。(以下ブログ参照)

 

福岡市の方、署名にご協力ください!受任者(署名集め人)になってください!

大事なコトは市民が決めましょう。

http://fukuokavote.blog.fc2.com/ 

 

※福岡市も東京都も大阪市も、「住民投票条例」を持っていません。

だから、まず「住民投票条例を作ろう!」という直接請求からスタートさせなければ

なりません。

大事なコトは、市民が決める!

政治家になんでもかんでも白紙委任するのではなく、私たち住民が決めるための「住民投票」なのです。

 

わたしたちの意思表示、政治に反映させたいですね☆

 

 

 

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2011年

10月

24日

10月24日 10月22日のママ原報告 その2

ママ原の皆さん、こんにちは!

 

土曜日はママ原の活動日、お疲れさまでした~☆

 

瓦礫問題、給食問題、福島市渡利署名、国民投票

いろいろな問題について考え情報をシェアしました。

 

ティーコさんの福島、仙台の写真やデータ付き報告会に耳を傾けました。

 

ママ原のステッカーでは可愛い!の歓声があがり、Tシャツ作成に向けて、素材やデザインの話し合いをしました。

 

1万人デモにて、ののこちゃん写真展、ママ原グッズ販売の構想を練りました。

 

集会後、テント村の上條さんに案内してもらい、つながルームを見学に行きました!

つながルームにママ原のステッカーを置かせていただきたいです!

 

次は一万人デモです!

子どもは明るくオシャレして、女の子はドレスを着たりで盛り上がりましょう!

Tシャツは問い合わせしてますので、色やデザイン、金額がわかりましたらまたお知らせします。

 

ママ原の11月活動日は26日です。

 

ママ原、忘年会を企画中!

安心安全な食材を食べれて、座敷があり、みんなが集まりやすい場所を探しています。

情報をお持ちの方、ご連絡お待ちしてます。

 

アメリ家のお泊まり会は、

ミッキーさん、トニーネちゃん、インディーちゃんが参加。

朝方まで会話を楽しみました。

冒険家族にはあいにくの天気により、参加を断念しました。

冒険家族には行けなかったけど、とっても楽しかったので、来月にまた第二回を企画中です。

 

以上、ザッと報告です。

皆さんからの細やかな感想もお待ちしています。

フォローお願いします。

 

では皆さん、またね♪♪

(アメリ)

 

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2011年

10月

23日

10月23日 「ママは原発いりません」ステッカー販売開始!

山梨県にいらっしゃる版画家のこばやしこうさん(子育て中のママ)と、宮崎県にいらっしゃる相馬敬子さんのご協力で、かわいい「ママは原発いりません」ステッカーができあがりました!

 

車、ママチャリ、玄関先など、いろんな場所で、静かに深く、脱原発を訴えるのにもってこいの一枚。「ママは原発いりません」は団体名ではありますが、脱原発を願う母たちの普遍的な思いでもあると思います。この思いを、潮騒のように日本に広げていきましょう。

 

一枚200円。収益は、活動費と募金にさせていただきます。ご所望の方は、ご入用の枚数と住所、氏名、電話番号をお書きの上、chronikasha@gmail.comまでお寄せください。

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2011年

10月

22日

10月22日 10月のママ原報告 その1

10月22日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、

 

11月13日に行われる「さよなら原発!福岡1万人集会」のチラシ配りや、「住民投票実現アクション」などの街頭署名集めをしました。警固公園では雨が降って、断念したのですが、みんなで歌いながら教会に向かう途中、だんだんと雨がやんできたので、教会の前の道路で、チラシ配りと、署名集めをすることができました。

 

大活躍だったのは子どもたち。道すがら、プチ拡声器を持って、「原発にはおなかいっぱい♪」の歌を歌ったりしてました。チラシ配りも、大人より、子どものほうがずっと得意。興味のなさそうな人たちも、子どもがいるだけでガードが下がるようでした。

 

教会では、11月13日の一万人集会に向けて、いろいろと作戦を練りました。「ママは原発いりません」ステッカー(200yen)や、脱原ソーラーライト(500yen)、オススメ本、わくわく工房とのコラボ菓子など、ママ原グッズ満載のブースを出店します。写真家の亀山ののこさんの、「原発いらないママ」たちを写したミニ写真展も開催します。お楽しみに!

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2011年

10月

19日

10月19日 子どもたちが被曝し続けている

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2011年

10月

18日

10月18日 あさイチを見て

ちょっと感動する詩がありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

不意に 

答えを風に聞きそうになる 

 

雨に 

自分で決めろと言われた気がする 

 

雲が流れ 

雨が緑をぬらし 

朝とともに 

山に靄をかける 

 

ぼくは 

わたくしとは 

なにものなのか 

 

生まれてから 

死ぬまでに 

どこへむかうというのか 

 

山々は 

あり方を問いただしてくる 

 

でも 

実際は 

その静かな存在感に 

自らの 

傲慢さや欲 

落ち度を隠しきれず 

 

ただ 

自分に問い詰められているだけなんだろう 

 

どこまでも深く 

どこまでも高く 

世界は自分次第 

 

朝が明ける少し前 

海と空の間の色 

 

僕は今 

なに色ですか

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

あふれ出るような感受性。

今の若者は、半端じゃないなと思わされる。

これを書いたのは、米原カンタくんです。

最初にママ原を始めることを勧めてくれた21歳の若者です。

こないだは、経済産業省前で、ハンガーストライキをしてましたね。

 

NHKのあさイチ、わたくしも見ました、エリー。

私は、甘いかもしれないけど、ホッとしました。

郡山で、ただでさえ被曝してる母子たちが、

少なくとも一週間は放射性物質を食べなかったんだってことがわかって。

 

今回の原発事故で、私たちは今、みんな、

生き方を問われていると感じました。

何を大切にするのか。

どこで生きていくのか。

今までも問われて来た。

でも、今はもっともっと問われてる。

あなたは、どう生きますかと。

 

子どもに、あえて福島県産を食べさせる母親、

なるべく食べさせない母親、

避難する母親、

地元に留まる母親。

みんなが、

それぞれが、

一人一人の選択が、

どうか真剣なものでありますように。

それだけを、ただただ祈ろうと思ったのでした。

 

そんな折、

ちょっとよすぎる詩にぶつかったので、

再度、朗読させてもらっていいですか?(笑)

 

ぼくは

わたくしとはなにものなのか

生まれてから

死ぬまでに

どこへむかうというのか

山々は 

あり方を問いただしてくる 

でも 

実際は 

その静かな存在感に 

自らの 

傲慢さや欲 

落ち度を隠しきれず 

ただ 

自分に問い詰められているだけなんだろう 

 

人は、人間とは、悲しくなるほどバカだね。

バカで、愛おしい存在だね。

そして、一生懸命生きている。

推進派も、脱原発派も、避難派も、地元に残る派も、

精一杯がんばって生きている。

「自分は何者か」という問いを、

直視したり、無視したりしながらも、

結局は携えて歩んでいる私たち。

こんな私たちの、一人一人のがんばりが、

どうかいつか報われますように。

 

こういう瞬間を詩に書き留めている、カンタくん。

21歳とは思えない少年の、言葉の重み。

世界は、どこで変わるんだろう。

もしかして、こういうところからではないかしら。

 

トニーネ

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2011年

10月

13日

10月13日 金原ひとみさん

さすが東京新聞だよね。

この記事よんで、今、金原ひとみさんが、

まさに私たちママの代弁者になってくれてると感じたよ。

 

岡山だったら近いし、いつか招いてみたい。

言うことがさすがに鋭いよ。

なんで日本は変えられないんだろうね。

主人は一体誰なんだろう?

 

トニーネ

 

原発推進の内なる空気 制御されている私たち 金原ひとみ

 

長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗きれいに畳み直し、あと僅わずかとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。

 

三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。

 

放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろし いことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違 い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上で も情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻かき集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。

 

四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルク を飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。 放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄やゆする人もいるらしい。人は多少被曝ひばくしても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。

 

原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実 となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。

 

こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れ は変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろうむ数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、 変わらないままだ。

 

既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛つらいだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐こわくて何もできない人がいることは不思議ではない。

 

しかし多くの人が癌がんで死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。

 

私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。

 

東京新聞 2011.10.11 夕刊

 

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2011年

9月

20日

9月20日 さよなら原発6万人!その1(トニーネ)

みなさま、どうも!

17日のママゲン、おつかれさまでした。

そして18日の誕生会、ありがとうございました。

トニーネは、32歳になりました。

 

昨日の東京のデモ、もう見ましたでしょうか?

6万人です。警察発表では2万7000人ですが、

6万人以上いたんじゃないかという話です。

 

私はほんとに感動しました。

福島の事故直後、ドイツで10万人デモがあったとき、

どうしたらそんなデモが起こせるんだろうと、

心底うらやましく思いました。

ドイツでは、緑の党とか、

普段から組織的に活動しているグループがあるので、

それだけの人数を集められるのだと聞きました。

 

ひるがえって、そういった組織の弱い日本で、

さらにはデモの文化も育っていない日本で、

6万人!

もしかするとそれ以上の人たちが自発的に集まったのです!

 

これは大ニュースです。

でも、わかってたことだけど、このデモを、マスコミがトップで

取り上げる向きはありません。

マスコミには、もう正常なニュースの価値判断ができなくなっています。

でも、本当のところ今回のデモは、日本の歴史を塗り替える、

と言ってもいいものだった、と私は思います。

 

もし、これだけの民意を受けても政治が変わらなければ、

誰のための政治でしょうか。誰のための国でしょうか。

そう、私たちのための政治でも国でも、なかったのです。

今まで。

 

一部の利権や特権のある人たちが、今の日本を動かしています。

電力会社ひきいる経済界も、「それでも原発は必要」という思想を、

あの手この手で、国民に浸透させようとしています。

 

今回、新聞の調査で65%の人たちが、

「たとえ経済力が落ちても、原発はいらない」と解答しました。

これだけの民意を受けても政治が変わらないとすれば、

今の政治が、一部の利権者のための政治だったんだと、

みんな否応無しに気づくはずです。

国民の命を守るよりも、福島の子どもたちの命よりも、

自殺した農家の方たちの命よりも、

お金儲けをしたい一部の人たちのための国家だったと、

私たちは否応なしに、気づかされるはずです。

 

だからこそ、今、政治もマスコミも利権者も、

瀬戸際に立っています。

今、日本が変わろうとしています。

あと一押しです。

 

6万人がデモに集まりました。

6万人です。

東京から、革命が起きようとしています。

 

当事者意識の薄い福岡ではなかなか人数が集まりませんけれど、

福岡にいる私たちもがんばってます。

今、日本の大きな変わり目、激動の時代に、

みんなと一緒に生まれてきたことは、

やっぱり何かの必然だったように感じます。

 

関東・東北のお母様方に伝えたいです。

福岡には、こんないい仲間がいます。

ときどきくじけそうになるけれど、私たちは元気です。

 

(トニーネ)

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2011年

9月

20日

9月20日 さようなら原発6万人! その2(インディ)

こんばんは。インディです。

昨日は東京の「さようなら原発」に6万人集まったと知って、

ひとり感動して涙してました。

私たちと同じ思いの人はたくさんいる。

お金より命だって気付いてる人はたくさんいる。

だって6万人だよ?そんな大勢の人見たことない。

それだけたくさんの人が自分の意思で集まったんだよ?

すごいよね。

デモしたり、署名集めたり、呼びかけたり。

私たちママの声はほんとにちっぽけなもので、

すぐにつぶれてしまいそうになるけど、

そんな声だってきっと誰かの心にはちゃんと届くんだって思ったら泣けてきました。

6万人が100万人になって、1000万人になって

そうなったら原発推進しようとする人たち手も足もでなくなる。

そんな日が来るまで、私は小さな声を上げ続けようって思います。

そしてそんな姿を子どもたちに見せ続けたいと思います。

こないだの活動の時の子どもたちのデモ見て、

ちゃんと次の世代につながってるって思ってうれしかったよ。

 

(インディ)

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2011年

9月

17日

9月17日 今月のママ原

  9月17日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、

 

「東北地方太平洋沖地震の瓦礫処理及び焼却灰の処理に関する請願」と、

「福岡市の学校給食食材に関する請願書」に対する署名を集めました。

 

〜ご協力下さった方々、どうもありがとうございました。〜


”汚染瓦礫と汚染焼却灰処理の問題” に関しては、復興支援の妨げになるから福岡県でも受け入れをすべきである、というご意見も頂きました。

 

ここには、行政の示す ”安全値” が、食品を例にとっても未だ "暫定” であり、放射性物質の性質が、”しばらくの間” で話をするにあまりにも不向きであることも、問題として挙げられると思います。受け入れをした後の周りの環境への影響は、過去のデータ等があって、安全を確約できるものでないのも事実ではないでしょうか。

 

被災地の一日も早い復興を願う思いは、皆一緒だと思います。

けれど、汚染物質を全国に拡散することは、たとえ微量であるとしても、得策であるとは思えません。。

 

 

”汚染ガレキの焼却許可は、福島原発事故の再現です。

       地面に落ちた汚染物質をもう一度、空気中に舞い上げることです。” 

 

                     by NRC(アメリカ原子力規制委員会)

 

 

 

皆さんの街の 焼却炉、もしくはゴミ処理場が、どれだけ放射性物質の外界への遮断性を持つか、是非問い合わせてみてください!

 

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2011年

7月

11日

7月11日 最近更新してなかった理由(トニーネ)

トニーネです。

 

さいきん動きがなくて、みなさん心配してらしたと思います。どうもすみません。

私トニーネはホメオパシーの勉強に没頭してました。

なんで今?って思うかもしれないけど、私思ったんです、

自分が一番幸せなことをしようと。

そして、その幸せなことで人様の役に立とうと。

 

最近、こういう活動してて気高いだなんて言ってもらったけど、

全然違って、結局のところ私は、

こっちに来て、とにかく焦って、恐怖でいっぱいで、

友だちもほしくて、自分のことばっかりだったと思う。

正直な話。

 

でも、その結果得たものは、大切な仲間。

ホメオパシーにまた没頭できるようになったのも、

気持ちをシェアできる仲間ができたからでした。

だから、みんなに本当にありがとうです。

奥田民生の「あーりがとー!!!」を歌いたい気分。

 

今、玄海はてんやわんやですね。

福島第二原発もあやしくなってきています。

日本は今、どうしようもなくなってきてると思います。

前は、そんなときになんで勉強か、

それどころじゃなーい!って感じだったんだけど、

でも、なんかシコシコ勉強できるようになったのには理由があります。

腹をくくりました。

 

「たとえ明日、世界が滅ぶとも、

リンゴの木を私は植えよう」

と、ルターが言ったんだったかな。

私は、もし地球に未来があるとしたら、その未来に必要だと思うから、

地球が終わる日までできることをやろうと思いました。

そして、私に今できる一番のことはホメオパシーだと思ったんです。

遠回りに思えるかもしれないけど、それが今、

私にとって一番、「今日いちにちを、地球の未来のために進んだ」と思える、

実感を伴う行為なんだとわかりました。

 

もちろん、原発を止めるためにも、

何か作戦を考えていきたいと思います。

でもそれは、本業をきちんとやった上で、その余力で、です。

代表がこんなんじゃまずいかもしれないので、

そのうち、誰かにお願いするかもしれません。

ただ、ママ原らしい、ママにしかできない、

実感を伴った何かにしていきたい、

そういう構想はあります。

ちょっと待っててください。

 

最近、めっきり元気になったのは、こういうふうに思ったからです。

原発で、もしも、ですよ、もしも死んでしまう日が来ても、

「まあいっか」、と。笑!

おかしな言い方かもしれないけど、

きっとこれは、人類にとって必要な過程なんだと思ったんです。

「やな時代に生まれちまったぜ」と思うけど、

最近、朝の連続テレビ小説見てて思うに、

いつの時代も、飢えとか戦争とかで、みんな生死をさまよっていたんですよね。

いつの時代も、必要な過程が起きていた。

今も、それが必要である程度は同じなんですよね。

 

今起きていることは、放射能というよりも、

利権を手放したくない人たちの、自分の欲望との戦いで、

人類の欲望は今、欲望を手放せない人自身が自らの生命を

滅ぼしかねない局面にさしかかっているように思いました。

でも、彼らの中での戦いが失敗して、その結果、

巻き添えをくって私が死んだとしよう。

「それも、しょうがないかな」って思ったんですよね。

だって、彼らも私たち人類の仲間なんですもんね。

仲間の失敗のために、人は死ぬことだってあるでしょう。

だけど、死ぬ日まで、仲間のために、諭し続けることはやめない気持ちで。

愛しましょう。

それがママです。

  

今日は突然、詩を贈りたくなりました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

生きる 谷川俊太郎

 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

 

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 

生きているということ

 

いま生きているということ

 

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

 

いまいまがすぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

 

人は愛するということ

 

あなたの手のぬくみ

いのちということ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

幸せな一日を。

 

(トニーネ)

 

 

 

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2011年

6月

16日

6月16日 次は6・28だ!

昨日は、6月28日の九電株主総会に向けてのMTGがあるということで、出かけてきました。

MTGに参加するだけでいいのかな、なんて思ってたら、

今度の6・28には、デモやイベントも企画されているようで、

その若者たちの連絡係がほしい、と。

 

若者軍団、みんなシーンとなってしまい。

 

みんな、ほんっっと疲れてるんだよね。

あんな大きなデモやって、財力も体力も時間も、使い果たしてしまっている。

なんか見るに見かねて、手を上げてしまったトニーネ。

 

あああ。でも、私もけっこういっぱいいっぱいなんだけどな。

 

これを読んでくださったみなさん。

よかったらご協力お願いします。

 

6月28日(火)の午前中ですから、ほとんど会社勤めの人は集まりません。

頼りは、フリーターとママです。

子育て中のママ、どうか!!!お願いします。来てね♡

ジャグリングとか歌とか、いろんな楽しいイベント満載ですけん。

 

さあ帰ろうか、とみんなが解散し始めたとき、

福島から避難中のアメリがこんな話をしていました。

 

「昨日さ、テレビ見てたら、酪農家が自殺したって。

そしたらテレビの人が、『自殺よりほかにいい方法なかったんでしょうかねえ』って。

でもさ、誰だって自殺したくなると思うよ、

ずっと大切に築き上げて来たもの取り上げられて。

すべて失って。

私だって、家族とも離れて、建てたばかりの家も住めなくなって。

もう自殺したほうがいいかもしれんって、夫と話したりするもん。

私たちはさ、ただ、今まで築き上げてきた場所に、帰りたいだけなんよ。

帰りたいだけなのに、もうそこは帰れない場所なんよ」

 

話してるうちにアメリは泣き始めて、私はちょっと呆然となって。

いつもアメリは明るくて、元気で。

私も、東京から離れてつらかったけど、

私より大変なはずのアメリがいつも明るいから、

がんばらなきゃーって思ってたけど、そうだよね、

アメリ、やっぱりつらかったんだって、

自殺したいほどつらかったんだって、

そんな当たり前のことを思い、ショックでした。

 

福島の人たちに、自殺させておけばいいのかな。

ほんとは、こんなことになった今、

私たち一人一人が、もっと、死ななきゃいけないんじゃないかな。

私は、そんなことを思いました。

 

もっともっと、自分のことじゃなくても、もっともっと、

私たちは福島の人たちの痛みを、シェアしなきゃいけない。

もっと、福島の人たちの怒りを、悲しみを、感じなきゃいけない。

 

福島の人たちが自殺したほうがいいと思うとしたら、

それは私たちの責任。

彼らと一緒に、悲しみ、怒り、死ななかった、

私たちの責任。

 

ママ原は、アメリ一人に死なせないね!

 

(トニーネ)

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2011年

6月

14日

6月14日 ちょっとジーンときた話

51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉 

 

 611日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。

「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。

 

 「表現の自由」

 

 この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。

 

「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。

警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。

原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。

東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。

 

私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。

法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。

生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。

 

私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。

政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。

 

法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です」


と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。

 

若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。

 

「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。

 

私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。

 

しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。

51年ぶりです。

タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。

 

      *      *      *      *      *

 

いやあ、その場にいたら、ものすごい感動だったでしょうね。「何かがおりてくる」とき、ですね。大事、大事。

 

(トニーネ)

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2011年

6月

12日

6月12日 うのさえこさんのスピーチ

ママ原メンバーで、福島から避難中のママ、うのさえこさんが、広島のデモで訴えました。

 

          *         *      

 

福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。

この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

 

目を凝らしましょう。見えない放射能に。45日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

 

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

 

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

 

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

 

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

 

私たちの故郷は汚されました。

もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。

海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

 

私たちは涙を止めることはありません。

こんなに悲しいことが起きたのですから。

心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。

私たちは涙を恐れません。

私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

 

私たちは変化を恐れません。

恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。

大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

 

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。

私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。

私たちはそれを、乗り越えていきます。

私たちは声をあげ続けます。

私たちは、行動し続けます。

人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

 

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。

 

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

 

広島市 原爆ドーム前にて

2011611日 うのさえこ

 

 

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2011年

6月

11日

6月11日 埼玉県への署名を集めることにしました

ティナ@2人の子どもと共に、福岡に避難中です。

来月には育休が終わるので、埼玉に帰らないといけません。

 

赤ちゃんである次女を母親が引き離すのは可哀想なので、やっぱり連れて帰りたい

でもTwitterで、埼玉県内の保育園の土壌を自主計測したママから、規制値を越える値が出ていたことを聞きました。そのママは現在、お子さんと沖縄に避難しているそうです。

家ではいくら気をつけても、保育園が対策をとってくれないと、子どもと一緒に埼玉で暮らすことはできない。

そう思って在福岡のまま、埼玉県への署名を集めることを計画しました。

 

降ってくるものは止められないけど、本来なら避けられる被曝をさせたくない。 

将来、子ども達に「なんでお母さんたちは、その時に何も言わなかったの?」と聞かれて答えに窮したくない。 

 

ちょうど来月は県知事選があるので、タイミング的にもチャンスとみました。 

子どもへの被曝対策を争点に浮上させられたら、他県の首長も多少は意識すると思うのです。

 

自分が行動を始めると、県内で協力して下さる方も次々に出て来てくださいました。

署名を集めることと並行しながら、埼玉県議会への要望、選挙前の公開質問状、被曝に関する学習会など、やれることは何でもやっていこうと思っています。

 

自治体を動かしたいのももちろんですが、署名活動を広げることで埼玉県内で、子どもの被曝対策への関心を高めたい、という狙いもあります。 被曝慣れ(?)や、諦めの風潮を変えたい!

あと、不安を抱えてる親が孤立してる現状がよく分かったので、「1人じゃないよ!」と伝えたいのです。

 

どれだけの広がりを作れるのかは分かりませんが、とにかくやってみます!

 

署名フォームなど完成しましたらこちらにもまたメールいたします。ご協力いただけると嬉しいです。

 

(ティナ)

 

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2011年

6月

10日

6月10日 子どもが鼻血を出した

太宰府市に住むミツノンです。

ここ最近、家事の合間を縫って、少しづつですが放射線の勉強を進めています。

 

ネットで検索して、調べるのが主ですが、

読むだけでは、なかなか頭に入っていかないみたい。

それで、これはと思った記事や文章は、

日付つきで、ノートに書き写しておりました。

 

 

5月19日

ー原発情報ー

 チェルノビルでは、最高で1平方メートル当たり380万ベクレル。

(148万ベクレルで強制避難)

原発から北西40キロの飯館村で、2000万ベクレル。

 

148万ベクレル以上 → 強制避難

~55万5000   → 強制移住

~18万5000   → 希望者は移住を認める

~3万7000    → 放射能管理が必要なエリア

 

*メモ*

 日本の表面積は、地球の表面積の0.07%

 全世界の原発の約13%が、この国土に密集している。

 

 

五月の終わりごろ、週末、

夜、長男(5年生)が、鼻血を出した。

なかなか止まらず、

「鼻糞でもほじったの?」

と、訊くと

「いいや、ほじってない。

いきなり出てきた」

と、答えた。

翌朝、再び鼻血。

耳が痛いという。

見ると、右耳の下が赤くプッくリと膨れている。

長男は時たま鼻血を出す子だけど、

耳の下が腫れているのは、初めて見た。

 

六月の頭ごろ、

長女(3年生)が、学校から帰ってきた後、鼻血を出した。

突然出てきたという。

 

今週の中頃、

次女(6歳)が、近所のスーパー近くで、小学生のともだちとたたずんでいた。

雨にぬれていた。

翌日朝、耳が痛いと言った。

見ると、左耳の下が硬く盛り上がり、うっすら赤く腫れている。

数日後、腫れはひいた。

 

三女は今のところ、何もない。

 

思えば、小学生二人は、家では長年牛乳を飲ませていない。

学校給食では毎日飲んでいる。

家での食事の違いと言えば、これくらい。

肉類も、鳥肉なら調理して夕食に出す。

牛肉豚肉は、調理の際、臭いアクがたくさん出るので、

自分からは買わない。(でも、ときたまひき肉を買うことは、ある)

 

(ミツノン)

 

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2011年

6月

09日

6月9日 福島を助けてください

 

福島県福島市から福岡に避難し、今、私事で生まれ故郷の宮城県に一時的に帰ってきているアメリです。今、現在の福島市の状況ですが、ママ達の悲痛の叫びが「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」のホームページのコメント欄から知ることができます。福島を応援する温かい方々からの応援メッセージも読むことができます。

 

ぜひ皆さんにも読んでいただき、福島のママ達の苦しみ、悲しみ、怒りを知り、そして皆さんの活力へと変えて訴えてください。玄海を止めることもとってもとっても重要です。並行して、今現在、放射能に苦しめられている福島を助けてください。福島のママ達は自分のことでいっぱいいっぱいです。

 

私も福島の自宅に子どもを連れて戻った日は、外で遊びたがる子どもをなだめ、暑いと勝手に窓を開ける子どもを叱り、測定器とにらめっこしながら家の中の除洗をし、たった一日だけだったのに精神的にも体力的にも苦痛でした。福島のママ達にこれ以上の負担を与えないように他県の皆さんが代わりに声をあげてください。特に今のところ地震も放射能も心配のない九州の皆さんの力が本当に必要です。宜しくお願いします。

 

福島の自宅を出る時に4歳の娘が急いで私に庭に咲いていたシロツメクサを「ママにプレゼントだよ!」ってとってくれました。いつも部屋の片隅に飾っていた草花、嬉しいはずの想いが、放射能が手についたかもしれない、早く車に乗せなきゃと焦りでしかありませんでした。小さな子のこんなほんわか優しい想いをも放射能はかき消します。放射能が本当に憎くてたまらない。

 

皆さん、とにかくとにかく、福島を守ってくださいね。本当に本当に本気で宜しくお願いします。

 

もう少しで福岡に戻ります。そしたら皆さんで顔合わせ、意見交換の集会を開きたいですね。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

皆さんに会える日を楽しみにしています。

 

読んでくださって、ありがとう!!感謝します。

 

(アメリ)

 

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2011年

6月

08日

6月8日 東京のお母さんからのお便り

トニーネが東京にいたころのママ友、ヒギーから、こんなメールが来ました。

 

      *      *      *      *      *

 

東京では危機意識の高いママを探しながら輪を広げようと頑張ってます。

 

先日友人に『子供の居場所の放射能値測定に関する署名』を

頼まれたので私も協力することにしました。

 

幼稚園の庭の数値も気になってたので園のママの協力を得ようと

園に許可を取って署名をもらえるように園長に掛け合ってみました。

 

園内でなく、お母さん達のネットワークで行い園の外で署名するなら大丈夫と許可を得ました。

 

署名をやると中には積極的に活動を協力してくれるママも居たのでやって良かったなと

安堵してたのも束の間、次の朝に園長から指導が入りました。

 

『いろいろな意見のお母さんが居ますので、園から見えない場所で行ってください。』と・・。

 

もう秩序とか組織にとらわれている場合じゃないのに。

3.11以前と変わらない常識に縛られている親の意見に逆に驚きを隠せません。

そういう人達は今、何を優先して生きているんだろうって・・・。

 

安全かどうか確認もされてない園の庭で遊ぶ子供を見て悲しいし落胆してしまった。

 

他の園でも、署名活動をしたママに対して他のママから注意があったと聞きました。

 

園での活動の中で不安になる行事もいくつもあるけど、

声に出してるママが居るのか居ないのか・・・。

放射能の話は公の場では全くされてない状態。

まるで原発事故すら無かったかのような状態で行事も進んでいる。

 

疑問を持っても声を上げないと意味ないのに、周りの目を気にしてか、無関心なんだか、

みんな生きながら眠っているように見えて怖い・・。

ママの間ですら戸惑うほどの温度差があり余計な部分でエネルギーを削られてしまう状態。

 

東京に居るからには少しでも子供に被曝させない努力をしたいと思うけど、その対策に関しても

やってる、やってない、どの程度してるかで結局最後は対立的になり放射能の話は、

更にものすごく気を遣うのが現状。

 

放射能という人間の五感では感じないものに対して個人的に長期的な対策をするのは

とてつもなくストレス。

『目に見えない→目の前に無いもの』に変わってしまう。

大半の人は心身共に疲れてしまい、覚悟を決めて向き合うより『どうせ全部防げないから』と

全てのスイッチを切って普段と変わりない生活に戻っている人が多い。

 

     *     *     *     *     *

 

東京を離れ、残してきた人たちに申し訳ない気持ちのトニーネでしたが、

ヒギーからは「がんばってくれてると思うと元気出る」って、逆に励まされました。

彼女が今参加してる活動は、おひさま会http://ohisamakids3.jugem.jp/だそうです。

一緒に、がんばっていきたいね。ありがとう。

 

(トニーネ)

 

 

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2011年

6月

02日

6月2日 放射性物質を除去するイメージビデオ

久留米市の医師西村靖子さんのお話会で

放射能対策のビデオを教えてもらいました。

見たり音や振動で体内に含まれた放射性物質を除去できるそうです。

その映像はアメリカのミネラル社が医療用に開発したものです。

不思議な映像と超音波の様な音に振動を感じれます。

 

子供と一緒にかけ流すと良いそうです。

でも子供には「これは、放射能が・・」って説明はしないでね!と言われていました。

そういうイメージが残っちゃうそうです。

 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WS_7kjj3X6A

 

(チキチータ)

 

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2011年

5月

30日

5月30日 トミナガマイさん、米原幹太くんのお話会に出席して

今日、お昼に開かれたトミナガマイさんのスライドショー&米原幹太くんのお話会に

エリーとトニーネも出席してきました。

 

音楽や詩や写真を見たりする中で、

「てんごくのおきゃくさま」という絵本の朗読がありました。

原発問題をテーマにした、30年前の絵本でした。

あらすじを軽く説明しますと・・・

 

         *      *      *      

 

天使たちがお空で遊んでいると、変わった天使たちがお空に上ってきました。

それは、原発の事故によって、お母さんたちのおなかにいられなくなってしまった、

人間や動物たちの天使でした。

 

そして、原発によってどんな悲惨なことが起きているか、

変わった天使たちが説明をするのです。

 

「この状態をどうしたらいいだろう?」

 

天使たちは考えて、子どもたちに、

「原発をつくらないように」という、手紙を届けることにしたのでした。

大人たちが、子どもたちを通して、そのメッセージを受け取れることを願いながら。

 

PCからはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201103140001/

携帯からはhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=monwingaji&id=35282799

 

         *      *      *      

 

トミナガマイさんの写真を見ながら、

その絵本の朗読を聞いていると、本当に胸が詰まる思いでした。

 

放射能の影響を一番受けるのは、子どもたちだと言われています。

チェルノブイリでも、胎児や6歳までの子どもたちに、

10年、20年後、奇形や白血病、甲状腺がんなどが多発しました。

 

危険区域にいる子どもたちを避難させることなく、

2000ベクレルという高い基準の食べ物を流通させている、

今の日本政府の対応を見ていると、

日本でこうした天使たちが生まれてしまうことは、

時間の問題ではないでしょうか。

 

チェルノブイリを超える汚染を受けながら、

日本だけは、チェルノブイリのようなことが起こらないと思っているかのような対応。

その異常さに、正直、震撼します。

 

私たち大人は、何ていう社会を作り上げてしまったんでしょう。

今、お母さんたちのおなかの中で苦しんでいるかもしれない子どもたち、

もう生まれることをあきらめてしまった子どもたちに、

何と謝ったらいいんでしょう。

 

そのあとのお話の中で、

20歳の米原幹太くんが言った言葉も、胸に突き刺さりました。

 

「子どもたちの未来を考えない、どんな行動も大人のエゴだと僕は思う」

 

何で原発があるの? そんな危険なもの、いらないじゃん。

子どもの視線から見たら、とても当たり前の公式が、

大人たちの世界では、主張するのがなぜだかとても難しいことになっています。

 

絵本では、天使が子どもたちに手紙を託しました。

でも、それは本当のことで、子どもたちは一人一人が、

存在している、そのことだけで、天使からの手紙を日々、

私たちに届けてくれている、と思いました。

 

大人中心の世界では、子どもは力がなく、半人前だと思われているけれど、

子どもから見て、当たり前のことが、

当たり前になっている社会のほうがきっといい。

なぜって子どもは、天使からの手紙を託されている存在だからです。

 

そんな子どもに、被爆を強要し、

学校や園に通わせるような国なんか。

そんな国に、未来があってたまりますか。

 

ちょっと過激だけど、そんなふうに思えます。

 

東京でも、低線量被曝が始まっていると、

ジャーナリストの木下黄太さんがブログで書いておられました。

福島から200キロ離れた場所でさえ、そんな状態なのです。

 

何ていう世界を、私たちは子どもたちに残してしまったのでしょうか。

言葉になりません。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

27日

5月27日 金が命を上回ってる

ママ原の立ち上げにも関わり、30日にはトミナガマイさんのスライドショーでもお話をする、米原幹太くんのmixi日記

 

      *      *      *      *      

 

「若者が動こうとしている。」 

コミュニティをつくりました。 

 

after311 

どうすんだよ?若者は

 

同世代として、 

みんなにanswerを求める。 

 

若者が若者へ発信していく。 

この行為に、 

とことんこだわろうと思う。 

 

すでに 

生まれてしまった 

これから 

生まれてくる 

次の世代に、 

本当に申し訳ない。 

 

黙って 

黙って 

静かに 

静かに 

死んでいく 

この島 

 

子供が死んで 

未来は無くなり 

金が無くなり 

未来は拓ける 

 

この関係性 

みえる人が何人いる

 

資本主義という 

病はもはや病ではなく 

 

生きるために 

息をする 

食べる 

飲む 

 

これら 

生きるための事象 

 

資本主義はその中に 

金を稼ぐ 

を生み出した 

 

金があったら生きていける 

Why? 

 

金があっても食べ物無い 

はい。死んだ 

 

日本人この民族は 

金がない世界を 

全く想像できない 

頭の片隅にもない 

 

だから 

滅びると思う 

 

311 

起こった 

はっきり 

わかった 

 

日本人 

この民族 

金が命を上回ってる 

 

前々から感じてた 

違和感は正しかった 

残念 

 

アジアの片隅 

「資本主義」の 

完璧なモデルケースが完成 

 

それが、日本州です。 

 

武力で支配 

もう古い 

金という概念で支配 

回りくどく 

ねちっこく 

静かに 

静かに 

手を回されて 

吸収された 

しかし 

誰も気づかず 

気づいた人は 

爪弾き 

口にだせば 

首が飛び 

タブー恐れて 

何もいわず 

面倒くさいから 

無関心 

結果は 

原発爆発 

起きても 

無関心 

相変わらず 

疑問を抱けど 

かみ殺し 

不安を煽ると 

真実見ずに 

TVを見て 

笑ってな 

ここに、 

小中高、大学 

管理教育の成立をみました。 

 

意図的なシステムが、 

日本の風俗、 

人格までに密接に絡み込んでいる。 

 

金を稼いで使うことが染み着いて、この性から死ぬまで離れられない。 

 

なぜなら、息をするのと全く同じこと。 

息をしなかったら死ぬ。 

これと同じ。 

 

自分自身を、否定したり、問いつめたり、ある一定の自分を越えたり。 

 

してきて無いと、この日記は解読不可能なのかもしれない。 

 

そして、 

そんな人が 

一般常識者的視点の異常な人。 

 

ぼくからみたら 

当たり前の人。 

 

言い訳ばかりして 

良いわけがないと 

自分に言い聞かせて 

戦うやつが少ない 

 

そんな気がするよ

 

とか、思うから

正直に言うわけよ。

過激と言われてもね~(笑)

 

      *      *      *      *      

 

最近「幸せの経済学」っていう映画を見ました。 
私も、最近まで、金がないと、って思ってた人間の一人。

 

幸せでしたか?って自分に聞いてみた。 
いつも誰かと争って、 
蹴落とさなきゃ落とされるっていう、恐怖ばかりで。 
何の肩書きもなくなった今のほうが、よっぽど幸せだ、と思う。 

今の私の使命は、子どもを守る、それだけ。 

今も、多くの人が、やっぱり「命よりお金」って思ってる。 
原発が必要だって思ってる。 
この日本で、彼らもきっと、 
私がやってた戦いを、今も繰り広げているのかなって思う。

聞きたくないことに耳をふさぎ、 
見たくないことに目を閉じている人に、 
真実を伝えようとする人は、 
いつの世だって、煙たがられてきた。 
ソクラテスだって殺された。 

煙たがられてもいい、 
そういう人たちの戦いが、早く終結するように、 
応援する自分でありたいと思う。 
もちろん、自分の戦いも、まだまだ続くわけだけれども。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

25日

5月25日 本当にどうしたらいいかわからないよ

ママ原勉強会の講師にも来ていただいた、平和学の専門家、足立力也(通称リッキー)さんの日記

 

      *      *      *      *      

 

 行ってきたよ、見てきたよ、フクシマ。 

 マジヤバいよ、フクシマ。 

 まず、マイミクsaikomsさんからガイガーカウンターを借りる。 
 もともと、このガイガーカウンター、アラームがなるデフォルト値が0.3μSv/h。 
 福島駅でその値をあっさり超えた。 
 駅前東口の空間線量率で1μSv/h。 
 いきなりピーピーなりだす。 
 周りには、普通に駅の利用者がいる。 
 慌てて、早速アラームの閾値を2μSv/hに設定し直す。 
 んで、同じ東口で、側溝の上に近づけてみると、一気に3μSv/h超え! 
 またもピーピーピーピー、アラームが鳴りだす。 
 ひええ! 

 

 ※参考までに。 
 1μSv/h=年間8.76ミリシーベルト。 
 3μSv/h=年間26.28ミリシーベルト。 
 いわゆる「20ミリシーベルト問題」を軽く突破のヤバすぎる値! 
 福島市もこりゃアウトだよ。 

 海岸線。 
 新知町~相馬市~南相馬市まで走破。 
 海岸から内陸数キロにわたって、マジで真っ平ら。 
 もうそれは見事なほどに、真っ平ら。 
 2カ月たってんのに、復旧どころか、片付けすら終わる気配がない。 

 街中、田んぼ、屋根の上。 
 船があちこちに転がってる。 
 小舟なんかはもちろん、結構なトン数ある船も陸の上。 
 普通の重機なんかじゃ絶対持ち上がらん。 
 どーすんだコレって感じ。 
 相馬市松川浦の漁港付近は、まだ信号も復旧してない。 

 イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが瓦礫撤去のボランティアをしている

 南相馬市の現場もお邪魔した。 
 おばあちゃんの一人暮らしのお宅。 
 線量計を持って行ってたので、あちこちはかってくれと頼まれる。 
 家の中、側溝、蔵の中、そして畑。 
 特に、畑で作っている野菜を食べてもいいかどうか、心配していた。 
 畑の地表は0.6μSv/h。 
 ちゃんとベクレル値で測ってないから正確には分からんが、 
 そんだけ出てたらやっぱやめたほうがいいよな、ってんで、 
 食べないことにした、と後から連絡を受けた。 

 そして、件の飯舘村へ。 
 南相馬市・原町区は平均して0.22μSv/hくらいだった。 
 それが、八木沢峠を越えて飯舘村に入ると、突然線量率が上がる。 
 一気に1→2→3μSv/hへ。 
 アラームがけたたましく鳴りだす。 
 上述したように、いわゆる「20ミリシーベルト」で考えてもアウト。 
 めんどくさいので、アラームの設定値を6μSv/hに設定し直す。 
 役場前も3μSv/hくらい。 

 我々が役場に着いた時、幼児を乗せた幼稚園の送迎バスが 
 ちょうど出て行くところだった。 
 早く逃がせ、アホたれ!!! 

 菅野村長とも面談。 
 やつれた表情、うつろな目。 
 ダメだ、こりゃもう精神的に疲労しすぎだ。 
 対応能力を失っている。 
 ちょうど長野県中川村の曽我村長からケータイに電話が入る。 
 どうも、俺のツイートを見て、俺が飯舘村にいることをつかみ、 
 連絡してきたようだ。 
 「こっちにも村営住宅で受け入れるよって菅野村長に連絡してるんだが、 
 返事がないんだ。聞いといてくれないか?」 
 早速菅野村長に聞いてみると… 
 「申し出はありがたいが、そういう話をたくさんいただいている。 
 ひとつひとつに返事を出せる状況じゃない」 
 「今電話があったばかりなので、コールバックしますけど」 
 というと、おおきくかぶりを振って 
 「いや、いい、いい」。 
 ダメだ、行政単位では村人を救えない。 
 同日夜、中川村・曽我村長に電話、事情を説明。 
 曽我さん「一本釣りしかないか…」 
 行政という枠にとらわれない曽我さんの行動力に期待。 
 そして菅野さん、責任感は分かるが、1日でも休んだほうがいい。 
 今の状態では村民が犠牲になる。 

 役場を後にした我々は、村の方の案内で、飯舘村一番の「ホットスポット」へ。 
 長泥(ながとろ)地区というそうだ。 
 そこに行くには、役場から峠をひとつ越えるのだが、 
 そこを越えた途端、ガイガーカウンターのアラームがピーピーなりだす。 
 外に比べて車の中の線量率は4割減と言われている。 
 それでも6μSv/hを超えたってことは…外は10μSv/hくらい!? 
 やってられん、アラーム閾値を10μSv/hに設定しなおしじゃ! 
 長泥地区に到着。 
 車外に出ると、あにはからんや、またもアラームが… 
 数値を見ると、12μSv/h。 
 ここまでいくと、もう殺人的。 
 年間で換算すると、100ミリシーベルトを超えてる。 
 原発の現場労働者が通常認められている「5年間の積算線量」が 
 100ミリシーベルト。 
 そして恐ろしいことに、まだそこに人が住んでる!!! 
 9割は逃げたが、逆に言うと1割まだ残ってる。 
 実際、焚火をしている女の人を見かけた。 
 マスクはつけてたが、ここまで高いと、マスクなんかもう意味がない… 
 いや、内部被ばくを考えると、せんよりマシだが、そんなことを 
 議論するような値じゃない。 
 人生諦めないで欲しい…。 

 しかしいろいろあるのだ、特に飯舘村の避難問題は。 
 なだけにもどかしい。モヤーっとする!!! 

 で、その長泥地区でもとびきりのホットスポットへ。 
 案内役のAさんが「ここ測ってみましょうか」 
 ある雨どいの下にガイガーカウンターを置くと… 
 あっという間に値が上昇、軽く500μSv/hを超える!!! 
 年間になおしてみてみそ。 
 500(μSv/h)×24(時間)×365(日)=43800000μSv。 
 =4380ミリシーベルト。 
 =4.38シーベルト。 
 2時間いれば、普通の人が浴びていい年間の限度を超える。 
 本当はガイガーカウンターをじっくり置いて計測しないといけないのだが、 
 とてもそんな悠長なことをしてられる現場じゃない。 
 実際は500を軽く超えてるようだ(写真参照)。 

 ひとつ確認しておきたい。 
 「放射線管理区域」というのがある。 
 簡単に言うと、「普通の人は入っちゃいけませんよ」という場所。 
 一番身近なのが、病院のレントゲン室。 
 この区域では、いろんな規則がある。 
 例えば、モノを食べちゃいけない、飲んじゃいけない、液体や塵を 
 床に落としてはいけない(ちょっとでも落とそうもんなら必死こいて除染して 
 始末書書いて上司に「すんませんでしたー!!!」と頭を下げまくらねばならない)、 
 そして決定的なのが「子どもを入れてはいけない」。 
 その「放射線管理区域」に指定される基準の値が、 

 0.6μSv/h 

 なのだ。 
 600μSv/hってことは、その1000倍!!! 
 どんだけめちゃくちゃな値か、これで分かると思う。 

 ついでに(?)ベータ線も測ってみた。 
 普通、そこらへんではベータ線はほとんど検出されない。 
 これまたぐんぐん値が上昇、ヤバい、ここに高濃度の放射性物質がある! 
 いや、そんなもんはガンマ線の線量率から分かっちゃいたけど、 
 ベータ線の収束量を見て寒気が走った。 
 とっとと尻尾巻いて逃げたさ。 
 それが普通の心理ってもんです。 
 それに慣れてしまった、慣らされてしまった飯舘村民… 
 マジでヤバいよ。 
 どうやって逃げてもらうか…なんという難題。 

 ちなみに、その村民たちが要求しているのが、「ホールボディカウンタによる 
 被曝測定」。 
 全身の被曝量を検査するもの。 
 原発の作業員たちが、作業後毎日測定するヤツです。 
 これによって、どんだけ被曝したか、あらかじめデータをとって、 
 本人がそのデータを持っていることが、今後非常に重要になってくる。 
 後でガンなどを発症した際に、被曝が原因だと証明するためです。 
 それを政府に要望しているのだがあっさり蹴られたそうだ。 

 それはもうヒトゴロシだよ。 
 どうにかこの要望を飲まさないと、飯舘村民が放射線被害症例の 
 モルモットにされてしまう。 

 実際、ある意味手遅れな部分がある。 
 一番被曝量が大きかったのは、おそらく例の「水素爆発」の後。 
 その時に大量に出たヨウ素は、もう検出できなくなってしまった。 
 放射性ヨウ素自体は検出できないくらい放射能が小さくなっても、 
 その時にくらった影響は後々まで続く。 
 その「証拠」がもう分からなくなってしまったのだ。 
 しかし、できるだけ早くホールボディカウンタによる被曝量検査をすることで、 
 少しでも後の補償などで正当な権利を得られる。 

 どうにかせにゃ!!! 

 平和学という学問=科学をつかさどる立場として、 
 これだけは断言しておかねばならない。 
 これはマジで戦争だ。 
 原発の作業員は、前線に送られる兵士と一緒。 
 放射線という弾丸がびゅんびゅん飛び交う中に突撃させられる。 
 その弾丸がびゅんびゅん飛び交う戦地を逃げなければならない避難民。 
 統制された情報。 
 抑制された行政。 
 何もかもが、戦争と全く同じ構図なのだ! 
 違うのは、普通の戦争は、戦ってるヤツら同士が話し合って和平すれば、 
 人が死ぬのもモノが壊れるのも終わるが、原発はそうはいかないってこと。 
 原発は話し合いになんか応じてくれない。 
 決して和平することのない相手と戦わねばならない、 
 戦争以上にタチが悪い究極の戦い、それが原発震災、原発事故なのだ。 

 ありとあらゆる危機感てんこ盛りの被災地訪問だった。 

 

      *      *      *      *

 

こんにちは、アメリです。

リッキーさんの日記、読みました。一応補足しておくね。

 

飯館村は今は計画的避難地域に指定されていて、早かれ遅かれみんな避難できます。

でも残っている人は自分の都合で残っている人も多いようです。

子どもや妊婦はいち早く逃がしているよ。

 

村長さんは一生懸命やっています。

村長が動けないのは、勝手にやれば保証をしてもらえないからだよ。

国が悪いのです。

村長も組織にいる以上、国には逆らえない、国が早くここへ行けと言うべきなのです。

そして私たちもヒドイと見ているだけではダメ。

知った情報をもとに国や福島県に訴えてください。

 

私からして見れば、計画的避難地域に指定された飯館村はうらやましい。

福島市や郡山市や二本松市なんかはそれこそほんとに逃げたくても逃げれないのです。

子どもたちがたくさん残っているの。

もう本当にどうしたらいいかわからないよ。

 

とにかく訴えるしかない。

デモも玄海を止めてっていう前に

福島県をもっともっと応援するデモにすれば良かったって後悔してる。

 

6.11のデモでは福島県の20ミリシーベルト撤回を強く強く訴えてほしいなと思います。

みんなー、よろしくね。

提案してください。

 

私は口だけで何もお手伝いできなくてごめんね。

早く自宅をなんとかします。

 

今日も頑張りましょう。

ありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

23日

5月23日 仕事に復帰しようか迷っています

4月の第1回のパレードに参加したティナです。

 

私自身は、4月末にさいたまの自宅に帰ってみたのですが、やはり子どもの被ばくが避けられないと思い、福岡に戻ってきました。

 

一番、危険だと思ったのは保育園です。「さいたまは値が高くないから」という理由で、外遊びも通常通りだし、給食の食材も牛乳も、近隣の県のものが出されています。

 

職場の永田町にも行ってみましたが議員会館の地下2F室内でも、0.14マイクロシーベルトもあり、ショックでした。測定器を持ち歩いている先輩に聞いたら、都内のオフィスで仕事して帰るだけでも、1日の累積は3マイクロシーベルトに達することもあると言っていました。

 

子どもたちは、さいたまに戻さない方がいいとは思っていますが、私自身はどうするべきか。永田町で仕事に復帰した方が、多くの子どもたちを守るために何がしかの役にたてるのではないか?と迷っています。次女にもっと母乳もあげたかったし、3人目もほしかったのですが…

 

(ティナ)

 

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2011年

5月

22日

5月22日 昨日のパレードのご報告

今回は、道路申請もしない、ほとんど告知もしない、

こじんまりしたパレードをしようということで、

ふたを開ければ、集まったのは約十数名(うち子ども3人)でした。

 

いつもの、緑マントにひまわりの造花を頭につけた10人組。

最初は公園の人たちに、署名を集めたり、お話をしていました。

そのうち、某団体と重なりそうになったこともあり、

急いで公園をおいとまし、歩き始めると、

中央署の方々がやって来られて、

「プラカードはだめ」、「垂れ幕もだめ」・・・。

 

今回のパレードでは、全国でもママパレードが広がることを願い、

「いかに手間のいらない、効果的なパレードが組めるか」

というところに焦点を絞ってみたのですが、

「道路申請」は欠かせないようだ、ということは一つわかって良かったです。

(当たり前だろ!笑)

 

道では、ラジカセで音楽をつけながら、

「原発いらない」

「子どもを守ろう」

「電気は足りてる」

「今こそ変わろう」

「日本を変えよう」

というコールや、メッセージをしながら歩きました。

 

道の途中では「がんばれよ!」という声も何回か聞こえて、

初めての経験だったので、とてもうれしかったです。

確実に、脱原発の賛同者は増えているんじゃないか!と思いました。

 

ミーティングは、いつもならドタバタなのですが、

久々に心行くまで語り合うことができ、

本当によかったです。

これから、ママ原として何をしていったらいいのか。

いろんな青写真が描けました。

 

・もっと地域のママたちと交流を深めること

・東北、関東からの避難者の受け入れ先を議員に訴えること

・このHPを充実させていき、原発の問題を初心者でもわかりやすいものにしていくこと

・全国の脱原発ママ団体の活動をまとめたHPを作成すること

・ママ原の活動内容を、映像として配信していくこと

等々。

一つ一つ、具体化させていこうと思います。

 

そうそう、ミーティングが終わった後、カレーを食べに行ったのですが、

その道すがら、3歳のうちの子Tが拡声器を持って、

「Tちゃんは、東京から避難してきました。お願いします」と言いました。

それだけでもびっくりだったのですが、

すると、今度は少しお姉ちゃんのSちゃんが、

「Sちゃんは、原発いりません。お願いします」。

それを聞いたうちの子が、

「Tちゃんは、東京いりません。お願いします」。

 

かわいい演説に、道行く人たちも笑っていました。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

21日

5月21日 母乳から放射性物質

市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は518日、厚生労働省で記者会見をし、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、福島、茨城、千葉在住の5人の母乳からヨウ素が、また、福島、茨城、東京在住の4人からセシウムが検出されたと、データを公表。国や自治体に対し、全数調査を行うように訴えた。

 

 母乳の検査は、前回4月21日に公表した9人に加え、新たに福島県、茨城県、千葉県、栃木県、東京都在住の母親計40名から母乳の提供を受け検査をした。検査の結果、茨城県土浦市在住の母親からは、1キログラムあたり、セシウム1378ベクレル。福島県福島市の母親の母乳からは、セシウム134 5.1ベクレル、福島県西白河郡の母親からは、セシウム1344.8ベクレル、セシウム1375.7ベクレル。福島県いわき市の母親からは、ヨウ素131 5.5ベクレル。東京都三鷹の母親から、セシウム1374.8ベクレル検出した。

 

 17日発表された政府の調査では、母乳から放射性物質が検出されなかったとされているが、5月になってもヨウ素が検出されていることから、福島第一原発の 放射性 物質の流出が止まらない限り、母親が新たに放射性物質を摂取する可能性は否めない。東京在住の母親からもセシウムが検出されていることから、母乳調査・母子支援 ネットワークの発起人で四日市大非常勤講師の河田昌東さんは「特定はできないが、食べ物、飲み物が原因と考えられる。今後広い範囲で母乳の放射線汚染が出てくる可能性もある。さらに多くの調査を国や地方自治体が実施する必要がある」と訴えた。河田さんによると、母親が摂取した放射性物質の20%が母乳に入るのだという。

 

 日本の食品の暫定基準は、飲料水/牛乳・乳製品が、ヨウ素で1リットル300ベクレル以下、セシウムでは1リットル200ベクレル以下と定められているが、1リットル、ヨウ素、セシウムともに1リットル10ベクレル以下としているWHOの基準より、20倍から30倍緩い基準となっている。また野菜に関しても、日本では1キロあたりヨウ素は2000ベクレル以下、セシウムが500ベクレル以下とされているが、欧米の基準は1キロあたりセシウムは370ベクレル以下とされている。日本が食品を輸入する際の基準値も同じ370ベクレルとなっている。

 

記者会見の動画はこちら→Our Planet-TV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1055 

 

 ドイツ放射線防護協会・日本における放射線リスク最小化のための提言、によると乳児・子ども・青少年は、1kgあたり4ベクレル以上で、成人は、1kgあたり8ベ クレル以上のセシウム137を 含む飲食物を摂取しないことが推奨されている。【転載終了】

 

   *   *   *   *   *   *

 

とても重いニュースだよね。

私も本当に心が痛い。

私は19日に福島で行われた記者会見に応援にかけつけ、

そのまま参加させてもらって発言させていただきました。

質疑の中で、人数や数値は低いと見解する方もおられると思うがどうお考えか?と、、

私、耳を疑いました。そんなバカなこと言う人がいるの?悲しい現実だよね。

 

母乳ネットの方は淡々と答えていました。

確かに低い数値かと思う方がいるかもしれない、

けれど今その位出ていればもともとはもっと高かった可能性もある、

出ているという事実を受け止め対応していただきたい等々、、

 

私は気持ちを押さえきれずにマイクをお借りして、

私も現在まだ母乳をあげてる身としてこの事実は大変苦しいものであること、

5人も出ていることのどこが少ないのか、

一人でも大切な命、たった一人が出たとしても国は大きな問題として取り上げるべきだ、

と訴えました。

 

母乳から出た5人の方、未来を担う赤ちゃん達、その方達はどうなってもいいの?

少なかったら問題ないことなの?当事者じゃなかったら関係ないの?

悔しくて悲しくて怒ってます。

 

これからも私達はそのようなママ達も含め、苦しんでいるママ達を応援していこうね。

 

今日もありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

20日

5月20日 福島に帰省して

お久しぶりです。
皆さん、お元気ですか?

祖父の初七日も無事に終わりました。

私がいる宮城県名取市は、仙台市のすぐ南、空間線量は高い所で0.6マイクロシーべルト毎時ありました。
私が滞在中の兄のマンションは11階のため0.1マイクロシーべルト毎時です。
私は場所によっては仙台市もとても危険だと感じています。

私達は料理にミネラルウォーターを使っています。歯磨きのうがいもミネラルウォーターです。
短期間の滞在のため頑張れますが、長期間いる方にとっては難しいですね。
私達でさえ、もうミネラルウォーター30本は使っています。

野菜は産地を選んで購入。
佐賀県産たまねぎにはずいぶんお世話になっています。
あとは海外産(なるべく有機)を選んで買っていますが、限りがありとても疲れる、、、。
福島や宮城にもスーパー0べクレルのお店がほしいです。

昨日は福島市入りしました。
福島と宮城の県境ですでに0.8マイクロシーべルト毎時はありました。
福島市街は1.5マイクロシーべルト毎時、、、これでもだいぶ低くなったんだよ、と主人に言われました。
現実を目の当たりにし愕然とすると共に怒りさえ覚え、悲しみの涙さえこぼれました。
美しかった福島は今はありません。

久々に自宅に戻りました。
壊れた窓の隙間からたくさんの虫が入り住みかになっていました。
クモの巣もはっているし、なぜか鳥の糞まで、、。
でもやっぱりホッとする。
マスクを外して思い切り空気を吸い込んで伸びをしたかった。
たくさんの思い出がよみがえり、被爆してもいいからここで暮らしたいとも思いました。
避難地域のお年寄りの気持ちが痛いほどわかりました。

でも私は大切な子ども達を守らなければいけない。福島市にはサヨウナラしなきゃね!
私の家からは福島市の夜景が一望できます。
この景色を二人一緒に見れるのは次はいつなんだろうね、、と主人と話し帰路につきました。

福島市民の様子は、話に聞いていた通り、みんな普通に生活しています。
0.7を越える場所で小さな赤ちゃんと2歳位の子どもを連れた若いお母さんが
マスクなしでお散歩をしていました、とても楽しそうに。
福島がいかに安全神話を作っているか、危険を知らせていないのかがわかりました。悔しいです。

福島でいつもお世話になっていた、天然酵母パン屋さんに
福岡から持って行った資料や冊子を届けに行きました。
ここのパン屋さんは原発事故前から脱原発を訴えていた仲間でもあり
県庁前にての座り込みにも一緒に参加したことのあるとても意識の高い方です。
福島の現状や避難したい方がいるかお聞きしたところ、
アトピーやアレルギーを持つお子さんがいるお母さんが避難したがってるとのこと、
福島では布団も洗濯物も外に干せない状況、窓を開けて掃除もできない、
アレルギーを持つ子はつらいですよね。

集団疎開ができる場所がないかと聞かれました。
福岡には廃校になった学校がたくさんあります。
そういった場所を利用できないでしょうか?

私達ができること、、
福島の方々にまず現実を知ってもらいたい。どうしたらいいのかな?
ガイガーカウンターを送るプロジェクトはとてもいいよね!
それからニーズに合った場所の提供。

それから、フクシマの事故を忘れず、
私達も長いスパンで活動していく必要があります。
ずっと訴え続けましょう。

また、報告しますね!
明日のパレード、楽しんでね!
たった一人でも原発の危険性や福島のことを知ってもらえたら
パレードをやった意味があると思います。
私はこちらで私にできることを頑張ります。

では、また会える日まで!
みんないつもありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

18日

5月18日 九電交渉

 

九電交渉、行ってきました。

九州中から、脱原発を求める団体、個人、約180人が集まりましたが、

中に入れたのは40人だけで、私たちは外にあるスクリーンで、

中の様子を見ることになりました。

 

u-streamの配信を断られるなど、ハプニングもありましたが、

何とか最後まで見ることができました。

http://www.ustream.tv/recorded/14781925

http://www.ustream.tv/recorded/14781817

 

個人的には、1〜4号機までメルトダウンしている可能性が高く、

汚染もチェルノブイリを上回ってしまった今の日本について、

もうどうしようもないような気持ちになっていたのですが、

ここに来ているママたちとお話ししたりなんかして、

元気を取り戻しました。

 

どんな状況でも、やることやるしかないもんね!

 

(トニーネ)

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2010年

5月

25日

北九州市役所へ行きました。

23日に、北九州市役所に行きました。

瓦礫の試験焼却の日で、わたしは将来子どもも欲しいし被ばくしたくないと思い、

電話やFAXでの抗議にしようと思っていたのだけど、もういても立ってもいられずに1人で博多駅に向かうバスの中でエリーさんのメールを見て、結局車で拾ってもらい六人で向かいました。

 

わたしは今回、初めて役所への直接アクションの場に行きました。

直接環境局の人とお話したり、秘書室前の人間バリケードを見たりして思ったのです。

 

「絆」の名の下に全国で行われている、瓦礫の広域処理。それが生み出しているものは、皮肉にも人々の対立です。

俯きがちにわたしたちの意見を聞く環境局の人たち、秘書室前で人間バリケードを作る能面のような顔をした職員の人や警備員さん。

そして、それに納得出来ない人びと。

 

「絆」って、一体何なんだ?と。

これを「絆」と呼ぶのなら、こんな絆は絶対に必要無いと。

 

原発は必要だ、必要無い、とか、

瓦礫は受け入れるべきだ、受け入れるべきで無い、とか。

 

日本には、世界には、もっともっとたくさんの色んな問題があります。

だけど、わたしが1番哀しいのは、人びとの分裂です。

意見が違うことは悪いことでは無いと、わたしは思います。

信念のある者同士がお互いに主張してぶつかるのは、当たり前のことだと思うから。

 

だけど、今回のように、その意見が違うもの同士のバックボーンが違いすぎるときには一体どうすれば良いのだろうと。

 

今回の場合、わたしは1人のただのいち福岡市民で、対する相手は行政です。

そういった場合、やっぱり立場が強い側が、歩み寄ることをしなければ問題の解決は難しいと思います。

その点で、今回の瓦礫の試験焼却に関しての北九州市がとった行動は、歩み寄りがあったとはとても言い切れないものだと思います。

事前に、市民に対する説明会がじゅうぶんに行われたとは、とても言えません。

そんな中、試験焼却に対して不安を抱えている人たちの意見を力で押し通すようなかたちで、試験焼却が始まってしまったことがとても残念です。

 

もちろん、ここで終わりなんて全く思っていません。

瓦礫に関して言えば、本焼却は絶対にさせないために、自分の出来ることをするつもりです。

だけど、本当に北九州市市役所の対応は、残念極まりなかったです。

 

わたしのような普通の一般市民は、コツコツと草の根運動を続けていくしか無いのだと、改めて実感しました。

そして、それがとても大切なことなのだとも。

そんな中で、「面白きこともなき世を面白く」していきたいですね

 

ノンノン

 

 

 

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先日の「つながろうよ! in 福岡」のキックオフでは・・・ 

ママ原メンバーの日々の声を届けます。。

過去記事はhttp://stopgenpatsu.blog60.fc2.com/にもあります。

2014年

3月

12日

パパと猫を東京に残して引っ越してきました。

 

わたしはママと二人で福岡に、パパと猫を東京に残して引っ越してきました。

ママは産地を聞いて安全なものを食べています。

原発(事故)がなかったらな。

なければなんでも食べられるのに。

もっとお魚が食べたい。

震災前の缶詰を時々食べています。

お鮨の美味しさは分かりません。

小さい時はお刺身が食べられなかったから、納豆巻きと玉子とかっぱ巻き以外食べたことがありません。

シラスご飯が大好物だったとママが言うけど、味はもう覚えていません。

福岡はお友達もできてとっても楽しいけれど、大人になったら仲良しのお友達と東京に遊びに行きたいです。

パパのお家に泊まってスカイツリーに登ったりディズニーランドに行きたいな。

ディズニーランドは、子供のうちだったらプリンセスのドレスが着れるのに。

でも今は東京には全然帰っていないから行けません。

だけどいつかは絶対東京に遊びに行きたいです!

東京はとても楽しいところです。

福岡も楽しいけれど、どっちも楽しい。

だからいつかは東京にも帰ったり遊びに行ったりしたいです。

 

 

(匿名/6才女の子/東京→福岡)

 

 ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

12日

どうして原発があるのかしりたい。

 

 

わたしは、3年まえにだいしんさいがあってひっこしてきました。

わたしは、やっぱり原発は、いやだなと思いました。

どうして原発をつくるんだろうか?とおもいました。

東京のほうが、わたしとしてはにぎやかでいいし、ともだちもいっぱいいるし、ほいくえんのときずっとちいさいときにいっしょだった先生がいたからです。

原発(事故^^)がおこったからひっこししなければならなくなりました。

 

 

(Saya/8才/福岡在住)

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

10日

私はこう思うと発する影であの人が傷ついてやしないかと

3年

言葉になりません

3年たった自分の思いをどう言語化してよいのか。

1度口火をきったらたくさんの迷い、とまどい、葛藤、ありとあらゆるマイナスの

感情がでてきてしまうのではないかと。

 

私はこう思うと発する影であの人が傷ついてやしないかと。

そしてこう思うことで自分も。

 

子どもたちの笑顔に影を落とす選択は私はしません。

私は子どものため、私のために、笑顔でいる時間を増やしました。

罪悪感も伴いながら。

その重石を減らすために、どうしたらよいのかと考え続けました。

 

変わらず笑顔でいる人に、あなたは何を考えているのですか?

疎遠になってしまった友人に、今は何をどうしていますか?とたずねたい。

 

被害者意識はとうに捨てました。

私は世の中の思い描く被災者・避難者像に答えるのはやめました。

 

同情も重いが、あなたとは違うから、という突き放さ方もさみしかった。

 

人生は選択の連続だと言うけれど、前に進めているのでしょうか。

 

 

友人の顔、家族の顔を想い描きながら、元気でいてくださいと思います。

 

いろんな感情が噴出しますが、それでも私はすべては幸せに向って

つくられていると思っています。創っていけると。

 

3年間よくがんばりました。

支えてくれた方々、仲間たち、地球、すべての存在たちに感謝をこめて。

 

幸せでいてくださいね。

 

 

 

(E.Y 311後宮城県から移住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

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2014年

3月

07日

電気が足りなければ足りない分我慢すればいいと思うから。

 

 

僕が小学生になる少し前に原発の事故がありました。

地震と津波で沢山の家が壊れて、原発も壊れて怖いなと思いました。

でも、僕の住んでる所はそんなことはなくてよかったなと、僕は思っていたと思います。

お父さんが、原発なくさなアカンと言ったことを、どうしてなのか分かりませんでした。

おじいちゃんやおばあちゃんは、電気が足りなくなるから原発はいるんだよといっていたからです。

 

僕はゲームが好きです。

そのゲームをするのにも電気がいります。

だから、電気が足りなくなるのは嫌だなと思ったら、原発はいるんじゃないのかなとお父さんに話ました。

 

お父さんは、放射能の話をしてくれました。

放射能を浴び続けると病気になって大好きなゲームも出来なくなるし、友だちとも外で遊べなくなることをききました。

それと、原発が壊れたところに近い場所は子どもが外で遊んだりすることも出来なくなっているときいて、可哀想だと思いました。

 

どこかの原発でまた、事故があったら遊べるところがなくなってくるし、病気になる人が増えるんだと思うと、なくていいかもしれないと思いました。

 

電気が足りなければ足りない分我慢すればいいと思うから。

病気は我慢すること出来ないから。

 

いろんな事をお父さんからきいて、いろんな事を考えるけど、まだ本当はどうしたらいいのか分からない。

 

だから、もっと勉強してどうしたらいいのかをお父さんやお姉ちゃんと考えていこうと思う。

 

 

 

 

(清貴くん/小3/愛知県在住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

 

 

 

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2014年

3月

05日

ママは原発いりません~4年目のメッセージ~ 4

原発事故から3年。

事故直後、私は幼い娘を連れて遠く福岡まで母子2人で避難し1年を過ごしました。

 

思えば、あの事故が起きてからずっと私は何かに怖れていました。

放射能で子どもが病になったら…

原発がまた事故を起こしたら…

大地震がまた起こったら…

そんな怖れがいつも心のどこかを占領していたのです。

 

私の福岡での1年はママ原と共にありました。

大好きな仲間との活動は私を助けてくれたし、本当に充実した時間だった。

だけど、いつもどこか悲しくて苦しかった。

それは私が怖れに支配されていたからだった。

怖れから逃れるために、何かから自分を守るために、私は原発はいらない。放射能は危険だ。と声を上げていたのです。

 

事故から1年後、主人の赴任先の離島へ家族で移住し、島で家族や周りの人たちと関係を丁寧に築いていく暮らしの中で、私はそのことに気づいたのでした。

そして、怖れからではなく、自らの心で全てを選びとる、自由な生き方をしようと決めたのでした。

 

 

よい意見だなと思うから賛成する。

キレイな米や野菜が食べたいから選ぶ。

自然エネルギーの電気で暮せたら素敵だなーと思う。

好きだから選ぶ。

やりたいから選ぶ。

そう決めたから選ぶ。

決めたからには自分で責任をとる。

そんな風に生きていこうと決めました。

 

怖れの支配から解かれると、自分がとてもニュートラルな状態になりました。

そうなると、不思議と自分の歩いて行きたい道が見えてきたのです。

 

今、私はある自然療法のセラピストとして仕事をしています。

今後は関東を中心に活動し、いずれは関東、東北の病や障害を持つ子どもへのセラピーを専門にしていきたいと考えています。

 

私の選んだ道です。

もう悲しくも苦しくもない。

ただ未来へと歩んで行くことにわくわくしています。

 

 

私は、その未来には、今と変わらず子どもたちの笑顔があると信じているのです。

 

 

 

(ママ原メンバー/4歳児母/離島在住 4月から千葉へ移住予定)

 
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2014年

3月

04日

子どもたちの声 

もうすぐ3月11日です。

東日本大震災が起こって3年。

原発が危ないものだと分かってもうすぐ3年が来ます。

 

私は3年前は小学校の3年生で、もうすぐ4年生になるというところでした。

その時は、『原発が爆発して怖いな』と思ったけれど、その怖さもすぐになくなってしまいました。

それは、周りの友だちもそうだったからです。

家族の中で、お父さんだけが『原発は安全じゃなかったんや、原発なくさなあかん』と私や弟に話してましたが、どうしてなくさなければならないのかが私にはわかりませんでした。

 

1年ぐらい過ぎた時に、私の学校に転校生が来ました。

福島県の近くから避難してきたと話してくれたとき、私は『避難しなきゃダメなくらいなのかな?』と疑問を持って、お父さんにその話をしました。

お父さんは、放射能のことを簡単に教えてくれました。

そして、福島やその周りの人は放射能を私たちより多く浴びて体が悪くなっていくかも知れないから早く避難して欲しいと真剣な顔で話してくれました。

避難してきた友だちに、その話をすると『私のおかあさんも言ってた、体が悪くなる前に逃げようって』

その時はじめて、逃げなきゃならないくらいに怖いものなんだとわかった。

 

そして、原発いらないと言うお父さんと一緒にいろんな事を調べたりして友だちにも話したりして、みんなで電気のこととかエネルギーのことを真剣に考えてきた。

そして、放射能の汚染に苦しむ人がこれ以上増えないようにどうすればいいのか大人も子どもも一緒に考えていかないとと今も考えて考えて、悩んで悩んで、それでも、わからなくてわからなくて…

 

中学生になればもっと分かるかな?

もっと考えられるかな?

 

私の3.11は現在進行形です。

お父さんと一緒に原発いりませんです。

 

(絢音ちゃん/小6/愛知県在住)

 

 

ーママは原発いりません 4年目のメッセージー

 

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2014年

3月

02日

ママは原発いりません ~4年目のメッセージ~ 3

 

 

あの日から、311から3年かぁ。。。

311という言葉を目や耳にするたびに、後悔で押しつぶされそうになる。
なぜ私は 東京という汚染地に4ヶ月も留まってしまっていたんだろう。
目の前にいた子と、お腹の中の子を被曝させてしまった。

その後悔がキッカケとなって、色々な事を知った。
本当に色々な事を。
生きているって、元気で笑っていられるって 当たり前じゃない。
やっと気づけた。

その時・瞬間・刹那の小さな奇跡がいくつも重なって、そういられる。

私が避難してきたのって、子ども達の小さな奇跡を守るためだったのかもなぁ。と考えると妙にシックリくる。

私は 子ども達が、より多くの小さな奇跡を起こせるようサポートをしていこう。
自分自身を見失わないよう、しっかりと前を見て 背筋をピンと張って。



この子達の 1番のサポーターは、母親の私だから。
覚悟はできてる。
覚悟ができてるから、図太く今を生きてこう。

そして、子ども達が 小さな奇跡を起こしている間に、次の一歩を踏み出す覚悟もしてこう。
一歩踏み出したら、また手をあげてみよう。

そうやって、私達は生きていく。
捨てた土地にも人にも振り返らない。


ただ姿勢よく 前を見続けるんだ。

 

 

(ママ原メンバー/1才、3才男児母/東京より母子移住)

 

 

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2014年

2月

27日

ママは原発いりません ~4年目のメッセージ~ 2

原発事故から3年、事故直後と違い、原発による避難者も多様化してきました。


家族の理解が得られず汚染地に戻る人、離婚する人、転勤で家族揃って移住する人、海外へ行く人。

 

未だに避難できず苦しい思いをされている方もたくさんおられると思います。

 

私個人としては、今は避難ではなく移住として生活を確立する時だと感じています。


 

3年経った今でも、日本人が福島の事故から学ぶことは、まだまだたくさんあると思います。

 

原発は必要か?必要ないのか?

 

必要ないならどういったエネルギー政策を考えていけば良いのか?

 

これから先も続いていくであろう被曝についてどう考えるか?

 

都知事選でも脱原発が争点になったように、個人個人が調べて考え、意見を持つ必要があるのではと思います。

 

なんとなく他人事と思っている人もいるのではないでしょうか?


事故は収束とは程遠いのに放射能を気にする人は少数派だし、原発や政治について気軽には話せない雰囲気が日本にはあります。

 

でも、人任せではなく自分達の意見で変えていかなければという危機感を持つ人が少しでも増えるように、一お母さんとして伝えることを続けていきたいと思っています。

 

子ども達へ負担を残さないで済むような未来が選べるように祈っています。


 

 

(ママ原 メンバー/3才男子母/2011年6月より 福岡へ母子避難) 

 

 

 

 

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2014年

2月

19日

ママは原発いりません ~ 4年目のメッセージ ~

 

3.11 から3年が経とうとしている。
もの凄いショックから、ようやく日常生活を取り戻しにかかっているこの頃ー
 
あの大きな地震、東京でも立っていられないくらいに感じた揺れ、テレビ映像で見た全てをのみ込んでいく津波、
しかし今思えば、何よりも私にショックを与えたのは、福島原発事故に対する日本政府の対応、そしてそこから知ることになった社会の構造だった。
 
水俣からも学んだ。政府は一度でも、”魚が水銀に汚染されているから、食べるな” と伝えたことがないと。
 福島の友人から学んだ。国は決して助けてはくれない、と。
 
 
じゃあいったい、毎度テレビで、”国民の皆さんのために” を繰り返しているあの政治家たちは一体何なんだろう?
 政治を、この社会のシステムを、変えなくちゃどうにもならないことに気がついた。そんな人が沢山いる。
 
 
 
人は皆それぞれの立場にいる、誰も悪かろうと思ってやってきている訳じゃないんだろう。相手の立場に立ってみる、言うのは簡単だけど、難しいことなのかもしれない。
私たちは愛を持って歩みよらなくちゃいけない。
 

"和” を信じて。”愛” を持って。
 
LOVE is The Movement!
 
この言葉の意味が解りかけてきたこの頃。
 
 
 
(ママ原メンバー /小学2年母/2011.3.13 東京より福岡へ一時避難。後に福岡へ移住)
 
 
 
 
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2013年

7月

17日

選挙フェス ☆ 政治をマツリゴトに!

 

緑の党 グリーンズジャパンから、全国比例区に推薦候補として出馬中の三宅洋平氏☆


自分で選挙に出てみてー
わかったんだよね、何にもしないで文句ばっかり言ってたってこと。
1票なんてね、紙に名前書いただけだよ。
票を入れた人が、公約を達成できてなくて、あの人困ってるんやろな、って思ったら、
その人の事務所まで行って、わし、今日暇じゃけん、手伝えるぞってー
言いにいける人が、どれだけ俺の後ろにいるか?が、おれの政治力になるんよ。  (選挙フェス・福岡にて)


そう。
応援してます!って言ってくれる人はたくさんいて、実際1票も入れてくれるんだろうけど、でも、足をわざわざ運んで、手伝うよ! って自分から来てくれる人、圧倒的〜に少ない。


みんな仕事もあるし、家庭もあるし、こどもも小さいしで、忙しいのは承知です。


でもね、みんながちょっとずつ無理する、背伸びする、参加する、そうしないと、わたしたちの願いはやっぱり政治には届かないー んじゃないかと思う。


今までと同じことしてたんじゃダメなんだよね。


だって、自民党の街頭演説、見てみなよ。 あの人の集まり方。もちろん、いろんな利権も絡んでいるでしょう。

でも、人をそれだけ拘束できる時点で、すでに私たち勝ててないんだよね。
私たちができることは、やっぱりつながっている人たちが、少しずつでいい、
ちょっとずつでいいから、時間をさいて、1人2〜3回くらいは、何か手伝いに ”絶対” 参加する、くらいの気構えがないとさ。。



でも、皆、とにかく、まずは、選挙へいこう!


以下、ひさしぶりにシビレタ三宅さん情報です♡ 

★【ナマ中継】の簡単な探し方http://t-proj.com/twitter/?q=三宅洋平…上記 Twitter 検索で出てくる三宅洋平ツイートの中から、USTやツイキャスのリンクをクリック!
◆選挙フェス スケジュールhttps://miyake-yohei.jp/schedules/…投票日までの予定が確認できます
◆選挙フェス タイムテーブルhttps://miyake-yohei.jp/category/活動報告/…当日の予定がUPされています

◆1ページでわかる 三宅洋平http://ym.aso3.jp/…三宅洋平を知らない人、もっと知りたい人、友人・家族に知らせたい人におすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年

4月

15日

ママは原発いりません 愛知・岐阜  立ち上がりました!

ママは原発いりません 愛知・岐阜 の発起人、杉本さんからメッセージを頂きました。(杉本さんはパパです!) 

広がれ広がれ! わたしたちの輪〜っっ♡

 

 

 

ののこさんの『100人の母たち』を知って初めてママ原の存在を知りましたが、私の想いと同じではないかと胸を打たれました!!

そして、愛知・岐阜で立ち上げるならママ原しかないと思ったのです!!

偶然の出逢いが私の気持ちを大きく動かしました!!

もし、この出逢いがなかったら、もしかしたら私は何もせず沈黙していたかも知れません!!全国のママ原メンバーへ是非、メッセージということでML掲示板にも書かせて頂きましたが…

 

初めまして、愛知県在住、看護師をしています。

この度、『ママは原発いりません愛知・岐阜』を許可を頂きまして立ち上げる事になりました。

愛知・岐阜に於いては、原発問題は風化し始めてその他の問題も対岸の火事のような感覚を多くの方が持っておられるようです。岐阜県土岐市の核融合実験施設建設も小さな市民運動はありましたが、多くの市民が内容も詳しく説明されず、『安全』だという言葉を信じて近隣3市は許可を出し県も追認してしまいました。

放射性物質は核融合によって生まれます。そして、それは人体に悪影響をもたらすこと、子どもたちにとって健康(生命)を脅かすものだということが現実のものだと思っていないのです。

そのような事が福島のような悲劇を繰り返すこととならないように、何とかしたいと…そして、たどり着いた答えが『ママは原発いりません愛知・岐阜』の立ち上げをして、福岡・秋田・鹿児島と共に想いを一つにしてネットワークを広げて行こうということでした。


現在立ち上げメンバーを選定して活動準備をしているところですが、FBページに『ママは原発いりません愛知・岐阜』を作成したところ、1日で100名以上の方がいいねを押して頂き、ママ原として活動する事に間違いはなかったと確信しました。

今後とも連携をとりながら想いを一つにしてネットワークを広げていきたいと思います。今ここで暮らす私たちと、被災地に暮らす人たちの「心」をつなげ、ともに未来を考えていきたいと思っています。

 

『ママは原発いりません愛知・岐阜』では、子どもたちを守る為の勉強会、情報交換会、また各種団体と連携をとりながら明るく住みよい未来となるような活動(プロジェクト)などを行っていく予定ですので宜しくお願いします。

 

 

どうぞよろしくお願いします!

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2012年

12月

05日

原発事故 こども被災者 支援法 福岡フォーラム

今年6月に成立した、「原発事故子ども・被災者支援法」をご存知ですか?

福島原発事故の被害者救済に熱意をもつ議員さんたち、被災者・支援者たちの努力によって成立した、画期的な法律で、その基本方針が来年1月までに決まる予定です。
原発事故から1年8か月が経ちますが、放射能汚染に苦しむ地域の住民も、避難した人々も、ほとんど何の国の支援を得られないままにいます。


避難・移住したい。故郷で暮らしたい。
それぞれの選択が尊重され、かつ生活再建の支援が受けられる。
健康確保のための検診や医療費減免なども整備される。


本当に必要な支援を実現するために、この法律について学ぶ、
 「原発事故子ども被災者支援法 福岡フォーラム」が去る11月21日に、同ワークショップが11月29日に催されました。


第一部で講演された、河崎健一郎弁護士は、
福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(Save Fukushima Children Lawyer's Network: 通称 SAFLAN) の共同代表。

SAFLAN は、避難区域外の地域であっても「避難の権利」が認められるべきである、という前提にたち、同法の立法、またその基本方針を具体化していくにあたって、並みならぬご尽力をされてきました。

第ニ部は、専門のファシリテーターの方による、ワールドカフェ形式のワークショップ。 ”本当に必要な支援は何か” を参加者全員で考えました。
”法律” というと、わたしたちは、政府のせいにしたり、
政治家がつくるものだと捉えがちですが、この法律は、わたしたちの声を届け続け、
実のあるものにしていかなければならないー 
自分たちが参加してつくり、活用していくものなんだ、ということを学びました。
どうもありがとうございました。

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2012年

10月

22日

宮脇昭先生の講演会へ行ってきました。


”人は太古の昔から、木を切り、森を食いつくし、そしてその文明は滅びてきたー”

植林の権威、国際的な生態学者であられる宮脇先生のお話は、メソポタミア、エジプト、ギリシャなどの古代文明に遡って始まりました。

ジブリのアニメや、何かの映画や物語で見たことのある、地球上の緑がなくなりつつあることへの喚起。文明という名の狂気が緑を焼き払った灰色の世界。
そんなメッセージを含んだ絵を、幾度となく見たように思うし、それが現代社会に警笛を鳴らしているものだということも知っていたけれどー


今日本には、そして世界にも、その土地古来の森、というのは殆ど残っていないそうです。
砂漠の3分の2は、人によってつくられたもの。 芝生の公園、 白砂青松と愛でられる海岸線の松林、これも土地古来の森を破壊してつくられた。松林は、海岸にあるものだとばかり思っていたけれど、、(そうではなかった〜)

日本の山々をうめる、人間が材木を生産するため人工的に造林したスギやヒノキなどの針葉樹は、人が手を入れ続けなければ維持できない偽物の森、その管理費なんと2億2千万。そしてほんの1年補償、だそうです。

先生が植えるのは、9千年保つような命の森。その土地本来の木々から成る森は、自らを育み、火事、地震、津波などの自然災害に耐える力を持つ。私たちはその土地古来の生態系を ”鎮守の森” に見ることができるそうです。

”まず、木を植える” 
考えているだけじゃ、20年何も変わらない。まず、木を植えれば、20年後には大きく育っている。

”やりながら考えなさい” と先生はおっしゃいます。
今できることを明日のためにやっていく、それが生きがいである、と。
健全な人間社会をとり戻す為に。

”とにかく、木を植える”

すごいと思いました。地球を本物の緑で覆いなおすこと、それを実践されているのです。


そして、改めて知りました。ジブリや、いつか見た映画や物語が、発信してくれていたことは、絵空事ではなく、私たちのすぐ足下にある問題だったんだなと。

 

 

大変遅くなりました(汗)が、レポ−ト提出いたします。

 

ミトン

 

 

 

 

 

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2012年

9月

22日

嬉しかったこと

こんにちは。昨日、かなり嬉しかったことがあり、メールします。 

 

昨夜、実家の食卓で、たまたま会話の流れから父親に「ママ原ステッカーをうちの車に貼ってほしい。」と言いました。我が家で主に車を使っているのは父親なので、勝手に貼るのは絶対面倒なことになるということと、たぶん貼ってくれないだろうとの思いから、今までずっと言えずにいたのです。 

 

父親は、わたしがママ原に参加していることや、脱原発デモなどに参加していることは知っていたけど、今まで面と向かってそういった話をしたことはありませんでした。でも、昨夜はなぜだか言ってみようという気になり、ちょっと勇気を出しました。すると案の定、「ダメだ。」と言われました。

 

父親は、心の中では原発はないほうがいいと思っていたけど、特になにか行動するわけでもなく。たぶん、今の世の中で会社や組織で働く大多数がこんな感じの人なんじゃないかなというかんじ。ステッカーを貼らない理由は主に、今の仕事での立場上そういったことは出来ない、ということでした。 

 

わたしは納得できなかったので、その後、とことん父親と話をしました。なんでわたしがママ原で活動しているのか。自分がどんな気持ちで活動しているのか。活動していく中で、感じたこと、考えたこと。話は多岐に渡り、自分が今後進もうとしている生き方について・・・。 いろいろなことを話して、自分なりに気持ちを伝えました。

 

最終的に家族だからといって、個人の気持ちは説得できるものではないし、百人いれば百通りの考えがあるとわたしは思っています。ただ、車にステッカーを貼るということは、そんな普段仕事で忙しい父親でも普段の生活でなにか特別な行動をせずとも自分の意思を表現できるツールであると思って、貼ってほしいということを伝えたんだ、ということを最後に伝えました。本当に原発のない社会を作り上げていきたいのなら、心のなかで思っているだけじゃなにも変わらないんだと。もう、そんな時代ではないのだと。 結局話の最後までステッカーは受け取ってもらえなかったけれど、自分の気持ちを伝えることは出来たし、父親の気持ちも知ることが出来たのでまずはワンステップか・・・と思っていると、そのあと出かけた父親から電話があり、ステッカーのサイズはどのくらいなのか?と。まさか!と思ってサイズを伝えると、車に貼っても良いと!!!ただし、会社でダメだと言われたらはがすこともあるからな。とのこと。 ほんの数時間前まで、頭ごなしにダメだ!と言っていた父親がそんなことを言ったので、わたしはただただびっくりで、そしてめちゃくちゃ嬉しかったんです。

 

活動していている中で、大きな権力をまえに、これってなんの意味があるんだろうなんて思って心が暗くなってしまうことがたくさんあるけど、こんなこともあるから、意味がないことなんてないんだって、それを実感出来る瞬間が必ずあるから、それが例え一万分の一の確率だったとしても、絶対にあるから。

 

だからわたしは前に進めるんだろうなって思いました。 長くなってしまったのでこの辺で。最後まで読んでくださってありがとうございます。わたしは明日のデモには参加しませんが、行かれる皆さん楽しんできてください★ではでは。 

 

 

ノンノン

 

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2012年

5月

25日

北九州市役所へ行きました。

23日に、北九州市役所に行きました。

瓦礫の試験焼却の日で、わたしは将来子どもも欲しいし被ばくしたくないと思い、

電話やFAXでの抗議にしようと思っていたのだけど、もういても立ってもいられずに1人で博多駅に向かうバスの中でエリーさんのメールを見て、結局車で拾ってもらい六人で向かいました。

 

わたしは今回、初めて役所への直接アクションの場に行きました。

直接環境局の人とお話したり、秘書室前の人間バリケードを見たりして思ったのです。

 

「絆」の名の下に全国で行われている、瓦礫の広域処理。それが生み出しているものは、皮肉にも人々の対立です。

俯きがちにわたしたちの意見を聞く環境局の人たち、秘書室前で人間バリケードを作る能面のような顔をした職員の人や警備員さん。

そして、それに納得出来ない人びと。

 

「絆」って、一体何なんだ?と。

これを「絆」と呼ぶのなら、こんな絆は絶対に必要無いと。

 

原発は必要だ、必要無い、とか、

瓦礫は受け入れるべきだ、受け入れるべきで無い、とか。

 

日本には、世界には、もっともっとたくさんの色んな問題があります。

だけど、わたしが1番哀しいのは、人びとの分裂です。

意見が違うことは悪いことでは無いと、わたしは思います。

信念のある者同士がお互いに主張してぶつかるのは、当たり前のことだと思うから。

 

だけど、今回のように、その意見が違うもの同士のバックボーンが違いすぎるときには一体どうすれば良いのだろうと。

 

今回の場合、わたしは1人のただのいち福岡市民で、対する相手は行政です。

そういった場合、やっぱり立場が強い側が、歩み寄ることをしなければ問題の解決は難しいと思います。

その点で、今回の瓦礫の試験焼却に関しての北九州市がとった行動は、歩み寄りがあったとはとても言い切れないものだと思います。

事前に、市民に対する説明会がじゅうぶんに行われたとは、とても言えません。

そんな中、試験焼却に対して不安を抱えている人たちの意見を力で押し通すようなかたちで、試験焼却が始まってしまったことがとても残念です。

 

もちろん、ここで終わりなんて全く思っていません。

瓦礫に関して言えば、本焼却は絶対にさせないために、自分の出来ることをするつもりです。

だけど、本当に北九州市市役所の対応は、残念極まりなかったです。

 

わたしのような普通の一般市民は、コツコツと草の根運動を続けていくしか無いのだと、改めて実感しました。

そして、それがとても大切なことなのだとも。

そんな中で、「面白きこともなき世を面白く」していきたいですね

 

ノンノン

 

 

 

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2012年

5月

24日

ほんのちょっといい話

今、かなり大変な状況ですが、そんな中でも、

ほんのちょっといい話があったので、

シェアしたいと思いました。

 

私の娘が行ってる幼稚園、東郷信愛幼稚園っていうんですけど、

試験焼却が始まってから一週間は、子どもの屋外遊びを、15分だけに

限定する、と自発的に決めて、発表してくれました。

気になるお母さんは、マスクを子どもにさせてくださいっていうお知らせの手紙を、

わざわざ保護者にも配ってくれました。

 

テンちゃんには外遊びしてほしくないとは思うものの、

ほかの子どもたちとは別行動させるのもかわいそうで、

どうしたもんかなあと思っていた矢先のことだったので、すっごくうれしかった。

 

特に、意識の高いお母さんがいるっていう幼稚園でもないんです。

全学年で300人くらいいる、マンモスなところで、

私が避難してきたって話をしたときは、「え?東京から?」みたいな雰囲気だったし。

でも、そういう中で、こういう措置を発表してくれて、

瓦礫の焼却について、保護者にちゃんとした危機感をあおってくれたことに、

私はものすごく感謝しました。

園長先生は、昔、広島で脱原発運動をやっていた方らしくて。ほんと感謝です。

 

でも、よく考えると、こういう措置って、

各小学校、各幼稚園などでとられるのが、当たり前といえば、当たり前なはずで。

それが、当たり前でないことが、今の日本の悲しい現実ですね。

その当たり前のことを、当たり前にやってくれた幼稚園の先生方の決断に、

もう私は、今夜は泣きたい気分です。

 

おもしろきこともなき世の中ですが。

こんなこともあるから、生きてるっていいよね。

 

トニーネ

 

 

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2012年

3月

23日

3.11

皆さん日曜日は本当にお疲れさまでした。

3.11虹のひろば、脱原発 の文字は削られちゃったけど、放射能の危険から逃れてきた避難ママの存在や、ママ原デモのVTRをあの場で流せたことは、ものすごく意味のあることだったと思います。

実行委員の皆さん、本当にお疲れさまでしたm(_ _)m どうもありがとう。

 

また3・11福岡集会の壇上では、我らがアメリのスピーチが。

私はその後ろ、のぼりの陰でとまらない涙を拭いました。

2時46分の黙祷の後に抱き合って泣いていたアメリ&トニーネと一緒に、

福岡に着いた夜、福島がどうなるかわからない、途方もない大きな事故になってしまうかもしれない、全基が爆発を起こすかもしれないと、福島で収束作業にあたってくれている人達に、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに、泣きながら祈ったことを思いだしました。

そして、その輪に加わったハリイさんの言葉がずっと心に残っています。

 

ごめんね、こんなことが起きてしまって、ごめんね、って。

 

福島の事故はハリイさんのせいじゃないのに。

そんな思いで、そんな責任感を持って、ずっと私たちに寄り添ってくれているんだなって。

大人が皆、そんな大人だったら、今、世界はこんなじゃなかった。

 


デモで声をはりあげる子ども達を見て、大きくなってもきっと世の中の間違ったことに雄々しく立ち向かってくれるんだろうなって、頼もしく思いました。

 

皆、本当にありがとうー

 

 

 

(ミトン)

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2012年

3月

01日

ママ原の思いを聞いて下さい


みなさまお疲れ様です。
ママは原発いりません インディです。
毎度の会議では娘ソラがお騒がせしております。


前回の会議後、団体紹介フローチャートで、他とのバランスを考えて
「脱原発」ではなく、「エネルギー問題」とマイルドに表現したいという打診がありました。
「脱原発」は一般の人に少しインパクトが大きいかもしれないから、
マイルドにした方が間口が広くなるのではというアドバイスもいただきました。
(その打診やアドバイスに反論があるわけではありません。
 各団体の垣根を越えて作り上げるという趣旨は
 理解をしていますし、賛同しています。)


ただその際に、あらためて相互の間の認識に隔たりがあることを認識し、
ミーティングに参加している私たち自身の伝える力の足りなさを反省しています。
ママ原の思いを伝えたい伝えたいとずっと言いながら、
きちんと皆さんに伝えることをしていなかったことに気付きました。
今日のミーティングではお互い団体について理解を深めあおうというお話でしたが、
私は移住準備で東京に戻っている為、参加できません。
メールという形になりますが、私なりの思いをお話させていただきたく思います。


「ママは原発いりません」がなぜ「脱原発」を叫んでいるのか。
ママ原のメンバーの多くは放射能から避難してきた原発被災者です。
そしてそれに寄り添う者たち、で構成されています。
原発被災者の苦しみ、悲しみ、そこから立ち上がっていくこと、
それを経験してきたり、間近で見てきている人たちです。

私たちは帰る家を失いました。
生まれ育ってきた故郷に二度と戻れなくなりました。
避難場所を転々として地に足がつきません。
家族が離れて生活することになりました。
親に孫の顔を滅多に見せることができなくなりました。
クリスマスもお正月も誕生日も、家族ばらばらでした。
友人、親せきと疎遠になりました。
周囲からノイローゼ扱いされました。
長年誇りをもってしてきた仕事を捨てました。
子どもを泣かせて、それでも転校させました。
被曝の危険を理解してくれない夫と離婚しました。
たった1人で知らない土地で子どもを産みました。
住めない家のローンを払い続けなくてはいけません。
避難生活でもう貯金が底をつきました。
そしてなにより悲しいことに、
大切な我が子や自分の身体に異変が起こりました。
鼻血がでました。
血便がでました。
下痢が止まりません。
湿疹がひどくなりました。
風邪をひき続けています。
甲状腺にしこりができました。
血液の状態に問題があると指摘されました。
子どもの未来を考えると眠れません。
うつっぽくなりました。

これは、私自身や私が福岡で出会った友人たちの生の声です。

1年たってもまだまだ終わらない。
この先、一体どうしたらいいのか。
自分たちはどこに行くのか。
離れることで薄れていく家族の絆を取り戻せるのか。
そしてこの先、我が子が病気になるかもしれないという不安。

悲しい、苦しい、悔しい、さみしい、憤り、怒り・・・
心の中がぐちゃぐちゃになりそうなこともありました。

でも、自分たちはつらいんだと声高く愚痴ったりできないのは、
この悲劇を引き起こした原因の一端に
自分たちの無知、無関心があることに気付いているからです。
原発の事故がこんなことを招くなんて夢にも思わなかった。
私たちが何気なく使っていた電気を作るシステムは、
人口の少ない地方に危険な原発を押し付け、
そこで働く原発労働者に被曝を強いて病にさせる、
そういう誰かの犠牲の上に成り立っているものだった。
そんなこと自分たちに火の粉が降りかかってきて初めて知りました。
自分たちは間接的だけど加害者でもあるのです。
これまでの自分の無関心さに心から反省、後悔もしているのです。

福島では1年たっても、10年たってもその先もずっと
この苦しみと戦っていかなきゃいけない。
それは想像を超える苦しさではないかと思います。
もうそんな思いをする人をこれ以上増やしたくない。
またどこかで事故が起きて手遅れになる前に気付いてほしい。
九州は福島を、東北関東を助けられるところだから。


だからママ原は「脱原発」なのです。
イデオロギーでも自己満足でもなんでもないのです。
こんなひどいことになる原発、子どもの未来にはいらないよねって
親として、人間として、当たり前のことを言いたいだけなのです。
福岡の人たちに私たちの経験を、生の声を聞いて知って欲しい。
だから私たちは子どもを抱えて声をあげ続けてきました。
知っているのに沈黙することは罪だろうと思うから。
大人の、みんなの沈黙が子どもを虐げることになるのだから。
今、この瞬間も人がいてはいけない高線量地区で、
子どもたちが色んな事情でやむなく暮らしているのです。
家族が、友人が、恩師が、大切な人たちが暮らしているのです。
脱原発を訴えることは原発被災者と寄り添うことだとも思っています。


今回、東日本支援を核とする虹のひろばに参加しようと思ったのは、
以前の私たちのような普通の「知らない人たち」にこそ、それを伝えたいからです。
そして支援団体のみなさんにももっとリアルな実情を知って欲しいと思っています。
誰か困っている人たちがいるなら何かしようと身を削って日々動いてくださっている、
温かい気持ちを持ったみなさんにこそ、伝えるべきだと思っています。
また、3.11はデモでシュプレヒコールをあげるのではなく、
被災地への追悼の思いもあり、静かにそれを訴えたいという気持ちもあります。


私たちの思いが強く、また複雑で、実行委員の調和に
少なからずインパクトを与えてしまっていますよね。
なかなか上手に、大人な立ち回りのできないママ原に
温かく向き合ってくださっていること、心から感謝しています。
ありがとうございます。
長文になり、まとまらずすみません。
また、会議に参加せず、他団体の皆さんのお話を聞かずに一方的ですみません。
少しでも何か伝わればうれしいです。

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2012年

2月

25日

〜ムダなダム 下から読んでも ムダなダム〜

おはようございます、ミトンです。

ちょっと長くなりますが、レポートします

 

 

先日、五ケ山ダムの500億円を福島へ の講演会に行ってきました。

電気だけじゃなくて、水道もか〜

なるほどの構図がここにも。納得の講演会でした。

福岡は水道代がやたらに高いぞと思っていましたが、そんな方いらっしゃいませんか?

 

●●福岡市議・荒木龍昇さんから、"福岡市の水道水は余っている" こと。

福岡市の過去10年間の 給水人口(=世帯数/移住人口 と捉える)は増えてきているが、節水技術の向上や、節水努力により、1日平均給水量は横ばいで、増える見込みはない。

 

また、

●●佐賀大学名誉教授・久保浩洋先生より、五ヶ山ダムでは水害は防げない こと。

国交省の 水害統計 で、水害の場所を調べたが、那珂川本流から溢れたものはなく、

水害防止に、ダムは役立ちそうにない。

 

政府が同建設にあたって高らかにうたう、

 今後増えていく水需要にこたえる為と、

水害の防止の為は、

どうにもあてはまらないようです。

 

 

つまり、

.ダムをつくってお金儲けをしたい人がいて、

.その人達のいいなりの行政がそれに追従し

.周囲の自然をを破壊、人々には立ち退き料、もしくは迷惑料を払い

.巨額の税金を投じ、無用の施設を建設し

.過剰供給のシステムをつくりあげ

.皆が儲からないと困るので、

.結果、私たちが高いお金をだして水を買わされている

(あれ? どこかで聞いたような??)

 

さらに、渇水に備え、ということでもあるようですが、

・平成6年以降17年間は危機的状況はおこっておらず、

・30〜50年に1度の渇水の為に、今この非常時に更に500億円を使うのか??

 

なによりも、

渇水時などの非常時にはバケツを持って並べば良いじゃないか、自然に寄りそって生きるって、そういうことなんじゃないの??

(ここで拍手でした!! わ〜そうだ、そうだ〜!!!!)

 

佐賀県の天然記念物である親子杉を、ダムの底に沈ませてまで、まだやりたいの???? と。

いい加減にしてください(怒)

 

必要性が薄く、自然環境を壊す事業を今すぐ止めて、

フクシマで放射能を浴びる続ける生活を余儀なくされている子ども達を助けること、

その税金を子ども達のいのちと未来のために廻すこと、を福岡県に訴える署名があります。

 

皆さん、ご協力よろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年

2月

01日

屋久島にふらり

アメリ@只今、屋久島旅行中

 

おはようございます。

どうしても行ってみたかった屋久島へ、ふらりと来ています。

ふらりと来れる所じゃないでしょ!!と言われちゃうかな()

 

皆さん!屋久島は最高です!!

お水や空気は本当に美味しいし、グローバルな植物達に大自然と共に生きる動物達。。

子供達と私はこの大自然にノックアウトされて、ここに住みたい~と連呼しています。

 

原発のことはもちろん、環境問題や動物愛護などたくさんのことを考えずにはいられない屋久島、皆さんもぜひ一度、屋久島へ!!

 

屋久島ではお世話になった方々や出会った方々と原発の話をしましたよ~

 

そして、とっっても心強い素晴らしい生き方をされている素敵な方とつながらせていただきました。

作家の星川淳さんです。

ツイッターでも流してくださったそう。私はツイッターをやっていないので仕組みとかもよくわかりませんが、皆さん、ぜひツイッターでつながってくださいね!

 

https://twitter.com/#!/HoshikawaJun/status/164377788198043648

3人の子連れで九州へ避難してきた女性と会った。パートナーは仕事で福島を離れられず、親子が週末一緒にすごせるよう汚染の低い近隣県へ再移住予定。そこでも給食は福島産食材が混じり、弁当は不可。3度里帰りの度、子ども3人とも鼻血と下痢。こういう人たちが折れないよう応援したい。」

 

 

屋久島旅行、明日で終わります。

数日の滞在だけで頭が研ぎ澄まされ、心の栄養になり、新たに出発していく力になっています。

 

ママ原のある意義、素晴らしさも感じとったよ~!

やっぱりママ原は最高です!

早くみんなに会いたいなぁと思っています。

 

4日、ママ原のこれからの在り方について、話し合いをしましょう。

 

ではまた。

今日も素敵な一日をお過ごしください。

いつもありがとう☆

 

(アメリ)

 

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2012年

1月

16日

つながろうよ! in 福岡 へ参加しました。

1月14日の「つながろうよ!福岡」キックオフでは、 福岡でそれぞれ活動している人たちがこんなにいるんだ! (脱原発グループ以外もたくさん!)という印象でした。


被災者支援や給食問題、行政問題と 取り組んでるテーマは別だったりしますが、 今の現実からの脱却、子どもを守る、地域を守るという大きな枠は一緒。

それぞれがつながっていって、大きなうねりを生み出すんじゃないかと 期待の気持ちでいっぱいになりました。
地区ごとにも個人がつながって 学校や議員に働きかける仲間づくりのいいきっかけに なったんではないでしょうか。
    (インディ)

 

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2012年

1月

05日

2012年は脱原発の年です。

 

年末年始は親元には帰らず、福岡で親子3人ですごしました。実家に帰らない正月は生まれてはじめてで、あけましておめでとうなんて気持ちにもなれなず、、年賀状も出しませんでした。でも少しでもお正月気分をと思い、福岡風のあごだしカツオ菜の雑煮をつくったりしました。おいしかったです。


福島の親戚からは年賀状でどうぞ遊びにきてくださいやら、逆に頑張ってと言われるやら、放射能のほの字もでてこない生活に私の認識している世界とのギャップに混乱。
群馬の義両親からは暖かくなったらおいでと言われます。
生きている間に会えるのか、会いにいかなくていいのかと福島の祖母にはまだ年始の電話ができません。
毎回電話で、元気に暮らしているよ、元気でいてね、という会話。
曾孫の顔見せられなくてごめんねって毎回思いながら、つらくて口には出せません。

両親にも初孫の顔みせてあげたい。福岡にきたとき3か月だった我が子も1才、月日の流れを感じます。
もちろんつらいことばかりではなく、笑顔いっぱいでやんちゃに育つ子どもをみているとたくさん幸せを感じます。
避難しているみんなは多かれ少なかれある現実ですが。。
年末年始くらい帰れたら私もよかったのかな、と考えてしまう日々でした。

帰りたいけど帰れなかった。

年末は山本太郎さんもたくさん原発関連でテレビに出演されていましたね。
NHKのゆらぐ国際基準はいい番組でした。
民放の聖なる夜と放射能という番組もタイトルはどうかと思いますが、福島の自主避難の家族の様子がありのままに伝えられて、切なかったけどいい番組でした。
ドイツの脱原発デモに参加して、福島市から避難した子どもがドイツで内部被爆検査をするシーンがあるのだけど、検出されなくて!、安堵して涙しました。(逆に他の番組では日本で検査し、強いセシウムは検出されていませんから大丈夫!といった内容もありました。)


・・・・

いろんなことがありましたが、ママげんの皆様昨年は大変お世話になりました。仲間の存在、励ましで過ごすことができた年でした。みんなの存在が私を支えてくれています。

今年もどうぞよろしくお願いします。
2012年は脱原発の年です。(エリイ)

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2011年

11月

25日

明日は11月のママ原活動日です!

明日は11月のママ原(ママゲン)活動日です!

◆明日の上映会のお知らせを再度いたします。

西山監督をお迎えして
【脱原発 いのちの闘争】上映会

●11月26日 12時~
●福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1丁目12-45)←いつもの教会
●カンパ制

*お友達お誘いあわせのうえご参加ください!

その後、14時からママ原のいつもの活動になります。
みなさん、どうぞよろしくお願いします☆


12月のママ原の活動、12/10の自然エネルギー講座のお知らせも明日します。

HP、ツイッターで告知スタートしました。ドシドシ参加お申込みお待ちしております。

ではでは、また明日お会いしましょう♪

 

(エリー)

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2011年

11月

14日

1万5千人も集まったなんて、涙でました

おはようございます、ミトンです。

 

皆さん昨日はお疲れさまでした。

何としても成功させなくちゃ、と願っていた1万人デモ。

結果1万5千人も集まったすごい人の数に、思わず涙がでました。 

(東京の6万人ってあれの4倍なんだね。。)

★デモ初参加のママ達も本当にありがとう。お疲れさまでした。

 

私達も含めたあの大群衆は、皆同じ気持ちで参加してるんですよね。

こんなにもはっきりとしている脱原発の意志を見ないふり、そして 

見せないように努める政府、マスコミっていったい何なんだろうか。

 

★今回は「ママは原発いりません」の出店、皆本当にお疲れさまでした!

大好評で良かったです。次の形につなげていこうね。

ミッキーさん、インディちゃん、最後の会計まで、

どうもありがとうござい ました。

 

アメリちゃんとトニーネちゃんは(2人よく間違えられるそうだけど)

ママ原の双頭なんだよね。2人交互の熱いシュプレヒコールに応え、

帰りは喉が痛かったです。笑

 

★つながルームでは、すっかりご馳走になり、また写真も運び込ん 

で頂いて、どうもありがとうございました。

 

★最後にやすえさんから早速届いていたメッセージを送ります。

次は26日だね!

 

1万人が終り、これからが更なる正念場です。

2,3月には経済界と経産省の再稼働大合唱が起るでしょう。

つぶす為にはどうしたら効果的か、よーく考えて、

名案、珍案、奇想天外案、どんどん行動する他無い!!

誰かがやっていたら出来る範囲で協力しながら

自分の得意分野で自由に動くことです。」

 

ミトン

 

 

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2011年

11月

14日

1万人集会、お疲れさまでした!

みなさん、おはようございます!

 

昨日の1万人デモは本当にお疲れさまでした。

 

私は疲れ果て、顔も洗わずコンタクトもはずさず爆睡してしまいました()

 

デモでは、ののちゃんの写真展が大好評でした☆

母親の力強さを感じる!母親の笑顔は素敵!子どもを守る愛を感じる!

様々な感想をいただきました。

 

写真の上に

「亀山ののこ NO NUKES写真展」とあったら良かったな~、

そして、ののちゃんのプロフィールがあったら良かったな~と思いました。

写真の皆さんと同じく子どもを持つののちゃんが撮影していること、

同じく原発に悩み避難していることを伝えると

うっすら涙を浮かべる方もいらっしゃったので、

プロフィールがあるとさらにぐっと胸に響くと思います。

 

ののちゃんさえ良ければ、これからもいろんなイベントで写真展をやりたいです。

今回だけじゃもったいなーい!!

 

写真は、つながルームに置かせていただいています。

三枚で一組になるようパネルに張り直すとかコンパクト化対策と、写真がくっついてしまわないよう保管方法を考えなければいけません。

その作業を近々、26日午前かな?にしましょう。

 

デモの感想の続きですが、ミトンさんとビラを配りながら歩いていたら

「ママ原のHPを見ています!」という方や「MLに入りたいです!」

という声がありました☆

嬉しかったです。

でも「どうやったら仲間に入れますか?」とも聞かれましたよ。

 

1210日に考えている、

ソーラーのらやさんトークイベント&ワークショップでは、

ママ原の会員さんも募ったら良いですね!

 

実行委員的なMLとイベント情報等だけが流れるMLがあったらいいのかもね~

エリーちゃん、どうなのかな?

 

今回のデモでの経験を生かし、次につなげていきたいなと思います。

誰が何をやれるのか?を少し明確にできたら動きやすいですね。

 

販売は、エリーちゃん、バンビちゃん、コマリちゃん、

インディちゃんが上手だった~☆

優しい雰囲気で良かったです。

展示物のそばに説明を聞ける人、託児担当、裏方担当などもなんとなく決めておけたらいいですね。

 

今回は、託児はハラさんやトシさん、ツーくんがやってくれていて大変助かりました。

裏方では、シルクさんが風船膨らましをコツコツとやっていてくれました。

ブレイブさんはお花の飾りつけを素敵にされていました。

トニーネちゃんは取材の対応に追われていました、さすが代表です!

私とミトンさんはビラ配り、広報がいいね!

ミッキーさんには運搬業務をすっかりおまかせしてしまいました。

ミッキーさんは総監督だよね!!

つながルームの方々にもたくさんサポートしていただきました。

改めてありがとうございました!

 

初めての試みの中、一人一人が自分にやれることを精一杯やっていて

素晴らしかったですね~。

かなりのチームワークでした!

 

原発がハイロになって、デモをやらなくなるのが一番だけど、

そう簡単には終わる闘いではないと思います。

引き続き、ゆるやかに活動を続けましょう!

 

昨日は本当に本当にお疲れさまでしたっ。

参加できなかった方々も想いは同じだったと思います。ありがとうございます!

 

ノンちゃん、体調は良くなりましたか?

みんな心配していたよ~!

 

ママ原に出会えて本当に良かったです。

ママ原大好きです!

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

アメリ

 

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2011年

11月

02日

腹が立って眠れません

夜分にごめんなさい。

 

悔しくて悲しくて腹が立って眠れません。

 

今日、九電前に大分の友達が一人で座り込みを始めました。

女性一人で大丈夫かなと心配で心配でいましたが、

強い助っ人が!!

なんと、ショウトモさんが今一緒に座り込んでくれていました。

 

長崎からも一人来ているそうで、三人で座り込みしています。

 

彼女達の真剣な想い、本気さが伝わってきます。

涙が出るよ。ありがとう。

私達も明日頑張ろう!!

 

時間のある方はぜひ来てください。

声に出せなくてもいいんだよ!

たくさんの人の本気さを見に来て!

九電のヒドイ対応も見るべき!

 

私は息子を3時間目で早退させて向かいます。

13時半には着けると思います。

 

ママ原の横断幕を掲げて、来れなかった人達の分まで声をあげてきます。

エリーちゃん、ライトちゃん、ミッキーさん、任せといて!

 

エリーちゃん、大役、頑張ってね!!

 

ではでは、皆さん、明日!

 

追伸

ママは原発いりません!

ママは原発いりません!

ママは原発いりません!

 

アメリ

 

 

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2011年

10月

28日

10月28日 11/3まで 住民投票実現アクション@福岡市

Let's actionページに福岡市で行われている【住民投票実現アクション】を加えました。

 

 

10月3日~11月3日で目標4万筆!

玄海原発とこども病院の2つの問題について住民投票で決めましょう!

 

福岡市に住民票がある方で意思表示がまだの方は→

天神イムズ6階の自然食品屋さん、ナチュ村に全区の署名簿が揃っているそうです!

他各地で街頭署名も行われています。(以下ブログ参照)

 

福岡市の方、署名にご協力ください!受任者(署名集め人)になってください!

大事なコトは市民が決めましょう。

http://fukuokavote.blog.fc2.com/ 

 

※福岡市も東京都も大阪市も、「住民投票条例」を持っていません。

だから、まず「住民投票条例を作ろう!」という直接請求からスタートさせなければ

なりません。

大事なコトは、市民が決める!

政治家になんでもかんでも白紙委任するのではなく、私たち住民が決めるための「住民投票」なのです。

 

わたしたちの意思表示、政治に反映させたいですね☆

 

 

 

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2011年

10月

24日

10月24日 10月22日のママ原報告 その2

ママ原の皆さん、こんにちは!

 

土曜日はママ原の活動日、お疲れさまでした~☆

 

瓦礫問題、給食問題、福島市渡利署名、国民投票

いろいろな問題について考え情報をシェアしました。

 

ティーコさんの福島、仙台の写真やデータ付き報告会に耳を傾けました。

 

ママ原のステッカーでは可愛い!の歓声があがり、Tシャツ作成に向けて、素材やデザインの話し合いをしました。

 

1万人デモにて、ののこちゃん写真展、ママ原グッズ販売の構想を練りました。

 

集会後、テント村の上條さんに案内してもらい、つながルームを見学に行きました!

つながルームにママ原のステッカーを置かせていただきたいです!

 

次は一万人デモです!

子どもは明るくオシャレして、女の子はドレスを着たりで盛り上がりましょう!

Tシャツは問い合わせしてますので、色やデザイン、金額がわかりましたらまたお知らせします。

 

ママ原の11月活動日は26日です。

 

ママ原、忘年会を企画中!

安心安全な食材を食べれて、座敷があり、みんなが集まりやすい場所を探しています。

情報をお持ちの方、ご連絡お待ちしてます。

 

アメリ家のお泊まり会は、

ミッキーさん、トニーネちゃん、インディーちゃんが参加。

朝方まで会話を楽しみました。

冒険家族にはあいにくの天気により、参加を断念しました。

冒険家族には行けなかったけど、とっても楽しかったので、来月にまた第二回を企画中です。

 

以上、ザッと報告です。

皆さんからの細やかな感想もお待ちしています。

フォローお願いします。

 

では皆さん、またね♪♪

(アメリ)

 

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2011年

10月

23日

10月23日 「ママは原発いりません」ステッカー販売開始!

山梨県にいらっしゃる版画家のこばやしこうさん(子育て中のママ)と、宮崎県にいらっしゃる相馬敬子さんのご協力で、かわいい「ママは原発いりません」ステッカーができあがりました!

 

車、ママチャリ、玄関先など、いろんな場所で、静かに深く、脱原発を訴えるのにもってこいの一枚。「ママは原発いりません」は団体名ではありますが、脱原発を願う母たちの普遍的な思いでもあると思います。この思いを、潮騒のように日本に広げていきましょう。

 

一枚200円。収益は、活動費と募金にさせていただきます。ご所望の方は、ご入用の枚数と住所、氏名、電話番号をお書きの上、chronikasha@gmail.comまでお寄せください。

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2011年

10月

22日

10月22日 10月のママ原報告 その1

10月22日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、

 

11月13日に行われる「さよなら原発!福岡1万人集会」のチラシ配りや、「住民投票実現アクション」などの街頭署名集めをしました。警固公園では雨が降って、断念したのですが、みんなで歌いながら教会に向かう途中、だんだんと雨がやんできたので、教会の前の道路で、チラシ配りと、署名集めをすることができました。

 

大活躍だったのは子どもたち。道すがら、プチ拡声器を持って、「原発にはおなかいっぱい♪」の歌を歌ったりしてました。チラシ配りも、大人より、子どものほうがずっと得意。興味のなさそうな人たちも、子どもがいるだけでガードが下がるようでした。

 

教会では、11月13日の一万人集会に向けて、いろいろと作戦を練りました。「ママは原発いりません」ステッカー(200yen)や、脱原ソーラーライト(500yen)、オススメ本、わくわく工房とのコラボ菓子など、ママ原グッズ満載のブースを出店します。写真家の亀山ののこさんの、「原発いらないママ」たちを写したミニ写真展も開催します。お楽しみに!

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2011年

10月

19日

10月19日 子どもたちが被曝し続けている

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2011年

10月

18日

10月18日 あさイチを見て

ちょっと感動する詩がありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

不意に 

答えを風に聞きそうになる 

 

雨に 

自分で決めろと言われた気がする 

 

雲が流れ 

雨が緑をぬらし 

朝とともに 

山に靄をかける 

 

ぼくは 

わたくしとは 

なにものなのか 

 

生まれてから 

死ぬまでに 

どこへむかうというのか 

 

山々は 

あり方を問いただしてくる 

 

でも 

実際は 

その静かな存在感に 

自らの 

傲慢さや欲 

落ち度を隠しきれず 

 

ただ 

自分に問い詰められているだけなんだろう 

 

どこまでも深く 

どこまでも高く 

世界は自分次第 

 

朝が明ける少し前 

海と空の間の色 

 

僕は今 

なに色ですか

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

あふれ出るような感受性。

今の若者は、半端じゃないなと思わされる。

これを書いたのは、米原カンタくんです。

最初にママ原を始めることを勧めてくれた21歳の若者です。

こないだは、経済産業省前で、ハンガーストライキをしてましたね。

 

NHKのあさイチ、わたくしも見ました、エリー。

私は、甘いかもしれないけど、ホッとしました。

郡山で、ただでさえ被曝してる母子たちが、

少なくとも一週間は放射性物質を食べなかったんだってことがわかって。

 

今回の原発事故で、私たちは今、みんな、

生き方を問われていると感じました。

何を大切にするのか。

どこで生きていくのか。

今までも問われて来た。

でも、今はもっともっと問われてる。

あなたは、どう生きますかと。

 

子どもに、あえて福島県産を食べさせる母親、

なるべく食べさせない母親、

避難する母親、

地元に留まる母親。

みんなが、

それぞれが、

一人一人の選択が、

どうか真剣なものでありますように。

それだけを、ただただ祈ろうと思ったのでした。

 

そんな折、

ちょっとよすぎる詩にぶつかったので、

再度、朗読させてもらっていいですか?(笑)

 

ぼくは

わたくしとはなにものなのか

生まれてから

死ぬまでに

どこへむかうというのか

山々は 

あり方を問いただしてくる 

でも 

実際は 

その静かな存在感に 

自らの 

傲慢さや欲 

落ち度を隠しきれず 

ただ 

自分に問い詰められているだけなんだろう 

 

人は、人間とは、悲しくなるほどバカだね。

バカで、愛おしい存在だね。

そして、一生懸命生きている。

推進派も、脱原発派も、避難派も、地元に残る派も、

精一杯がんばって生きている。

「自分は何者か」という問いを、

直視したり、無視したりしながらも、

結局は携えて歩んでいる私たち。

こんな私たちの、一人一人のがんばりが、

どうかいつか報われますように。

 

こういう瞬間を詩に書き留めている、カンタくん。

21歳とは思えない少年の、言葉の重み。

世界は、どこで変わるんだろう。

もしかして、こういうところからではないかしら。

 

トニーネ

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2011年

10月

13日

10月13日 金原ひとみさん

さすが東京新聞だよね。

この記事よんで、今、金原ひとみさんが、

まさに私たちママの代弁者になってくれてると感じたよ。

 

岡山だったら近いし、いつか招いてみたい。

言うことがさすがに鋭いよ。

なんで日本は変えられないんだろうね。

主人は一体誰なんだろう?

 

トニーネ

 

原発推進の内なる空気 制御されている私たち 金原ひとみ

 

長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗きれいに畳み直し、あと僅わずかとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。

 

三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。

 

放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろし いことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違 い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上で も情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻かき集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。

 

四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルク を飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。 放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄やゆする人もいるらしい。人は多少被曝ひばくしても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。

 

原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実 となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。

 

こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れ は変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろうむ数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、 変わらないままだ。

 

既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛つらいだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐こわくて何もできない人がいることは不思議ではない。

 

しかし多くの人が癌がんで死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。

 

私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。

 

東京新聞 2011.10.11 夕刊

 

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2011年

9月

20日

9月20日 さよなら原発6万人!その1(トニーネ)

みなさま、どうも!

17日のママゲン、おつかれさまでした。

そして18日の誕生会、ありがとうございました。

トニーネは、32歳になりました。

 

昨日の東京のデモ、もう見ましたでしょうか?

6万人です。警察発表では2万7000人ですが、

6万人以上いたんじゃないかという話です。

 

私はほんとに感動しました。

福島の事故直後、ドイツで10万人デモがあったとき、

どうしたらそんなデモが起こせるんだろうと、

心底うらやましく思いました。

ドイツでは、緑の党とか、

普段から組織的に活動しているグループがあるので、

それだけの人数を集められるのだと聞きました。

 

ひるがえって、そういった組織の弱い日本で、

さらにはデモの文化も育っていない日本で、

6万人!

もしかするとそれ以上の人たちが自発的に集まったのです!

 

これは大ニュースです。

でも、わかってたことだけど、このデモを、マスコミがトップで

取り上げる向きはありません。

マスコミには、もう正常なニュースの価値判断ができなくなっています。

でも、本当のところ今回のデモは、日本の歴史を塗り替える、

と言ってもいいものだった、と私は思います。

 

もし、これだけの民意を受けても政治が変わらなければ、

誰のための政治でしょうか。誰のための国でしょうか。

そう、私たちのための政治でも国でも、なかったのです。

今まで。

 

一部の利権や特権のある人たちが、今の日本を動かしています。

電力会社ひきいる経済界も、「それでも原発は必要」という思想を、

あの手この手で、国民に浸透させようとしています。

 

今回、新聞の調査で65%の人たちが、

「たとえ経済力が落ちても、原発はいらない」と解答しました。

これだけの民意を受けても政治が変わらないとすれば、

今の政治が、一部の利権者のための政治だったんだと、

みんな否応無しに気づくはずです。

国民の命を守るよりも、福島の子どもたちの命よりも、

自殺した農家の方たちの命よりも、

お金儲けをしたい一部の人たちのための国家だったと、

私たちは否応なしに、気づかされるはずです。

 

だからこそ、今、政治もマスコミも利権者も、

瀬戸際に立っています。

今、日本が変わろうとしています。

あと一押しです。

 

6万人がデモに集まりました。

6万人です。

東京から、革命が起きようとしています。

 

当事者意識の薄い福岡ではなかなか人数が集まりませんけれど、

福岡にいる私たちもがんばってます。

今、日本の大きな変わり目、激動の時代に、

みんなと一緒に生まれてきたことは、

やっぱり何かの必然だったように感じます。

 

関東・東北のお母様方に伝えたいです。

福岡には、こんないい仲間がいます。

ときどきくじけそうになるけれど、私たちは元気です。

 

(トニーネ)

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2011年

9月

20日

9月20日 さようなら原発6万人! その2(インディ)

こんばんは。インディです。

昨日は東京の「さようなら原発」に6万人集まったと知って、

ひとり感動して涙してました。

私たちと同じ思いの人はたくさんいる。

お金より命だって気付いてる人はたくさんいる。

だって6万人だよ?そんな大勢の人見たことない。

それだけたくさんの人が自分の意思で集まったんだよ?

すごいよね。

デモしたり、署名集めたり、呼びかけたり。

私たちママの声はほんとにちっぽけなもので、

すぐにつぶれてしまいそうになるけど、

そんな声だってきっと誰かの心にはちゃんと届くんだって思ったら泣けてきました。

6万人が100万人になって、1000万人になって

そうなったら原発推進しようとする人たち手も足もでなくなる。

そんな日が来るまで、私は小さな声を上げ続けようって思います。

そしてそんな姿を子どもたちに見せ続けたいと思います。

こないだの活動の時の子どもたちのデモ見て、

ちゃんと次の世代につながってるって思ってうれしかったよ。

 

(インディ)

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2011年

9月

17日

9月17日 今月のママ原

  9月17日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、

 

「東北地方太平洋沖地震の瓦礫処理及び焼却灰の処理に関する請願」と、

「福岡市の学校給食食材に関する請願書」に対する署名を集めました。

 

〜ご協力下さった方々、どうもありがとうございました。〜


”汚染瓦礫と汚染焼却灰処理の問題” に関しては、復興支援の妨げになるから福岡県でも受け入れをすべきである、というご意見も頂きました。

 

ここには、行政の示す ”安全値” が、食品を例にとっても未だ "暫定” であり、放射性物質の性質が、”しばらくの間” で話をするにあまりにも不向きであることも、問題として挙げられると思います。受け入れをした後の周りの環境への影響は、過去のデータ等があって、安全を確約できるものでないのも事実ではないでしょうか。

 

被災地の一日も早い復興を願う思いは、皆一緒だと思います。

けれど、汚染物質を全国に拡散することは、たとえ微量であるとしても、得策であるとは思えません。。

 

 

”汚染ガレキの焼却許可は、福島原発事故の再現です。

       地面に落ちた汚染物質をもう一度、空気中に舞い上げることです。” 

 

                     by NRC(アメリカ原子力規制委員会)

 

 

 

皆さんの街の 焼却炉、もしくはゴミ処理場が、どれだけ放射性物質の外界への遮断性を持つか、是非問い合わせてみてください!

 

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2011年

7月

11日

7月11日 最近更新してなかった理由(トニーネ)

トニーネです。

 

さいきん動きがなくて、みなさん心配してらしたと思います。どうもすみません。

私トニーネはホメオパシーの勉強に没頭してました。

なんで今?って思うかもしれないけど、私思ったんです、

自分が一番幸せなことをしようと。

そして、その幸せなことで人様の役に立とうと。

 

最近、こういう活動してて気高いだなんて言ってもらったけど、

全然違って、結局のところ私は、

こっちに来て、とにかく焦って、恐怖でいっぱいで、

友だちもほしくて、自分のことばっかりだったと思う。

正直な話。

 

でも、その結果得たものは、大切な仲間。

ホメオパシーにまた没頭できるようになったのも、

気持ちをシェアできる仲間ができたからでした。

だから、みんなに本当にありがとうです。

奥田民生の「あーりがとー!!!」を歌いたい気分。

 

今、玄海はてんやわんやですね。

福島第二原発もあやしくなってきています。

日本は今、どうしようもなくなってきてると思います。

前は、そんなときになんで勉強か、

それどころじゃなーい!って感じだったんだけど、

でも、なんかシコシコ勉強できるようになったのには理由があります。

腹をくくりました。

 

「たとえ明日、世界が滅ぶとも、

リンゴの木を私は植えよう」

と、ルターが言ったんだったかな。

私は、もし地球に未来があるとしたら、その未来に必要だと思うから、

地球が終わる日までできることをやろうと思いました。

そして、私に今できる一番のことはホメオパシーだと思ったんです。

遠回りに思えるかもしれないけど、それが今、

私にとって一番、「今日いちにちを、地球の未来のために進んだ」と思える、

実感を伴う行為なんだとわかりました。

 

もちろん、原発を止めるためにも、

何か作戦を考えていきたいと思います。

でもそれは、本業をきちんとやった上で、その余力で、です。

代表がこんなんじゃまずいかもしれないので、

そのうち、誰かにお願いするかもしれません。

ただ、ママ原らしい、ママにしかできない、

実感を伴った何かにしていきたい、

そういう構想はあります。

ちょっと待っててください。

 

最近、めっきり元気になったのは、こういうふうに思ったからです。

原発で、もしも、ですよ、もしも死んでしまう日が来ても、

「まあいっか」、と。笑!

おかしな言い方かもしれないけど、

きっとこれは、人類にとって必要な過程なんだと思ったんです。

「やな時代に生まれちまったぜ」と思うけど、

最近、朝の連続テレビ小説見てて思うに、

いつの時代も、飢えとか戦争とかで、みんな生死をさまよっていたんですよね。

いつの時代も、必要な過程が起きていた。

今も、それが必要である程度は同じなんですよね。

 

今起きていることは、放射能というよりも、

利権を手放したくない人たちの、自分の欲望との戦いで、

人類の欲望は今、欲望を手放せない人自身が自らの生命を

滅ぼしかねない局面にさしかかっているように思いました。

でも、彼らの中での戦いが失敗して、その結果、

巻き添えをくって私が死んだとしよう。

「それも、しょうがないかな」って思ったんですよね。

だって、彼らも私たち人類の仲間なんですもんね。

仲間の失敗のために、人は死ぬことだってあるでしょう。

だけど、死ぬ日まで、仲間のために、諭し続けることはやめない気持ちで。

愛しましょう。

それがママです。

  

今日は突然、詩を贈りたくなりました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

生きる 谷川俊太郎

 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

 

あなたと手をつなぐこと

 

生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

 

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 

生きているということ

 

いま生きているということ

 

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

 

いまいまがすぎてゆくこと

 

生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

 

人は愛するということ

 

あなたの手のぬくみ

いのちということ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

幸せな一日を。

 

(トニーネ)

 

 

 

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2011年

6月

16日

6月16日 次は6・28だ!

昨日は、6月28日の九電株主総会に向けてのMTGがあるということで、出かけてきました。

MTGに参加するだけでいいのかな、なんて思ってたら、

今度の6・28には、デモやイベントも企画されているようで、

その若者たちの連絡係がほしい、と。

 

若者軍団、みんなシーンとなってしまい。

 

みんな、ほんっっと疲れてるんだよね。

あんな大きなデモやって、財力も体力も時間も、使い果たしてしまっている。

なんか見るに見かねて、手を上げてしまったトニーネ。

 

あああ。でも、私もけっこういっぱいいっぱいなんだけどな。

 

これを読んでくださったみなさん。

よかったらご協力お願いします。

 

6月28日(火)の午前中ですから、ほとんど会社勤めの人は集まりません。

頼りは、フリーターとママです。

子育て中のママ、どうか!!!お願いします。来てね♡

ジャグリングとか歌とか、いろんな楽しいイベント満載ですけん。

 

さあ帰ろうか、とみんなが解散し始めたとき、

福島から避難中のアメリがこんな話をしていました。

 

「昨日さ、テレビ見てたら、酪農家が自殺したって。

そしたらテレビの人が、『自殺よりほかにいい方法なかったんでしょうかねえ』って。

でもさ、誰だって自殺したくなると思うよ、

ずっと大切に築き上げて来たもの取り上げられて。

すべて失って。

私だって、家族とも離れて、建てたばかりの家も住めなくなって。

もう自殺したほうがいいかもしれんって、夫と話したりするもん。

私たちはさ、ただ、今まで築き上げてきた場所に、帰りたいだけなんよ。

帰りたいだけなのに、もうそこは帰れない場所なんよ」

 

話してるうちにアメリは泣き始めて、私はちょっと呆然となって。

いつもアメリは明るくて、元気で。

私も、東京から離れてつらかったけど、

私より大変なはずのアメリがいつも明るいから、

がんばらなきゃーって思ってたけど、そうだよね、

アメリ、やっぱりつらかったんだって、

自殺したいほどつらかったんだって、

そんな当たり前のことを思い、ショックでした。

 

福島の人たちに、自殺させておけばいいのかな。

ほんとは、こんなことになった今、

私たち一人一人が、もっと、死ななきゃいけないんじゃないかな。

私は、そんなことを思いました。

 

もっともっと、自分のことじゃなくても、もっともっと、

私たちは福島の人たちの痛みを、シェアしなきゃいけない。

もっと、福島の人たちの怒りを、悲しみを、感じなきゃいけない。

 

福島の人たちが自殺したほうがいいと思うとしたら、

それは私たちの責任。

彼らと一緒に、悲しみ、怒り、死ななかった、

私たちの責任。

 

ママ原は、アメリ一人に死なせないね!

 

(トニーネ)

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2011年

6月

14日

6月14日 ちょっとジーンときた話

51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉 

 

 611日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。

「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。

 

 「表現の自由」

 

 この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。

 

「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。

警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。

原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。

東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。

 

私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。

法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。

生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。

 

私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。

政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。

 

法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です」


と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。

 

若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。

 

「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。

 

私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。

 

しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。

51年ぶりです。

タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。

 

      *      *      *      *      *

 

いやあ、その場にいたら、ものすごい感動だったでしょうね。「何かがおりてくる」とき、ですね。大事、大事。

 

(トニーネ)

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2011年

6月

12日

6月12日 うのさえこさんのスピーチ

ママ原メンバーで、福島から避難中のママ、うのさえこさんが、広島のデモで訴えました。

 

          *         *      

 

福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。

この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

 

目を凝らしましょう。見えない放射能に。45日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

 

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

 

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

 

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

 

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

 

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

 

私たちの故郷は汚されました。

もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。

海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

 

私たちは涙を止めることはありません。

こんなに悲しいことが起きたのですから。

心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。

私たちは涙を恐れません。

私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

 

私たちは変化を恐れません。

恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。

大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

 

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。

私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。

私たちはそれを、乗り越えていきます。

私たちは声をあげ続けます。

私たちは、行動し続けます。

人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

 

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。

 

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

 

広島市 原爆ドーム前にて

2011611日 うのさえこ

 

 

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2011年

6月

11日

6月11日 埼玉県への署名を集めることにしました

ティナ@2人の子どもと共に、福岡に避難中です。

来月には育休が終わるので、埼玉に帰らないといけません。

 

赤ちゃんである次女を母親が引き離すのは可哀想なので、やっぱり連れて帰りたい

でもTwitterで、埼玉県内の保育園の土壌を自主計測したママから、規制値を越える値が出ていたことを聞きました。そのママは現在、お子さんと沖縄に避難しているそうです。

家ではいくら気をつけても、保育園が対策をとってくれないと、子どもと一緒に埼玉で暮らすことはできない。

そう思って在福岡のまま、埼玉県への署名を集めることを計画しました。

 

降ってくるものは止められないけど、本来なら避けられる被曝をさせたくない。 

将来、子ども達に「なんでお母さんたちは、その時に何も言わなかったの?」と聞かれて答えに窮したくない。 

 

ちょうど来月は県知事選があるので、タイミング的にもチャンスとみました。 

子どもへの被曝対策を争点に浮上させられたら、他県の首長も多少は意識すると思うのです。

 

自分が行動を始めると、県内で協力して下さる方も次々に出て来てくださいました。

署名を集めることと並行しながら、埼玉県議会への要望、選挙前の公開質問状、被曝に関する学習会など、やれることは何でもやっていこうと思っています。

 

自治体を動かしたいのももちろんですが、署名活動を広げることで埼玉県内で、子どもの被曝対策への関心を高めたい、という狙いもあります。 被曝慣れ(?)や、諦めの風潮を変えたい!

あと、不安を抱えてる親が孤立してる現状がよく分かったので、「1人じゃないよ!」と伝えたいのです。

 

どれだけの広がりを作れるのかは分かりませんが、とにかくやってみます!

 

署名フォームなど完成しましたらこちらにもまたメールいたします。ご協力いただけると嬉しいです。

 

(ティナ)

 

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2011年

6月

10日

6月10日 子どもが鼻血を出した

太宰府市に住むミツノンです。

ここ最近、家事の合間を縫って、少しづつですが放射線の勉強を進めています。

 

ネットで検索して、調べるのが主ですが、

読むだけでは、なかなか頭に入っていかないみたい。

それで、これはと思った記事や文章は、

日付つきで、ノートに書き写しておりました。

 

 

5月19日

ー原発情報ー

 チェルノビルでは、最高で1平方メートル当たり380万ベクレル。

(148万ベクレルで強制避難)

原発から北西40キロの飯館村で、2000万ベクレル。

 

148万ベクレル以上 → 強制避難

~55万5000   → 強制移住

~18万5000   → 希望者は移住を認める

~3万7000    → 放射能管理が必要なエリア

 

*メモ*

 日本の表面積は、地球の表面積の0.07%

 全世界の原発の約13%が、この国土に密集している。

 

 

五月の終わりごろ、週末、

夜、長男(5年生)が、鼻血を出した。

なかなか止まらず、

「鼻糞でもほじったの?」

と、訊くと

「いいや、ほじってない。

いきなり出てきた」

と、答えた。

翌朝、再び鼻血。

耳が痛いという。

見ると、右耳の下が赤くプッくリと膨れている。

長男は時たま鼻血を出す子だけど、

耳の下が腫れているのは、初めて見た。

 

六月の頭ごろ、

長女(3年生)が、学校から帰ってきた後、鼻血を出した。

突然出てきたという。

 

今週の中頃、

次女(6歳)が、近所のスーパー近くで、小学生のともだちとたたずんでいた。

雨にぬれていた。

翌日朝、耳が痛いと言った。

見ると、左耳の下が硬く盛り上がり、うっすら赤く腫れている。

数日後、腫れはひいた。

 

三女は今のところ、何もない。

 

思えば、小学生二人は、家では長年牛乳を飲ませていない。

学校給食では毎日飲んでいる。

家での食事の違いと言えば、これくらい。

肉類も、鳥肉なら調理して夕食に出す。

牛肉豚肉は、調理の際、臭いアクがたくさん出るので、

自分からは買わない。(でも、ときたまひき肉を買うことは、ある)

 

(ミツノン)

 

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2011年

6月

09日

6月9日 福島を助けてください

 

福島県福島市から福岡に避難し、今、私事で生まれ故郷の宮城県に一時的に帰ってきているアメリです。今、現在の福島市の状況ですが、ママ達の悲痛の叫びが「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」のホームページのコメント欄から知ることができます。福島を応援する温かい方々からの応援メッセージも読むことができます。

 

ぜひ皆さんにも読んでいただき、福島のママ達の苦しみ、悲しみ、怒りを知り、そして皆さんの活力へと変えて訴えてください。玄海を止めることもとってもとっても重要です。並行して、今現在、放射能に苦しめられている福島を助けてください。福島のママ達は自分のことでいっぱいいっぱいです。

 

私も福島の自宅に子どもを連れて戻った日は、外で遊びたがる子どもをなだめ、暑いと勝手に窓を開ける子どもを叱り、測定器とにらめっこしながら家の中の除洗をし、たった一日だけだったのに精神的にも体力的にも苦痛でした。福島のママ達にこれ以上の負担を与えないように他県の皆さんが代わりに声をあげてください。特に今のところ地震も放射能も心配のない九州の皆さんの力が本当に必要です。宜しくお願いします。

 

福島の自宅を出る時に4歳の娘が急いで私に庭に咲いていたシロツメクサを「ママにプレゼントだよ!」ってとってくれました。いつも部屋の片隅に飾っていた草花、嬉しいはずの想いが、放射能が手についたかもしれない、早く車に乗せなきゃと焦りでしかありませんでした。小さな子のこんなほんわか優しい想いをも放射能はかき消します。放射能が本当に憎くてたまらない。

 

皆さん、とにかくとにかく、福島を守ってくださいね。本当に本当に本気で宜しくお願いします。

 

もう少しで福岡に戻ります。そしたら皆さんで顔合わせ、意見交換の集会を開きたいですね。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

皆さんに会える日を楽しみにしています。

 

読んでくださって、ありがとう!!感謝します。

 

(アメリ)

 

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2011年

6月

08日

6月8日 東京のお母さんからのお便り

トニーネが東京にいたころのママ友、ヒギーから、こんなメールが来ました。

 

      *      *      *      *      *

 

東京では危機意識の高いママを探しながら輪を広げようと頑張ってます。

 

先日友人に『子供の居場所の放射能値測定に関する署名』を

頼まれたので私も協力することにしました。

 

幼稚園の庭の数値も気になってたので園のママの協力を得ようと

園に許可を取って署名をもらえるように園長に掛け合ってみました。

 

園内でなく、お母さん達のネットワークで行い園の外で署名するなら大丈夫と許可を得ました。

 

署名をやると中には積極的に活動を協力してくれるママも居たのでやって良かったなと

安堵してたのも束の間、次の朝に園長から指導が入りました。

 

『いろいろな意見のお母さんが居ますので、園から見えない場所で行ってください。』と・・。

 

もう秩序とか組織にとらわれている場合じゃないのに。

3.11以前と変わらない常識に縛られている親の意見に逆に驚きを隠せません。

そういう人達は今、何を優先して生きているんだろうって・・・。

 

安全かどうか確認もされてない園の庭で遊ぶ子供を見て悲しいし落胆してしまった。

 

他の園でも、署名活動をしたママに対して他のママから注意があったと聞きました。

 

園での活動の中で不安になる行事もいくつもあるけど、

声に出してるママが居るのか居ないのか・・・。

放射能の話は公の場では全くされてない状態。

まるで原発事故すら無かったかのような状態で行事も進んでいる。

 

疑問を持っても声を上げないと意味ないのに、周りの目を気にしてか、無関心なんだか、

みんな生きながら眠っているように見えて怖い・・。

ママの間ですら戸惑うほどの温度差があり余計な部分でエネルギーを削られてしまう状態。

 

東京に居るからには少しでも子供に被曝させない努力をしたいと思うけど、その対策に関しても

やってる、やってない、どの程度してるかで結局最後は対立的になり放射能の話は、

更にものすごく気を遣うのが現状。

 

放射能という人間の五感では感じないものに対して個人的に長期的な対策をするのは

とてつもなくストレス。

『目に見えない→目の前に無いもの』に変わってしまう。

大半の人は心身共に疲れてしまい、覚悟を決めて向き合うより『どうせ全部防げないから』と

全てのスイッチを切って普段と変わりない生活に戻っている人が多い。

 

     *     *     *     *     *

 

東京を離れ、残してきた人たちに申し訳ない気持ちのトニーネでしたが、

ヒギーからは「がんばってくれてると思うと元気出る」って、逆に励まされました。

彼女が今参加してる活動は、おひさま会http://ohisamakids3.jugem.jp/だそうです。

一緒に、がんばっていきたいね。ありがとう。

 

(トニーネ)

 

 

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2011年

6月

02日

6月2日 放射性物質を除去するイメージビデオ

久留米市の医師西村靖子さんのお話会で

放射能対策のビデオを教えてもらいました。

見たり音や振動で体内に含まれた放射性物質を除去できるそうです。

その映像はアメリカのミネラル社が医療用に開発したものです。

不思議な映像と超音波の様な音に振動を感じれます。

 

子供と一緒にかけ流すと良いそうです。

でも子供には「これは、放射能が・・」って説明はしないでね!と言われていました。

そういうイメージが残っちゃうそうです。

 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WS_7kjj3X6A

 

(チキチータ)

 

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2011年

5月

30日

5月30日 トミナガマイさん、米原幹太くんのお話会に出席して

今日、お昼に開かれたトミナガマイさんのスライドショー&米原幹太くんのお話会に

エリーとトニーネも出席してきました。

 

音楽や詩や写真を見たりする中で、

「てんごくのおきゃくさま」という絵本の朗読がありました。

原発問題をテーマにした、30年前の絵本でした。

あらすじを軽く説明しますと・・・

 

         *      *      *      

 

天使たちがお空で遊んでいると、変わった天使たちがお空に上ってきました。

それは、原発の事故によって、お母さんたちのおなかにいられなくなってしまった、

人間や動物たちの天使でした。

 

そして、原発によってどんな悲惨なことが起きているか、

変わった天使たちが説明をするのです。

 

「この状態をどうしたらいいだろう?」

 

天使たちは考えて、子どもたちに、

「原発をつくらないように」という、手紙を届けることにしたのでした。

大人たちが、子どもたちを通して、そのメッセージを受け取れることを願いながら。

 

PCからはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201103140001/

携帯からはhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=monwingaji&id=35282799

 

         *      *      *      

 

トミナガマイさんの写真を見ながら、

その絵本の朗読を聞いていると、本当に胸が詰まる思いでした。

 

放射能の影響を一番受けるのは、子どもたちだと言われています。

チェルノブイリでも、胎児や6歳までの子どもたちに、

10年、20年後、奇形や白血病、甲状腺がんなどが多発しました。

 

危険区域にいる子どもたちを避難させることなく、

2000ベクレルという高い基準の食べ物を流通させている、

今の日本政府の対応を見ていると、

日本でこうした天使たちが生まれてしまうことは、

時間の問題ではないでしょうか。

 

チェルノブイリを超える汚染を受けながら、

日本だけは、チェルノブイリのようなことが起こらないと思っているかのような対応。

その異常さに、正直、震撼します。

 

私たち大人は、何ていう社会を作り上げてしまったんでしょう。

今、お母さんたちのおなかの中で苦しんでいるかもしれない子どもたち、

もう生まれることをあきらめてしまった子どもたちに、

何と謝ったらいいんでしょう。

 

そのあとのお話の中で、

20歳の米原幹太くんが言った言葉も、胸に突き刺さりました。

 

「子どもたちの未来を考えない、どんな行動も大人のエゴだと僕は思う」

 

何で原発があるの? そんな危険なもの、いらないじゃん。

子どもの視線から見たら、とても当たり前の公式が、

大人たちの世界では、主張するのがなぜだかとても難しいことになっています。

 

絵本では、天使が子どもたちに手紙を託しました。

でも、それは本当のことで、子どもたちは一人一人が、

存在している、そのことだけで、天使からの手紙を日々、

私たちに届けてくれている、と思いました。

 

大人中心の世界では、子どもは力がなく、半人前だと思われているけれど、

子どもから見て、当たり前のことが、

当たり前になっている社会のほうがきっといい。

なぜって子どもは、天使からの手紙を託されている存在だからです。

 

そんな子どもに、被爆を強要し、

学校や園に通わせるような国なんか。

そんな国に、未来があってたまりますか。

 

ちょっと過激だけど、そんなふうに思えます。

 

東京でも、低線量被曝が始まっていると、

ジャーナリストの木下黄太さんがブログで書いておられました。

福島から200キロ離れた場所でさえ、そんな状態なのです。

 

何ていう世界を、私たちは子どもたちに残してしまったのでしょうか。

言葉になりません。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

27日

5月27日 金が命を上回ってる

ママ原の立ち上げにも関わり、30日にはトミナガマイさんのスライドショーでもお話をする、米原幹太くんのmixi日記

 

      *      *      *      *      

 

「若者が動こうとしている。」 

コミュニティをつくりました。 

 

after311 

どうすんだよ?若者は

 

同世代として、 

みんなにanswerを求める。 

 

若者が若者へ発信していく。 

この行為に、 

とことんこだわろうと思う。 

 

すでに 

生まれてしまった 

これから 

生まれてくる 

次の世代に、 

本当に申し訳ない。 

 

黙って 

黙って 

静かに 

静かに 

死んでいく 

この島 

 

子供が死んで 

未来は無くなり 

金が無くなり 

未来は拓ける 

 

この関係性 

みえる人が何人いる

 

資本主義という 

病はもはや病ではなく 

 

生きるために 

息をする 

食べる 

飲む 

 

これら 

生きるための事象 

 

資本主義はその中に 

金を稼ぐ 

を生み出した 

 

金があったら生きていける 

Why? 

 

金があっても食べ物無い 

はい。死んだ 

 

日本人この民族は 

金がない世界を 

全く想像できない 

頭の片隅にもない 

 

だから 

滅びると思う 

 

311 

起こった 

はっきり 

わかった 

 

日本人 

この民族 

金が命を上回ってる 

 

前々から感じてた 

違和感は正しかった 

残念 

 

アジアの片隅 

「資本主義」の 

完璧なモデルケースが完成 

 

それが、日本州です。 

 

武力で支配 

もう古い 

金という概念で支配 

回りくどく 

ねちっこく 

静かに 

静かに 

手を回されて 

吸収された 

しかし 

誰も気づかず 

気づいた人は 

爪弾き 

口にだせば 

首が飛び 

タブー恐れて 

何もいわず 

面倒くさいから 

無関心 

結果は 

原発爆発 

起きても 

無関心 

相変わらず 

疑問を抱けど 

かみ殺し 

不安を煽ると 

真実見ずに 

TVを見て 

笑ってな 

ここに、 

小中高、大学 

管理教育の成立をみました。 

 

意図的なシステムが、 

日本の風俗、 

人格までに密接に絡み込んでいる。 

 

金を稼いで使うことが染み着いて、この性から死ぬまで離れられない。 

 

なぜなら、息をするのと全く同じこと。 

息をしなかったら死ぬ。 

これと同じ。 

 

自分自身を、否定したり、問いつめたり、ある一定の自分を越えたり。 

 

してきて無いと、この日記は解読不可能なのかもしれない。 

 

そして、 

そんな人が 

一般常識者的視点の異常な人。 

 

ぼくからみたら 

当たり前の人。 

 

言い訳ばかりして 

良いわけがないと 

自分に言い聞かせて 

戦うやつが少ない 

 

そんな気がするよ

 

とか、思うから

正直に言うわけよ。

過激と言われてもね~(笑)

 

      *      *      *      *      

 

最近「幸せの経済学」っていう映画を見ました。 
私も、最近まで、金がないと、って思ってた人間の一人。

 

幸せでしたか?って自分に聞いてみた。 
いつも誰かと争って、 
蹴落とさなきゃ落とされるっていう、恐怖ばかりで。 
何の肩書きもなくなった今のほうが、よっぽど幸せだ、と思う。 

今の私の使命は、子どもを守る、それだけ。 

今も、多くの人が、やっぱり「命よりお金」って思ってる。 
原発が必要だって思ってる。 
この日本で、彼らもきっと、 
私がやってた戦いを、今も繰り広げているのかなって思う。

聞きたくないことに耳をふさぎ、 
見たくないことに目を閉じている人に、 
真実を伝えようとする人は、 
いつの世だって、煙たがられてきた。 
ソクラテスだって殺された。 

煙たがられてもいい、 
そういう人たちの戦いが、早く終結するように、 
応援する自分でありたいと思う。 
もちろん、自分の戦いも、まだまだ続くわけだけれども。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

25日

5月25日 本当にどうしたらいいかわからないよ

ママ原勉強会の講師にも来ていただいた、平和学の専門家、足立力也(通称リッキー)さんの日記

 

      *      *      *      *      

 

 行ってきたよ、見てきたよ、フクシマ。 

 マジヤバいよ、フクシマ。 

 まず、マイミクsaikomsさんからガイガーカウンターを借りる。 
 もともと、このガイガーカウンター、アラームがなるデフォルト値が0.3μSv/h。 
 福島駅でその値をあっさり超えた。 
 駅前東口の空間線量率で1μSv/h。 
 いきなりピーピーなりだす。 
 周りには、普通に駅の利用者がいる。 
 慌てて、早速アラームの閾値を2μSv/hに設定し直す。 
 んで、同じ東口で、側溝の上に近づけてみると、一気に3μSv/h超え! 
 またもピーピーピーピー、アラームが鳴りだす。 
 ひええ! 

 

 ※参考までに。 
 1μSv/h=年間8.76ミリシーベルト。 
 3μSv/h=年間26.28ミリシーベルト。 
 いわゆる「20ミリシーベルト問題」を軽く突破のヤバすぎる値! 
 福島市もこりゃアウトだよ。 

 海岸線。 
 新知町~相馬市~南相馬市まで走破。 
 海岸から内陸数キロにわたって、マジで真っ平ら。 
 もうそれは見事なほどに、真っ平ら。 
 2カ月たってんのに、復旧どころか、片付けすら終わる気配がない。 

 街中、田んぼ、屋根の上。 
 船があちこちに転がってる。 
 小舟なんかはもちろん、結構なトン数ある船も陸の上。 
 普通の重機なんかじゃ絶対持ち上がらん。 
 どーすんだコレって感じ。 
 相馬市松川浦の漁港付近は、まだ信号も復旧してない。 

 イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが瓦礫撤去のボランティアをしている

 南相馬市の現場もお邪魔した。 
 おばあちゃんの一人暮らしのお宅。 
 線量計を持って行ってたので、あちこちはかってくれと頼まれる。 
 家の中、側溝、蔵の中、そして畑。 
 特に、畑で作っている野菜を食べてもいいかどうか、心配していた。 
 畑の地表は0.6μSv/h。 
 ちゃんとベクレル値で測ってないから正確には分からんが、 
 そんだけ出てたらやっぱやめたほうがいいよな、ってんで、 
 食べないことにした、と後から連絡を受けた。 

 そして、件の飯舘村へ。 
 南相馬市・原町区は平均して0.22μSv/hくらいだった。 
 それが、八木沢峠を越えて飯舘村に入ると、突然線量率が上がる。 
 一気に1→2→3μSv/hへ。 
 アラームがけたたましく鳴りだす。 
 上述したように、いわゆる「20ミリシーベルト」で考えてもアウト。 
 めんどくさいので、アラームの設定値を6μSv/hに設定し直す。 
 役場前も3μSv/hくらい。 

 我々が役場に着いた時、幼児を乗せた幼稚園の送迎バスが 
 ちょうど出て行くところだった。 
 早く逃がせ、アホたれ!!! 

 菅野村長とも面談。 
 やつれた表情、うつろな目。 
 ダメだ、こりゃもう精神的に疲労しすぎだ。 
 対応能力を失っている。 
 ちょうど長野県中川村の曽我村長からケータイに電話が入る。 
 どうも、俺のツイートを見て、俺が飯舘村にいることをつかみ、 
 連絡してきたようだ。 
 「こっちにも村営住宅で受け入れるよって菅野村長に連絡してるんだが、 
 返事がないんだ。聞いといてくれないか?」 
 早速菅野村長に聞いてみると… 
 「申し出はありがたいが、そういう話をたくさんいただいている。 
 ひとつひとつに返事を出せる状況じゃない」 
 「今電話があったばかりなので、コールバックしますけど」 
 というと、おおきくかぶりを振って 
 「いや、いい、いい」。 
 ダメだ、行政単位では村人を救えない。 
 同日夜、中川村・曽我村長に電話、事情を説明。 
 曽我さん「一本釣りしかないか…」 
 行政という枠にとらわれない曽我さんの行動力に期待。 
 そして菅野さん、責任感は分かるが、1日でも休んだほうがいい。 
 今の状態では村民が犠牲になる。 

 役場を後にした我々は、村の方の案内で、飯舘村一番の「ホットスポット」へ。 
 長泥(ながとろ)地区というそうだ。 
 そこに行くには、役場から峠をひとつ越えるのだが、 
 そこを越えた途端、ガイガーカウンターのアラームがピーピーなりだす。 
 外に比べて車の中の線量率は4割減と言われている。 
 それでも6μSv/hを超えたってことは…外は10μSv/hくらい!? 
 やってられん、アラーム閾値を10μSv/hに設定しなおしじゃ! 
 長泥地区に到着。 
 車外に出ると、あにはからんや、またもアラームが… 
 数値を見ると、12μSv/h。 
 ここまでいくと、もう殺人的。 
 年間で換算すると、100ミリシーベルトを超えてる。 
 原発の現場労働者が通常認められている「5年間の積算線量」が 
 100ミリシーベルト。 
 そして恐ろしいことに、まだそこに人が住んでる!!! 
 9割は逃げたが、逆に言うと1割まだ残ってる。 
 実際、焚火をしている女の人を見かけた。 
 マスクはつけてたが、ここまで高いと、マスクなんかもう意味がない… 
 いや、内部被ばくを考えると、せんよりマシだが、そんなことを 
 議論するような値じゃない。 
 人生諦めないで欲しい…。 

 しかしいろいろあるのだ、特に飯舘村の避難問題は。 
 なだけにもどかしい。モヤーっとする!!! 

 で、その長泥地区でもとびきりのホットスポットへ。 
 案内役のAさんが「ここ測ってみましょうか」 
 ある雨どいの下にガイガーカウンターを置くと… 
 あっという間に値が上昇、軽く500μSv/hを超える!!! 
 年間になおしてみてみそ。 
 500(μSv/h)×24(時間)×365(日)=43800000μSv。 
 =4380ミリシーベルト。 
 =4.38シーベルト。 
 2時間いれば、普通の人が浴びていい年間の限度を超える。 
 本当はガイガーカウンターをじっくり置いて計測しないといけないのだが、 
 とてもそんな悠長なことをしてられる現場じゃない。 
 実際は500を軽く超えてるようだ(写真参照)。 

 ひとつ確認しておきたい。 
 「放射線管理区域」というのがある。 
 簡単に言うと、「普通の人は入っちゃいけませんよ」という場所。 
 一番身近なのが、病院のレントゲン室。 
 この区域では、いろんな規則がある。 
 例えば、モノを食べちゃいけない、飲んじゃいけない、液体や塵を 
 床に落としてはいけない(ちょっとでも落とそうもんなら必死こいて除染して 
 始末書書いて上司に「すんませんでしたー!!!」と頭を下げまくらねばならない)、 
 そして決定的なのが「子どもを入れてはいけない」。 
 その「放射線管理区域」に指定される基準の値が、 

 0.6μSv/h 

 なのだ。 
 600μSv/hってことは、その1000倍!!! 
 どんだけめちゃくちゃな値か、これで分かると思う。 

 ついでに(?)ベータ線も測ってみた。 
 普通、そこらへんではベータ線はほとんど検出されない。 
 これまたぐんぐん値が上昇、ヤバい、ここに高濃度の放射性物質がある! 
 いや、そんなもんはガンマ線の線量率から分かっちゃいたけど、 
 ベータ線の収束量を見て寒気が走った。 
 とっとと尻尾巻いて逃げたさ。 
 それが普通の心理ってもんです。 
 それに慣れてしまった、慣らされてしまった飯舘村民… 
 マジでヤバいよ。 
 どうやって逃げてもらうか…なんという難題。 

 ちなみに、その村民たちが要求しているのが、「ホールボディカウンタによる 
 被曝測定」。 
 全身の被曝量を検査するもの。 
 原発の作業員たちが、作業後毎日測定するヤツです。 
 これによって、どんだけ被曝したか、あらかじめデータをとって、 
 本人がそのデータを持っていることが、今後非常に重要になってくる。 
 後でガンなどを発症した際に、被曝が原因だと証明するためです。 
 それを政府に要望しているのだがあっさり蹴られたそうだ。 

 それはもうヒトゴロシだよ。 
 どうにかこの要望を飲まさないと、飯舘村民が放射線被害症例の 
 モルモットにされてしまう。 

 実際、ある意味手遅れな部分がある。 
 一番被曝量が大きかったのは、おそらく例の「水素爆発」の後。 
 その時に大量に出たヨウ素は、もう検出できなくなってしまった。 
 放射性ヨウ素自体は検出できないくらい放射能が小さくなっても、 
 その時にくらった影響は後々まで続く。 
 その「証拠」がもう分からなくなってしまったのだ。 
 しかし、できるだけ早くホールボディカウンタによる被曝量検査をすることで、 
 少しでも後の補償などで正当な権利を得られる。 

 どうにかせにゃ!!! 

 平和学という学問=科学をつかさどる立場として、 
 これだけは断言しておかねばならない。 
 これはマジで戦争だ。 
 原発の作業員は、前線に送られる兵士と一緒。 
 放射線という弾丸がびゅんびゅん飛び交う中に突撃させられる。 
 その弾丸がびゅんびゅん飛び交う戦地を逃げなければならない避難民。 
 統制された情報。 
 抑制された行政。 
 何もかもが、戦争と全く同じ構図なのだ! 
 違うのは、普通の戦争は、戦ってるヤツら同士が話し合って和平すれば、 
 人が死ぬのもモノが壊れるのも終わるが、原発はそうはいかないってこと。 
 原発は話し合いになんか応じてくれない。 
 決して和平することのない相手と戦わねばならない、 
 戦争以上にタチが悪い究極の戦い、それが原発震災、原発事故なのだ。 

 ありとあらゆる危機感てんこ盛りの被災地訪問だった。 

 

      *      *      *      *

 

こんにちは、アメリです。

リッキーさんの日記、読みました。一応補足しておくね。

 

飯館村は今は計画的避難地域に指定されていて、早かれ遅かれみんな避難できます。

でも残っている人は自分の都合で残っている人も多いようです。

子どもや妊婦はいち早く逃がしているよ。

 

村長さんは一生懸命やっています。

村長が動けないのは、勝手にやれば保証をしてもらえないからだよ。

国が悪いのです。

村長も組織にいる以上、国には逆らえない、国が早くここへ行けと言うべきなのです。

そして私たちもヒドイと見ているだけではダメ。

知った情報をもとに国や福島県に訴えてください。

 

私からして見れば、計画的避難地域に指定された飯館村はうらやましい。

福島市や郡山市や二本松市なんかはそれこそほんとに逃げたくても逃げれないのです。

子どもたちがたくさん残っているの。

もう本当にどうしたらいいかわからないよ。

 

とにかく訴えるしかない。

デモも玄海を止めてっていう前に

福島県をもっともっと応援するデモにすれば良かったって後悔してる。

 

6.11のデモでは福島県の20ミリシーベルト撤回を強く強く訴えてほしいなと思います。

みんなー、よろしくね。

提案してください。

 

私は口だけで何もお手伝いできなくてごめんね。

早く自宅をなんとかします。

 

今日も頑張りましょう。

ありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

23日

5月23日 仕事に復帰しようか迷っています

4月の第1回のパレードに参加したティナです。

 

私自身は、4月末にさいたまの自宅に帰ってみたのですが、やはり子どもの被ばくが避けられないと思い、福岡に戻ってきました。

 

一番、危険だと思ったのは保育園です。「さいたまは値が高くないから」という理由で、外遊びも通常通りだし、給食の食材も牛乳も、近隣の県のものが出されています。

 

職場の永田町にも行ってみましたが議員会館の地下2F室内でも、0.14マイクロシーベルトもあり、ショックでした。測定器を持ち歩いている先輩に聞いたら、都内のオフィスで仕事して帰るだけでも、1日の累積は3マイクロシーベルトに達することもあると言っていました。

 

子どもたちは、さいたまに戻さない方がいいとは思っていますが、私自身はどうするべきか。永田町で仕事に復帰した方が、多くの子どもたちを守るために何がしかの役にたてるのではないか?と迷っています。次女にもっと母乳もあげたかったし、3人目もほしかったのですが…

 

(ティナ)

 

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2011年

5月

22日

5月22日 昨日のパレードのご報告

今回は、道路申請もしない、ほとんど告知もしない、

こじんまりしたパレードをしようということで、

ふたを開ければ、集まったのは約十数名(うち子ども3人)でした。

 

いつもの、緑マントにひまわりの造花を頭につけた10人組。

最初は公園の人たちに、署名を集めたり、お話をしていました。

そのうち、某団体と重なりそうになったこともあり、

急いで公園をおいとまし、歩き始めると、

中央署の方々がやって来られて、

「プラカードはだめ」、「垂れ幕もだめ」・・・。

 

今回のパレードでは、全国でもママパレードが広がることを願い、

「いかに手間のいらない、効果的なパレードが組めるか」

というところに焦点を絞ってみたのですが、

「道路申請」は欠かせないようだ、ということは一つわかって良かったです。

(当たり前だろ!笑)

 

道では、ラジカセで音楽をつけながら、

「原発いらない」

「子どもを守ろう」

「電気は足りてる」

「今こそ変わろう」

「日本を変えよう」

というコールや、メッセージをしながら歩きました。

 

道の途中では「がんばれよ!」という声も何回か聞こえて、

初めての経験だったので、とてもうれしかったです。

確実に、脱原発の賛同者は増えているんじゃないか!と思いました。

 

ミーティングは、いつもならドタバタなのですが、

久々に心行くまで語り合うことができ、

本当によかったです。

これから、ママ原として何をしていったらいいのか。

いろんな青写真が描けました。

 

・もっと地域のママたちと交流を深めること

・東北、関東からの避難者の受け入れ先を議員に訴えること

・このHPを充実させていき、原発の問題を初心者でもわかりやすいものにしていくこと

・全国の脱原発ママ団体の活動をまとめたHPを作成すること

・ママ原の活動内容を、映像として配信していくこと

等々。

一つ一つ、具体化させていこうと思います。

 

そうそう、ミーティングが終わった後、カレーを食べに行ったのですが、

その道すがら、3歳のうちの子Tが拡声器を持って、

「Tちゃんは、東京から避難してきました。お願いします」と言いました。

それだけでもびっくりだったのですが、

すると、今度は少しお姉ちゃんのSちゃんが、

「Sちゃんは、原発いりません。お願いします」。

それを聞いたうちの子が、

「Tちゃんは、東京いりません。お願いします」。

 

かわいい演説に、道行く人たちも笑っていました。

 

(トニーネ)

 

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2011年

5月

21日

5月21日 母乳から放射性物質

市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は518日、厚生労働省で記者会見をし、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、福島、茨城、千葉在住の5人の母乳からヨウ素が、また、福島、茨城、東京在住の4人からセシウムが検出されたと、データを公表。国や自治体に対し、全数調査を行うように訴えた。

 

 母乳の検査は、前回4月21日に公表した9人に加え、新たに福島県、茨城県、千葉県、栃木県、東京都在住の母親計40名から母乳の提供を受け検査をした。検査の結果、茨城県土浦市在住の母親からは、1キログラムあたり、セシウム1378ベクレル。福島県福島市の母親の母乳からは、セシウム134 5.1ベクレル、福島県西白河郡の母親からは、セシウム1344.8ベクレル、セシウム1375.7ベクレル。福島県いわき市の母親からは、ヨウ素131 5.5ベクレル。東京都三鷹の母親から、セシウム1374.8ベクレル検出した。

 

 17日発表された政府の調査では、母乳から放射性物質が検出されなかったとされているが、5月になってもヨウ素が検出されていることから、福島第一原発の 放射性 物質の流出が止まらない限り、母親が新たに放射性物質を摂取する可能性は否めない。東京在住の母親からもセシウムが検出されていることから、母乳調査・母子支援 ネットワークの発起人で四日市大非常勤講師の河田昌東さんは「特定はできないが、食べ物、飲み物が原因と考えられる。今後広い範囲で母乳の放射線汚染が出てくる可能性もある。さらに多くの調査を国や地方自治体が実施する必要がある」と訴えた。河田さんによると、母親が摂取した放射性物質の20%が母乳に入るのだという。

 

 日本の食品の暫定基準は、飲料水/牛乳・乳製品が、ヨウ素で1リットル300ベクレル以下、セシウムでは1リットル200ベクレル以下と定められているが、1リットル、ヨウ素、セシウムともに1リットル10ベクレル以下としているWHOの基準より、20倍から30倍緩い基準となっている。また野菜に関しても、日本では1キロあたりヨウ素は2000ベクレル以下、セシウムが500ベクレル以下とされているが、欧米の基準は1キロあたりセシウムは370ベクレル以下とされている。日本が食品を輸入する際の基準値も同じ370ベクレルとなっている。

 

記者会見の動画はこちら→Our Planet-TV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1055 

 

 ドイツ放射線防護協会・日本における放射線リスク最小化のための提言、によると乳児・子ども・青少年は、1kgあたり4ベクレル以上で、成人は、1kgあたり8ベ クレル以上のセシウム137を 含む飲食物を摂取しないことが推奨されている。【転載終了】

 

   *   *   *   *   *   *

 

とても重いニュースだよね。

私も本当に心が痛い。

私は19日に福島で行われた記者会見に応援にかけつけ、

そのまま参加させてもらって発言させていただきました。

質疑の中で、人数や数値は低いと見解する方もおられると思うがどうお考えか?と、、

私、耳を疑いました。そんなバカなこと言う人がいるの?悲しい現実だよね。

 

母乳ネットの方は淡々と答えていました。

確かに低い数値かと思う方がいるかもしれない、

けれど今その位出ていればもともとはもっと高かった可能性もある、

出ているという事実を受け止め対応していただきたい等々、、

 

私は気持ちを押さえきれずにマイクをお借りして、

私も現在まだ母乳をあげてる身としてこの事実は大変苦しいものであること、

5人も出ていることのどこが少ないのか、

一人でも大切な命、たった一人が出たとしても国は大きな問題として取り上げるべきだ、

と訴えました。

 

母乳から出た5人の方、未来を担う赤ちゃん達、その方達はどうなってもいいの?

少なかったら問題ないことなの?当事者じゃなかったら関係ないの?

悔しくて悲しくて怒ってます。

 

これからも私達はそのようなママ達も含め、苦しんでいるママ達を応援していこうね。

 

今日もありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

20日

5月20日 福島に帰省して

お久しぶりです。
皆さん、お元気ですか?

祖父の初七日も無事に終わりました。

私がいる宮城県名取市は、仙台市のすぐ南、空間線量は高い所で0.6マイクロシーべルト毎時ありました。
私が滞在中の兄のマンションは11階のため0.1マイクロシーべルト毎時です。
私は場所によっては仙台市もとても危険だと感じています。

私達は料理にミネラルウォーターを使っています。歯磨きのうがいもミネラルウォーターです。
短期間の滞在のため頑張れますが、長期間いる方にとっては難しいですね。
私達でさえ、もうミネラルウォーター30本は使っています。

野菜は産地を選んで購入。
佐賀県産たまねぎにはずいぶんお世話になっています。
あとは海外産(なるべく有機)を選んで買っていますが、限りがありとても疲れる、、、。
福島や宮城にもスーパー0べクレルのお店がほしいです。

昨日は福島市入りしました。
福島と宮城の県境ですでに0.8マイクロシーべルト毎時はありました。
福島市街は1.5マイクロシーべルト毎時、、、これでもだいぶ低くなったんだよ、と主人に言われました。
現実を目の当たりにし愕然とすると共に怒りさえ覚え、悲しみの涙さえこぼれました。
美しかった福島は今はありません。

久々に自宅に戻りました。
壊れた窓の隙間からたくさんの虫が入り住みかになっていました。
クモの巣もはっているし、なぜか鳥の糞まで、、。
でもやっぱりホッとする。
マスクを外して思い切り空気を吸い込んで伸びをしたかった。
たくさんの思い出がよみがえり、被爆してもいいからここで暮らしたいとも思いました。
避難地域のお年寄りの気持ちが痛いほどわかりました。

でも私は大切な子ども達を守らなければいけない。福島市にはサヨウナラしなきゃね!
私の家からは福島市の夜景が一望できます。
この景色を二人一緒に見れるのは次はいつなんだろうね、、と主人と話し帰路につきました。

福島市民の様子は、話に聞いていた通り、みんな普通に生活しています。
0.7を越える場所で小さな赤ちゃんと2歳位の子どもを連れた若いお母さんが
マスクなしでお散歩をしていました、とても楽しそうに。
福島がいかに安全神話を作っているか、危険を知らせていないのかがわかりました。悔しいです。

福島でいつもお世話になっていた、天然酵母パン屋さんに
福岡から持って行った資料や冊子を届けに行きました。
ここのパン屋さんは原発事故前から脱原発を訴えていた仲間でもあり
県庁前にての座り込みにも一緒に参加したことのあるとても意識の高い方です。
福島の現状や避難したい方がいるかお聞きしたところ、
アトピーやアレルギーを持つお子さんがいるお母さんが避難したがってるとのこと、
福島では布団も洗濯物も外に干せない状況、窓を開けて掃除もできない、
アレルギーを持つ子はつらいですよね。

集団疎開ができる場所がないかと聞かれました。
福岡には廃校になった学校がたくさんあります。
そういった場所を利用できないでしょうか?

私達ができること、、
福島の方々にまず現実を知ってもらいたい。どうしたらいいのかな?
ガイガーカウンターを送るプロジェクトはとてもいいよね!
それからニーズに合った場所の提供。

それから、フクシマの事故を忘れず、
私達も長いスパンで活動していく必要があります。
ずっと訴え続けましょう。

また、報告しますね!
明日のパレード、楽しんでね!
たった一人でも原発の危険性や福島のことを知ってもらえたら
パレードをやった意味があると思います。
私はこちらで私にできることを頑張ります。

では、また会える日まで!
みんないつもありがとう。

 

(アメリ)

 

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2011年

5月

18日

5月18日 九電交渉

 

九電交渉、行ってきました。

九州中から、脱原発を求める団体、個人、約180人が集まりましたが、

中に入れたのは40人だけで、私たちは外にあるスクリーンで、

中の様子を見ることになりました。

 

u-streamの配信を断られるなど、ハプニングもありましたが、

何とか最後まで見ることができました。

http://www.ustream.tv/recorded/14781925

http://www.ustream.tv/recorded/14781817

 

個人的には、1〜4号機までメルトダウンしている可能性が高く、

汚染もチェルノブイリを上回ってしまった今の日本について、

もうどうしようもないような気持ちになっていたのですが、

ここに来ているママたちとお話ししたりなんかして、

元気を取り戻しました。

 

どんな状況でも、やることやるしかないもんね!

 

(トニーネ)

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2010年

5月

25日

北九州市役所へ行きました。

23日に、北九州市役所に行きました。

瓦礫の試験焼却の日で、わたしは将来子どもも欲しいし被ばくしたくないと思い、

電話やFAXでの抗議にしようと思っていたのだけど、もういても立ってもいられずに1人で博多駅に向かうバスの中でエリーさんのメールを見て、結局車で拾ってもらい六人で向かいました。

 

わたしは今回、初めて役所への直接アクションの場に行きました。

直接環境局の人とお話したり、秘書室前の人間バリケードを見たりして思ったのです。

 

「絆」の名の下に全国で行われている、瓦礫の広域処理。それが生み出しているものは、皮肉にも人々の対立です。

俯きがちにわたしたちの意見を聞く環境局の人たち、秘書室前で人間バリケードを作る能面のような顔をした職員の人や警備員さん。

そして、それに納得出来ない人びと。

 

「絆」って、一体何なんだ?と。

これを「絆」と呼ぶのなら、こんな絆は絶対に必要無いと。

 

原発は必要だ、必要無い、とか、

瓦礫は受け入れるべきだ、受け入れるべきで無い、とか。

 

日本には、世界には、もっともっとたくさんの色んな問題があります。

だけど、わたしが1番哀しいのは、人びとの分裂です。

意見が違うことは悪いことでは無いと、わたしは思います。

信念のある者同士がお互いに主張してぶつかるのは、当たり前のことだと思うから。

 

だけど、今回のように、その意見が違うもの同士のバックボーンが違いすぎるときには一体どうすれば良いのだろうと。

 

今回の場合、わたしは1人のただのいち福岡市民で、対する相手は行政です。

そういった場合、やっぱり立場が強い側が、歩み寄ることをしなければ問題の解決は難しいと思います。

その点で、今回の瓦礫の試験焼却に関しての北九州市がとった行動は、歩み寄りがあったとはとても言い切れないものだと思います。

事前に、市民に対する説明会がじゅうぶんに行われたとは、とても言えません。

そんな中、試験焼却に対して不安を抱えている人たちの意見を力で押し通すようなかたちで、試験焼却が始まってしまったことがとても残念です。

 

もちろん、ここで終わりなんて全く思っていません。

瓦礫に関して言えば、本焼却は絶対にさせないために、自分の出来ることをするつもりです。

だけど、本当に北九州市市役所の対応は、残念極まりなかったです。

 

わたしのような普通の一般市民は、コツコツと草の根運動を続けていくしか無いのだと、改めて実感しました。

そして、それがとても大切なことなのだとも。

そんな中で、「面白きこともなき世を面白く」していきたいですね

 

ノンノン

 

 

 

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