金
23
3月
2012
皆さん日曜日は本当にお疲れさまでした。
3.11虹のひろば、”脱原発” の文字は削られちゃったけど、放射能の危険から逃れてきた避難ママの存在や、ママ原デモのVTRをあの場で流せたことは、ものすごく意味のあることだったと思います。
実行委員の皆さん、本当にお疲れさまでしたm(_ _)m どうもありがとう。
また3・11福岡集会の壇上では、我らがアメリのスピーチが。
私はその後ろ、のぼりの陰でとまらない涙を拭いました。
2時46分の黙祷の後に抱き合って泣いていたアメリ&トニーネと一緒に、
福岡に着いた夜、福島がどうなるかわからない、途方もない大きな事故になってしまうかもしれない、全基が爆発を起こすかもしれないと、福島で収束作業にあたってくれている人達に、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに、泣きながら祈ったことを思いだしました。
そして、その輪に加わったハリイさんの言葉がずっと心に残っています。
ごめんね、こんなことが起きてしまって、ごめんね、って。
福島の事故はハリイさんのせいじゃないのに。
そんな思いで、そんな責任感を持って、ずっと私たちに寄り添ってくれているんだなって。
大人が皆、そんな大人だったら、今、世界はこんなじゃなかった。
デモで声をはりあげる子ども達を見て、大きくなってもきっと世の中の間違ったことに雄々しく立ち向かってくれるんだろうなって、頼もしく思いました。
皆、本当にありがとうー
(ミトン)
木
01
3月
2012
みなさまお疲れ様です。
ママは原発いりません インディです。
毎度の会議では娘ソラがお騒がせしております。
前回の会議後、団体紹介フローチャートで、他とのバランスを考えて
「脱原発」ではなく、「エネルギー問題」とマイルドに表現したいという打診がありました。
「脱原発」は一般の人に少しインパクトが大きいかもしれないから、
マイルドにした方が間口が広くなるのではというアドバイスもいただきました。
(その打診やアドバイスに反論があるわけではありません。
各団体の垣根を越えて作り上げるという趣旨は
理解をしていますし、賛同しています。)
ただその際に、あらためて相互の間の認識に隔たりがあることを認識し、
ミーティングに参加している私たち自身の伝える力の足りなさを反省しています。
ママ原の思いを伝えたい伝えたいとずっと言いながら、
きちんと皆さんに伝えることをしていなかったことに気付きました。
今日のミーティングではお互い団体について理解を深めあおうというお話でしたが、
私は移住準備で東京に戻っている為、参加できません。
メールという形になりますが、私なりの思いをお話させていただきたく思います。
「ママは原発いりません」がなぜ「脱原発」を叫んでいるのか。
ママ原のメンバーの多くは放射能から避難してきた原発被災者です。
そしてそれに寄り添う者たち、で構成されています。
原発被災者の苦しみ、悲しみ、そこから立ち上がっていくこと、
それを経験してきたり、間近で見てきている人たちです。
私たちは帰る家を失いました。
生まれ育ってきた故郷に二度と戻れなくなりました。
避難場所を転々として地に足がつきません。
家族が離れて生活することになりました。
親に孫の顔を滅多に見せることができなくなりました。
クリスマスもお正月も誕生日も、家族ばらばらでした。
友人、親せきと疎遠になりました。
周囲からノイローゼ扱いされました。
長年誇りをもってしてきた仕事を捨てました。
子どもを泣かせて、それでも転校させました。
被曝の危険を理解してくれない夫と離婚しました。
たった1人で知らない土地で子どもを産みました。
住めない家のローンを払い続けなくてはいけません。
避難生活でもう貯金が底をつきました。
そしてなにより悲しいことに、
大切な我が子や自分の身体に異変が起こりました。
鼻血がでました。
血便がでました。
下痢が止まりません。
湿疹がひどくなりました。
風邪をひき続けています。
甲状腺にしこりができました。
血液の状態に問題があると指摘されました。
子どもの未来を考えると眠れません。
うつっぽくなりました。
これは、私自身や私が福岡で出会った友人たちの生の声です。
1年たってもまだまだ終わらない。
この先、一体どうしたらいいのか。
自分たちはどこに行くのか。
離れることで薄れていく家族の絆を取り戻せるのか。
そしてこの先、我が子が病気になるかもしれないという不安。
悲しい、苦しい、悔しい、さみしい、憤り、怒り・・・
心の中がぐちゃぐちゃになりそうなこともありました。
でも、自分たちはつらいんだと声高く愚痴ったりできないのは、
この悲劇を引き起こした原因の一端に
自分たちの無知、無関心があることに気付いているからです。
原発の事故がこんなことを招くなんて夢にも思わなかった。
私たちが何気なく使っていた電気を作るシステムは、
人口の少ない地方に危険な原発を押し付け、
そこで働く原発労働者に被曝を強いて病にさせる、
そういう誰かの犠牲の上に成り立っているものだった。
そんなこと自分たちに火の粉が降りかかってきて初めて知りました。
自分たちは間接的だけど加害者でもあるのです。
これまでの自分の無関心さに心から反省、後悔もしているのです。
福島では1年たっても、10年たってもその先もずっと
この苦しみと戦っていかなきゃいけない。
それは想像を超える苦しさではないかと思います。
もうそんな思いをする人をこれ以上増やしたくない。
またどこかで事故が起きて手遅れになる前に気付いてほしい。
九州は福島を、東北関東を助けられるところだから。
だからママ原は「脱原発」なのです。
イデオロギーでも自己満足でもなんでもないのです。
こんなひどいことになる原発、子どもの未来にはいらないよねって
親として、人間として、当たり前のことを言いたいだけなのです。
福岡の人たちに私たちの経験を、生の声を聞いて知って欲しい。
だから私たちは子どもを抱えて声をあげ続けてきました。
知っているのに沈黙することは罪だろうと思うから。
大人の、みんなの沈黙が子どもを虐げることになるのだから。
今、この瞬間も人がいてはいけない高線量地区で、
子どもたちが色んな事情でやむなく暮らしているのです。
家族が、友人が、恩師が、大切な人たちが暮らしているのです。
脱原発を訴えることは原発被災者と寄り添うことだとも思っています。
今回、東日本支援を核とする虹のひろばに参加しようと思ったのは、
以前の私たちのような普通の「知らない人たち」にこそ、それを伝えたいからです。
そして支援団体のみなさんにももっとリアルな実情を知って欲しいと思っています。
誰か困っている人たちがいるなら何かしようと身を削って日々動いてくださっている、
温かい気持ちを持ったみなさんにこそ、伝えるべきだと思っています。
また、3.11はデモでシュプレヒコールをあげるのではなく、
被災地への追悼の思いもあり、静かにそれを訴えたいという気持ちもあります。
私たちの思いが強く、また複雑で、実行委員の調和に
少なからずインパクトを与えてしまっていますよね。
なかなか上手に、大人な立ち回りのできないママ原に
温かく向き合ってくださっていること、心から感謝しています。
ありがとうございます。
長文になり、まとまらずすみません。
また、会議に参加せず、他団体の皆さんのお話を聞かずに一方的ですみません。
少しでも何か伝わればうれしいです。
土
25
2月
2012
おはようございます、ミトンです。
ちょっと長くなりますが、レポートします♡
先日、”五ケ山ダムの500億円を福島へ” の講演会に行ってきました。
電気だけじゃなくて、水道もか〜
なるほどの構図がここにも。納得の講演会でした。
福岡は水道代がやたらに高いぞと思っていましたが、そんな方いらっしゃいませんか?
●●福岡市議・荒木龍昇さんから、"福岡市の水道水は余っている" こと。
福岡市の過去10年間の ”給水人口”(=世帯数/移住人口 と捉える)は増えてきているが、節水技術の向上や、節水努力により、1日平均給水量は横ばいで、増える見込みはない。
また、
●●佐賀大学名誉教授・久保浩洋先生より、”五ヶ山ダムでは水害は防げない” こと。
国交省の ”水害統計” で、水害の場所を調べたが、那珂川本流から溢れたものはなく、
水害防止に、ダムは役立ちそうにない。
政府が同建設にあたって高らかにうたう、
●今後増えていく水需要にこたえる為と、
●水害の防止の為は、
どうにもあてはまらないようです。
つまり、
1.ダムをつくってお金儲けをしたい人がいて、
2.その人達のいいなりの行政がそれに追従し
3.周囲の自然をを破壊、人々には立ち退き料、もしくは迷惑料を払い
4.巨額の税金を投じ、無用の施設を建設し
5.過剰供給のシステムをつくりあげ
6.皆が儲からないと困るので、
7.結果、私たちが高いお金をだして水を買わされている
(あれ? どこかで聞いたような??)
さらに、●渇水に備え、ということでもあるようですが、
・平成6年以降17年間は危機的状況はおこっておらず、
・30〜50年に1度の渇水の為に、今この非常時に更に500億円を使うのか??
なによりも、
渇水時などの非常時にはバケツを持って並べば良いじゃないか、自然に寄りそって生きるって、そういうことなんじゃないの??
(ここで拍手でした!! わ〜そうだ、そうだ〜!!!!)
佐賀県の天然記念物である親子杉を、ダムの底に沈ませてまで、まだやりたいの???? と。
いい加減にしてください(怒)
必要性が薄く、自然環境を壊す事業を今すぐ止めて、
フクシマで放射能を浴びる続ける生活を余儀なくされている子ども達を助けること、
その税金を子ども達のいのちと未来のために廻すこと、を福岡県に訴える署名があります。
皆さん、ご協力よろしくお願いします!
水
01
2月
2012
アメリ@只今、屋久島旅行中
おはようございます。
どうしても行ってみたかった屋久島へ、ふらりと来ています。
ふらりと来れる所じゃないでしょ!!と言われちゃうかな(笑)
皆さん!屋久島は最高です!!
お水や空気は本当に美味しいし、グローバルな植物達に大自然と共に生きる動物達。。
子供達と私はこの大自然にノックアウトされて、ここに住みたい~と連呼しています。
原発のことはもちろん、環境問題や動物愛護などたくさんのことを考えずにはいられない屋久島、皆さんもぜひ一度、屋久島へ!!
屋久島ではお世話になった方々や出会った方々と原発の話をしましたよ~
そして、とっっても心強い素晴らしい生き方をされている素敵な方とつながらせていただきました。
作家の星川淳さんです。
ツイッターでも流してくださったそう。私はツイッターをやっていないので仕組みとかもよくわかりませんが、皆さん、ぜひツイッターでつながってくださいね!
https://twitter.com/#!/HoshikawaJun/status/164377788198043648
「3人の子連れで九州へ避難してきた女性と会った。パートナーは仕事で福島を離れられず、親子が週末一緒にすごせるよう汚染の低い近隣県へ再移住予定。そこでも給食は福島産食材が混じり、弁当は不可。3度里帰りの度、子ども3人とも鼻血と下痢。こういう人たちが折れないよう応援したい。」
屋久島旅行、明日で終わります。
数日の滞在だけで頭が研ぎ澄まされ、心の栄養になり、新たに出発していく力になっています。
ママ原のある意義、素晴らしさも感じとったよ~!
やっぱりママ原は最高です!
早くみんなに会いたいなぁと思っています。
4日、ママ原のこれからの在り方について、話し合いをしましょう。
ではまた。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
いつもありがとう☆
(アメリ)
月
16
1月
2012
1月14日の「つながろうよ!福岡」キックオフでは、 福岡でそれぞれ活動している人たちがこんなにいるんだ! (脱原発グループ以外もたくさん!)という印象でした。
木
05
1月
2012
年末年始は親元には帰らず、福岡で親子3人ですごしました。実家に帰らない正月は生まれてはじめてで、あけましておめでとうなんて気持ちにもなれなず、、年賀状も出しませんでした。でも少しでもお正月気分をと思い、福岡風のあごだしカツオ菜の雑煮をつくったりしました。おいしかったです。
福島の親戚からは年賀状でどうぞ遊びにきてくださいやら、逆に頑張ってと言われるやら、放射能のほの字もでてこない生活に私の認識している世界とのギャップに混乱。
群馬の義両親からは暖かくなったらおいでと言われます。
生きている間に会えるのか、会いにいかなくていいのかと福島の祖母にはまだ年始の電話ができません。
毎回電話で、元気に暮らしているよ、元気でいてね、という会話。
曾孫の顔見せられなくてごめんねって毎回思いながら、つらくて口には出せません。
両親にも初孫の顔みせてあげたい。福岡にきたとき3か月だった我が子も1才、月日の流れを感じます。
もちろんつらいことばかりではなく、笑顔いっぱいでやんちゃに育つ子どもをみているとたくさん幸せを感じます。
避難しているみんなは多かれ少なかれある現実ですが。。
年末年始くらい帰れたら私もよかったのかな、と考えてしまう日々でした。
帰りたいけど帰れなかった。
年末は山本太郎さんもたくさん原発関連でテレビに出演されていましたね。
NHKのゆらぐ国際基準はいい番組でした。
民放の聖なる夜と放射能という番組もタイトルはどうかと思いますが、福島の自主避難の家族の様子がありのままに伝えられて、切なかったけどいい番組でした。
ドイツの脱原発デモに参加して、福島市から避難した子どもがドイツで内部被爆検査をするシーンがあるのだけど、検出されなくて!、安堵して涙しました。(逆に他の番組では日本で検査し、強いセシウムは検出されていませんから大丈夫!といった内容もありました。)
・・・・
いろんなことがありましたが、ママげんの皆様昨年は大変お世話になりました。仲間の存在、励ましで過ごすことができた年でした。みんなの存在が私を支えてくれています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
2012年は脱原発の年です。(エリイ)
月
28
11月
2011
12月のママ原(ママゲン)は福島原発の近くで、原発からの電気に
頼らずに電気も自給自足していたのらやのてんさんを福岡にお呼びします!
ライフスタイルも含めて3.11後の生活をシフトさせていきませんか?
警固公園での活動はお休みです。11月の活動報告はのちほど。。
12月もお友達などお誘い合わせの上、どうぞご参加ください。
金
25
11月
2011
明日は11月のママ原(ママゲン)活動日です!
◆明日の上映会のお知らせを再度いたします。
西山監督をお迎えして
【脱原発 いのちの闘争】上映会
●11月26日 12時~
●福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1丁目12-45)←いつもの教会
●カンパ制
*お友達お誘いあわせのうえご参加ください!
その後、14時からママ原のいつもの活動になります。
みなさん、どうぞよろしくお願いします☆
12月のママ原の活動、12/10の自然エネルギー講座のお知らせも明日します。
HP、ツイッターで告知スタートしました。ドシドシ参加お申込みお待ちしております。
ではでは、また明日お会いしましょう♪
(エリー)
月
14
11月
2011
おはようございます、ミトンです。
皆さん昨日はお疲れさまでした。
何としても成功させなくちゃ、と願っていた1万人デモ。
結果1万5千人も集まったすごい人の数に、思わず涙がでました。
(東京の6万人ってあれの4倍なんだね。。)
★デモ初参加のママ達も本当にありがとう。お疲れさまでした。
私達も含めたあの大群衆は、皆同じ気持ちで参加してるんですよね。
こんなにもはっきりとしている脱原発の意志を見ないふり、そして
見せないように努める政府、マスコミっていったい何なんだろうか。
★今回は「ママは原発いりません」の出店、皆本当にお疲れさまでした!
大好評で良かったです。次の形につなげていこうね。
ミッキーさん、インディちゃん、最後の会計まで、
どうもありがとうござい ました。
アメリちゃんとトニーネちゃんは(2人よく間違えられるそうだけど)
ママ原の双頭なんだよね。2人交互の熱いシュプレヒコールに応え、
帰りは喉が痛かったです。笑
★つながルームでは、すっかりご馳走になり、また写真も運び込ん
で頂いて、どうもありがとうございました。
★最後にやすえさんから早速届いていたメッセージを送ります。
次は26日だね!
「1万人が終り、これからが更なる正念場です。
2,3月には経済界と経産省の再稼働大合唱が起るでしょう。
つぶす為にはどうしたら効果的か、よーく考えて、
名案、珍案、奇想天外案、どんどん行動する他無い!!
誰かがやっていたら出来る範囲で協力しながら
自分の得意分野で自由に動くことです。」
ミトン
月
14
11月
2011
みなさん、おはようございます!
昨日の1万人デモは本当にお疲れさまでした。
私は疲れ果て、顔も洗わずコンタクトもはずさず爆睡してしまいました(笑)
デモでは、ののちゃんの写真展が大好評でした☆
母親の力強さを感じる!母親の笑顔は素敵!子どもを守る愛を感じる!
様々な感想をいただきました。
写真の上に
「亀山ののこ NO NUKES写真展」とあったら良かったな~、
そして、ののちゃんのプロフィールがあったら良かったな~と思いました。
写真の皆さんと同じく子どもを持つののちゃんが撮影していること、
同じく原発に悩み避難していることを伝えると
うっすら涙を浮かべる方もいらっしゃったので、
プロフィールがあるとさらにぐっと胸に響くと思います。
ののちゃんさえ良ければ、これからもいろんなイベントで写真展をやりたいです。
今回だけじゃもったいなーい!!
写真は、つながルームに置かせていただいています。
三枚で一組になるようパネルに張り直すとかコンパクト化対策と、写真がくっついてしまわないよう保管方法を考えなければいけません。
その作業を近々、26日午前かな?にしましょう。
デモの感想の続きですが、ミトンさんとビラを配りながら歩いていたら
「ママ原のHPを見ています!」という方や「MLに入りたいです!」
という声がありました☆
嬉しかったです。
でも「どうやったら仲間に入れますか?」とも聞かれましたよ。
12月10日に考えている、
ソーラーのらやさんトークイベント&ワークショップでは、
ママ原の会員さんも募ったら良いですね!
実行委員的なMLとイベント情報等だけが流れるMLがあったらいいのかもね~
エリーちゃん、どうなのかな?
今回のデモでの経験を生かし、次につなげていきたいなと思います。
誰が何をやれるのか?を少し明確にできたら動きやすいですね。
販売は、エリーちゃん、バンビちゃん、コマリちゃん、
インディちゃんが上手だった~☆
優しい雰囲気で良かったです。
展示物のそばに説明を聞ける人、託児担当、裏方担当などもなんとなく決めておけたらいいですね。
今回は、託児はハラさんやトシさん、ツーくんがやってくれていて大変助かりました。
裏方では、シルクさんが風船膨らましをコツコツとやっていてくれました。
ブレイブさんはお花の飾りつけを素敵にされていました。
トニーネちゃんは取材の対応に追われていました、さすが代表です!
私とミトンさんはビラ配り、広報がいいね!
ミッキーさんには運搬業務をすっかりおまかせしてしまいました。
ミッキーさんは総監督だよね!!
つながルームの方々にもたくさんサポートしていただきました。
改めてありがとうございました!
初めての試みの中、一人一人が自分にやれることを精一杯やっていて
素晴らしかったですね~。
かなりのチームワークでした!
原発がハイロになって、デモをやらなくなるのが一番だけど、
そう簡単には終わる闘いではないと思います。
引き続き、ゆるやかに活動を続けましょう!
昨日は本当に本当にお疲れさまでしたっ。
参加できなかった方々も想いは同じだったと思います。ありがとうございます!
ノンちゃん、体調は良くなりましたか?
みんな心配していたよ~!
ママ原に出会えて本当に良かったです。
ママ原大好きです!
これからもどうぞよろしくお願いします。
アメリ
水
02
11月
2011
夜分にごめんなさい。
悔しくて悲しくて腹が立って眠れません。
今日、九電前に大分の友達が一人で座り込みを始めました。
女性一人で大丈夫かなと心配で心配でいましたが、
強い助っ人が!!
なんと、ショウトモさんが今一緒に座り込んでくれていました。
長崎からも一人来ているそうで、三人で座り込みしています。
彼女達の真剣な想い、本気さが伝わってきます。
涙が出るよ。ありがとう。
私達も明日頑張ろう!!
時間のある方はぜひ来てください。
声に出せなくてもいいんだよ!
たくさんの人の本気さを見に来て!
九電のヒドイ対応も見るべき!
私は息子を3時間目で早退させて向かいます。
13時半には着けると思います。
ママ原の横断幕を掲げて、来れなかった人達の分まで声をあげてきます。
エリーちゃん、ライトちゃん、ミッキーさん、任せといて!
エリーちゃん、大役、頑張ってね!!
ではでは、皆さん、明日!
追伸
ママは原発いりません!
ママは原発いりません!
ママは原発いりません!
アメリ
金
28
10月
2011
Let's actionページに福岡市で行われている【住民投票実現アクション】を加えました。
10月3日~11月3日で目標4万筆!
玄海原発とこども病院の2つの問題について住民投票で決めましょう!
福岡市に住民票がある方で意思表示がまだの方は→
天神イムズ6階の自然食品屋さん、ナチュ村に全区の署名簿が揃っているそうです!
他各地で街頭署名も行われています。(以下ブログ参照)
福岡市の方、署名にご協力ください!受任者(署名集め人)になってください!
大事なコトは市民が決めましょう。
http://fukuokavote.blog.fc2.com/
※福岡市も東京都も大阪市も、「住民投票条例」を持っていません。
だから、まず「住民投票条例を作ろう!」という直接請求からスタートさせなければ
なりません。
大事なコトは、市民が決める!
政治家になんでもかんでも白紙委任するのではなく、私たち住民が決めるための「住民投票」なのです。
わたしたちの意思表示、政治に反映させたいですね☆
月
24
10月
2011
ママ原の皆さん、こんにちは!
土曜日はママ原の活動日、お疲れさまでした~☆
瓦礫問題、給食問題、福島市渡利署名、国民投票
いろいろな問題について考え情報をシェアしました。
ティーコさんの福島、仙台の写真やデータ付き報告会に耳を傾けました。
ママ原のステッカーでは可愛い!の歓声があがり、Tシャツ作成に向けて、素材やデザインの話し合いをしました。
1万人デモにて、ののこちゃん写真展、ママ原グッズ販売の構想を練りました。
集会後、テント村の上條さんに案内してもらい、つながルームを見学に行きました!
つながルームにママ原のステッカーを置かせていただきたいです!
次は一万人デモです!
子どもは明るくオシャレして、女の子はドレスを着たりで盛り上がりましょう!
Tシャツは問い合わせしてますので、色やデザイン、金額がわかりましたらまたお知らせします。
ママ原の11月活動日は26日です。
ママ原、忘年会を企画中!
安心安全な食材を食べれて、座敷があり、みんなが集まりやすい場所を探しています。
情報をお持ちの方、ご連絡お待ちしてます。
アメリ家のお泊まり会は、
ミッキーさん、トニーネちゃん、インディーちゃんが参加。
朝方まで会話を楽しみました。
冒険家族にはあいにくの天気により、参加を断念しました。
冒険家族には行けなかったけど、とっても楽しかったので、来月にまた第二回を企画中です。
以上、ザッと報告です。
皆さんからの細やかな感想もお待ちしています。
フォローお願いします。
では皆さん、またね♪♪
(アメリ)
日
23
10月
2011
山梨県にいらっしゃる版画家のこばやしこうさん(子育て中のママ)と、宮崎県にいらっしゃる相馬敬子さんのご協力で、かわいい「ママは原発いりません」ステッカーができあがりました!
車、ママチャリ、玄関先など、いろんな場所で、静かに深く、脱原発を訴えるのにもってこいの一枚。「ママは原発いりません」は団体名ではありますが、脱原発を願う母たちの普遍的な思いでもあると思います。この思いを、潮騒のように日本に広げていきましょう。
一枚200円。収益は、活動費と募金にさせていただきます。ご所望の方は、ご入用の枚数と住所、氏名、電話番号をお書きの上、chronikasha@gmail.comまでお寄せください。
土
22
10月
2011
10月22日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、
11月13日に行われる「さよなら原発!福岡1万人集会」のチラシ配りや、「住民投票実現アクション」などの街頭署名集めをしました。警固公園では雨が降って、断念したのですが、みんなで歌いながら教会に向かう途中、だんだんと雨がやんできたので、教会の前の道路で、チラシ配りと、署名集めをすることができました。
大活躍だったのは子どもたち。道すがら、プチ拡声器を持って、「原発にはおなかいっぱい♪」の歌を歌ったりしてました。チラシ配りも、大人より、子どものほうがずっと得意。興味のなさそうな人たちも、子どもがいるだけでガードが下がるようでした。
教会では、11月13日の一万人集会に向けて、いろいろと作戦を練りました。「ママは原発いりません」ステッカー(200yen)や、脱原ソーラーライト(500yen)、オススメ本、わくわく工房とのコラボ菓子など、ママ原グッズ満載のブースを出店します。写真家の亀山ののこさんの、「原発いらないママ」たちを写したミニ写真展も開催します。お楽しみに!
火
18
10月
2011
ちょっと感動する詩がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不意に
答えを風に聞きそうになる
雨に
自分で決めろと言われた気がする
雲が流れ
雨が緑をぬらし
朝とともに
山に靄をかける
ぼくは
わたくしとは
なにものなのか
生まれてから
死ぬまでに
どこへむかうというのか
山々は
あり方を問いただしてくる
でも
実際は
その静かな存在感に
自らの
傲慢さや欲
落ち度を隠しきれず
ただ
自分に問い詰められているだけなんだろう
どこまでも深く
どこまでも高く
世界は自分次第
朝が明ける少し前
海と空の間の色
僕は今
なに色ですか
・・・・・・・・・・・・・・・・
あふれ出るような感受性。
今の若者は、半端じゃないなと思わされる。
これを書いたのは、米原カンタくんです。
最初にママ原を始めることを勧めてくれた21歳の若者です。
こないだは、経済産業省前で、ハンガーストライキをしてましたね。
NHKのあさイチ、わたくしも見ました、エリー。
私は、甘いかもしれないけど、ホッとしました。
郡山で、ただでさえ被曝してる母子たちが、
少なくとも一週間は放射性物質を食べなかったんだってことがわかって。
今回の原発事故で、私たちは今、みんな、
生き方を問われていると感じました。
何を大切にするのか。
どこで生きていくのか。
今までも問われて来た。
でも、今はもっともっと問われてる。
あなたは、どう生きますかと。
子どもに、あえて福島県産を食べさせる母親、
なるべく食べさせない母親、
避難する母親、
地元に留まる母親。
みんなが、
それぞれが、
一人一人の選択が、
どうか真剣なものでありますように。
それだけを、ただただ祈ろうと思ったのでした。
そんな折、
ちょっとよすぎる詩にぶつかったので、
再度、朗読させてもらっていいですか?(笑)
ぼくは
わたくしとはなにものなのか
生まれてから
死ぬまでに
どこへむかうというのか
山々は
あり方を問いただしてくる
でも
実際は
その静かな存在感に
自らの
傲慢さや欲
落ち度を隠しきれず
ただ
自分に問い詰められているだけなんだろう
人は、人間とは、悲しくなるほどバカだね。
バカで、愛おしい存在だね。
そして、一生懸命生きている。
推進派も、脱原発派も、避難派も、地元に残る派も、
精一杯がんばって生きている。
「自分は何者か」という問いを、
直視したり、無視したりしながらも、
結局は携えて歩んでいる私たち。
こんな私たちの、一人一人のがんばりが、
どうかいつか報われますように。
こういう瞬間を詩に書き留めている、カンタくん。
21歳とは思えない少年の、言葉の重み。
世界は、どこで変わるんだろう。
もしかして、こういうところからではないかしら。
トニーネ
木
13
10月
2011
さすが東京新聞だよね。
この記事よんで、今、金原ひとみさんが、
まさに私たちママの代弁者になってくれてると感じたよ。
岡山だったら近いし、いつか招いてみたい。
言うことがさすがに鋭いよ。
なんで日本は変えられないんだろうね。
主人は一体誰なんだろう?
トニーネ
原発推進の内なる空気 制御されている私たち 金原ひとみ
長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗きれいに畳み直し、あと僅わずかとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。
三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。
放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろし いことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違 い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上で も情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻かき集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。
四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルク を飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。 放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄やゆする人もいるらしい。人は多少被曝ひばくしても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。
原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実 となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。
こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れ は変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろうむ数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、 変わらないままだ。
既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛つらいだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐こわくて何もできない人がいることは不思議ではない。
しかし多くの人が癌がんで死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。
私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。
東京新聞 2011.10.11 夕刊
火
20
9月
2011
みなさま、どうも!
17日のママゲン、おつかれさまでした。
そして18日の誕生会、ありがとうございました。
トニーネは、32歳になりました。
昨日の東京のデモ、もう見ましたでしょうか?
6万人です。警察発表では2万7000人ですが、
6万人以上いたんじゃないかという話です。
私はほんとに感動しました。
福島の事故直後、ドイツで10万人デモがあったとき、
どうしたらそんなデモが起こせるんだろうと、
心底うらやましく思いました。
ドイツでは、緑の党とか、
普段から組織的に活動しているグループがあるので、
それだけの人数を集められるのだと聞きました。
ひるがえって、そういった組織の弱い日本で、
さらにはデモの文化も育っていない日本で、
6万人!
もしかするとそれ以上の人たちが自発的に集まったのです!
これは大ニュースです。
でも、わかってたことだけど、このデモを、マスコミがトップで
取り上げる向きはありません。
マスコミには、もう正常なニュースの価値判断ができなくなっています。
でも、本当のところ今回のデモは、日本の歴史を塗り替える、
と言ってもいいものだった、と私は思います。
もし、これだけの民意を受けても政治が変わらなければ、
誰のための政治でしょうか。誰のための国でしょうか。
そう、私たちのための政治でも国でも、なかったのです。
今まで。
一部の利権や特権のある人たちが、今の日本を動かしています。
電力会社ひきいる経済界も、「それでも原発は必要」という思想を、
あの手この手で、国民に浸透させようとしています。
今回、新聞の調査で65%の人たちが、
「たとえ経済力が落ちても、原発はいらない」と解答しました。
これだけの民意を受けても政治が変わらないとすれば、
今の政治が、一部の利権者のための政治だったんだと、
みんな否応無しに気づくはずです。
国民の命を守るよりも、福島の子どもたちの命よりも、
自殺した農家の方たちの命よりも、
お金儲けをしたい一部の人たちのための国家だったと、
私たちは否応なしに、気づかされるはずです。
だからこそ、今、政治もマスコミも利権者も、
瀬戸際に立っています。
今、日本が変わろうとしています。
あと一押しです。
6万人がデモに集まりました。
6万人です。
東京から、革命が起きようとしています。
当事者意識の薄い福岡ではなかなか人数が集まりませんけれど、
福岡にいる私たちもがんばってます。
今、日本の大きな変わり目、激動の時代に、
みんなと一緒に生まれてきたことは、
やっぱり何かの必然だったように感じます。
関東・東北のお母様方に伝えたいです。
福岡には、こんないい仲間がいます。
ときどきくじけそうになるけれど、私たちは元気です。
(トニーネ)
火
20
9月
2011
こんばんは。インディです。
昨日は東京の「さようなら原発」に6万人集まったと知って、
ひとり感動して涙してました。
私たちと同じ思いの人はたくさんいる。
お金より命だって気付いてる人はたくさんいる。
だって6万人だよ?そんな大勢の人見たことない。
それだけたくさんの人が自分の意思で集まったんだよ?
すごいよね。
デモしたり、署名集めたり、呼びかけたり。
私たちママの声はほんとにちっぽけなもので、
すぐにつぶれてしまいそうになるけど、
そんな声だってきっと誰かの心にはちゃんと届くんだって思ったら泣けてきました。
6万人が100万人になって、1000万人になって…
そうなったら原発推進しようとする人たち手も足もでなくなる。
そんな日が来るまで、私は小さな声を上げ続けようって思います。
そしてそんな姿を子どもたちに見せ続けたいと思います。
こないだの活動の時の子どもたちのデモ見て、
ちゃんと次の世代につながってるって思ってうれしかったよ。
(インディ)
土
17
9月
2011
9月17日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、
「東北地方太平洋沖地震の瓦礫処理及び焼却灰の処理に関する請願」と、
「福岡市の学校給食食材に関する請願書」に対する署名を集めました。
〜ご協力下さった方々、どうもありがとうございました。〜
”汚染瓦礫と汚染焼却灰処理の問題” に関しては、復興支援の妨げになるから福岡県でも受け入れをすべきである、というご意見も頂きました。
ここには、行政の示す ”安全値” が、食品を例にとっても未だ "暫定” であり、放射性物質の性質が、”しばらくの間” で話をするにあまりにも不向きであることも、問題として挙げられると思います。受け入れをした後の周りの環境への影響は、過去のデータ等があって、安全を確約できるものでないのも事実ではないでしょうか。
被災地の一日も早い復興を願う思いは、皆一緒だと思います。
けれど、汚染物質を全国に拡散することは、たとえ微量であるとしても、得策であるとは思えません。。
”汚染ガレキの焼却許可は、福島原発事故の再現です。
地面に落ちた汚染物質をもう一度、空気中に舞い上げることです。”
by NRC(アメリカ原子力規制委員会)
皆さんの街の 焼却炉、もしくはゴミ処理場が、どれだけ放射性物質の外界への遮断性を持つか、是非問い合わせてみてください!
月
11
7月
2011
トニーネです。
さいきん動きがなくて、みなさん心配してらしたと思います。どうもすみません。
私トニーネはホメオパシーの勉強に没頭してました。
なんで今?って思うかもしれないけど、私思ったんです、
自分が一番幸せなことをしようと。
そして、その幸せなことで人様の役に立とうと。
最近、こういう活動してて気高いだなんて言ってもらったけど、
全然違って、結局のところ私は、
こっちに来て、とにかく焦って、恐怖でいっぱいで、
友だちもほしくて、自分のことばっかりだったと思う。
正直な話。
でも、その結果得たものは、大切な仲間。
ホメオパシーにまた没頭できるようになったのも、
気持ちをシェアできる仲間ができたからでした。
だから、みんなに本当にありがとうです。
奥田民生の「あーりがとー!!!」を歌いたい気分。
今、玄海はてんやわんやですね。
福島第二原発もあやしくなってきています。
日本は今、どうしようもなくなってきてると思います。
前は、そんなときになんで勉強か、
それどころじゃなーい!って感じだったんだけど、
でも、なんかシコシコ勉強できるようになったのには理由があります。
腹をくくりました。
「たとえ明日、世界が滅ぶとも、
リンゴの木を私は植えよう」
と、ルターが言ったんだったかな。
私は、もし地球に未来があるとしたら、その未来に必要だと思うから、
地球が終わる日までできることをやろうと思いました。
そして、私に今できる一番のことはホメオパシーだと思ったんです。
遠回りに思えるかもしれないけど、それが今、
私にとって一番、「今日いちにちを、地球の未来のために進んだ」と思える、
実感を伴う行為なんだとわかりました。
もちろん、原発を止めるためにも、
何か作戦を考えていきたいと思います。
でもそれは、本業をきちんとやった上で、その余力で、です。
代表がこんなんじゃまずいかもしれないので、
そのうち、誰かにお願いするかもしれません。
ただ、ママ原らしい、ママにしかできない、
実感を伴った何かにしていきたい、
そういう構想はあります。
ちょっと待っててください。
最近、めっきり元気になったのは、こういうふうに思ったからです。
原発で、もしも、ですよ、もしも死んでしまう日が来ても、
「まあいっか」、と。笑!
おかしな言い方かもしれないけど、
きっとこれは、人類にとって必要な過程なんだと思ったんです。
「やな時代に生まれちまったぜ」と思うけど、
最近、朝の連続テレビ小説見てて思うに、
いつの時代も、飢えとか戦争とかで、みんな生死をさまよっていたんですよね。
いつの時代も、必要な過程が起きていた。
今も、それが必要である程度は同じなんですよね。
今起きていることは、放射能というよりも、
利権を手放したくない人たちの、自分の欲望との戦いで、
人類の欲望は今、欲望を手放せない人自身が自らの生命を
滅ぼしかねない局面にさしかかっているように思いました。
でも、彼らの中での戦いが失敗して、その結果、
巻き添えをくって私が死んだとしよう。
「それも、しょうがないかな」って思ったんですよね。
だって、彼らも私たち人類の仲間なんですもんね。
仲間の失敗のために、人は死ぬことだってあるでしょう。
だけど、死ぬ日まで、仲間のために、諭し続けることはやめない気持ちで。
愛しましょう。
それがママです。
今日は突然、詩を贈りたくなりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せな一日を。
(トニーネ)
木
16
6月
2011
昨日は、6月28日の九電株主総会に向けてのMTGがあるということで、出かけてきました。
MTGに参加するだけでいいのかな、なんて思ってたら、
今度の6・28には、デモやイベントも企画されているようで、
その若者たちの連絡係がほしい、と。
若者軍団、みんなシーンとなってしまい。
みんな、ほんっっと疲れてるんだよね。
あんな大きなデモやって、財力も体力も時間も、使い果たしてしまっている。
なんか見るに見かねて、手を上げてしまったトニーネ。
あああ。でも、私もけっこういっぱいいっぱいなんだけどな。
これを読んでくださったみなさん。
よかったらご協力お願いします。
6月28日(火)の午前中ですから、ほとんど会社勤めの人は集まりません。
頼りは、フリーターとママです。
子育て中のママ、どうか!!!お願いします。来てね♡
ジャグリングとか歌とか、いろんな楽しいイベント満載ですけん。
さあ帰ろうか、とみんなが解散し始めたとき、
福島から避難中のアメリがこんな話をしていました。
「昨日さ、テレビ見てたら、酪農家が自殺したって。
そしたらテレビの人が、『自殺よりほかにいい方法なかったんでしょうかねえ』って。
でもさ、誰だって自殺したくなると思うよ、
ずっと大切に築き上げて来たもの取り上げられて。
すべて失って。
私だって、家族とも離れて、建てたばかりの家も住めなくなって。
もう自殺したほうがいいかもしれんって、夫と話したりするもん。
私たちはさ、ただ、今まで築き上げてきた場所に、帰りたいだけなんよ。
帰りたいだけなのに、もうそこは帰れない場所なんよ」
話してるうちにアメリは泣き始めて、私はちょっと呆然となって。
いつもアメリは明るくて、元気で。
私も、東京から離れてつらかったけど、
私より大変なはずのアメリがいつも明るいから、
がんばらなきゃーって思ってたけど、そうだよね、
アメリ、やっぱりつらかったんだって、
自殺したいほどつらかったんだって、
そんな当たり前のことを思い、ショックでした。
福島の人たちに、自殺させておけばいいのかな。
ほんとは、こんなことになった今、
私たち一人一人が、もっと、死ななきゃいけないんじゃないかな。
私は、そんなことを思いました。
もっともっと、自分のことじゃなくても、もっともっと、
私たちは福島の人たちの痛みを、シェアしなきゃいけない。
もっと、福島の人たちの怒りを、悲しみを、感じなきゃいけない。
福島の人たちが自殺したほうがいいと思うとしたら、
それは私たちの責任。
彼らと一緒に、悲しみ、怒り、死ななかった、
私たちの責任。
ママ原は、アメリ一人に死なせないね!
(トニーネ)
火
14
6月
2011
「51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉
6月11日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。
「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。
「表現の自由」
この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。
「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。
警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。
原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。
東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。
私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。
法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。
生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。
私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。
政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。
法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です」
と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。
若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。
「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。
私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。
しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。
51年ぶりです。
タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。
* * * * *
いやあ、その場にいたら、ものすごい感動だったでしょうね。「何かがおりてくる」とき、ですね。大事、大事。
(トニーネ)
日
12
6月
2011
ママ原メンバーで、福島から避難中のママ、うのさえこさんが、広島のデモで訴えました。
* *
福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。
目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。
耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。
耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。
耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。
耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。
耳を澄ましましょう。自分の心の声に。
私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。
私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。
再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。
広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ
土
11
6月
2011
ティナ@2人の子どもと共に、福岡に避難中です。
来月には育休が終わるので、埼玉に帰らないといけません。
赤ちゃんである次女を母親が引き離すのは可哀想なので、やっぱり連れて帰りたい…
でもTwitterで、埼玉県内の保育園の土壌を自主計測したママから、規制値を越える値が出ていたことを聞きました。そのママは現在、お子さんと沖縄に避難しているそうです。
家ではいくら気をつけても、保育園が対策をとってくれないと、子どもと一緒に埼玉で暮らすことはできない。
そう思って在福岡のまま、埼玉県への署名を集めることを計画しました。
降ってくるものは止められないけど、本来なら避けられる被曝をさせたくない。
将来、子ども達に「なんでお母さんたちは、その時に何も言わなかったの?」と聞かれて答えに窮したくない。
ちょうど来月は県知事選があるので、タイミング的にもチャンスとみました。
子どもへの被曝対策を争点に浮上させられたら、他県の首長も多少は意識すると思うのです。
自分が行動を始めると、県内で協力して下さる方も次々に出て来てくださいました。
署名を集めることと並行しながら、埼玉県議会への要望、選挙前の公開質問状、被曝に関する学習会など、やれることは何でもやっていこうと思っています。
自治体を動かしたいのももちろんですが、署名活動を広げることで埼玉県内で、子どもの被曝対策への関心を高めたい、という狙いもあります。 被曝慣れ(?)や、諦めの風潮を変えたい!
あと、不安を抱えてる親が孤立してる現状がよく分かったので、「1人じゃないよ!」と伝えたいのです。
どれだけの広がりを作れるのかは分かりませんが、とにかくやってみます!
署名フォームなど完成しましたらこちらにもまたメールいたします。ご協力いただけると嬉しいです。
(ティナ)
金
10
6月
2011
太宰府市に住むミツノンです。
ここ最近、家事の合間を縫って、少しづつですが放射線の勉強を進めています。
ネットで検索して、調べるのが主ですが、
読むだけでは、なかなか頭に入っていかないみたい。
それで、これはと思った記事や文章は、
日付つきで、ノートに書き写しておりました。
5月19日
ー原発情報ー
チェルノビルでは、最高で1平方メートル当たり380万ベクレル。
(148万ベクレルで強制避難)
原発から北西40キロの飯館村で、2000万ベクレル。
148万ベクレル以上 → 強制避難
~55万5000 → 強制移住
~18万5000 → 希望者は移住を認める
~3万7000 → 放射能管理が必要なエリア
*メモ*
日本の表面積は、地球の表面積の0.07%
全世界の原発の約13%が、この国土に密集している。
五月の終わりごろ、週末、
夜、長男(5年生)が、鼻血を出した。
なかなか止まらず、
「鼻糞でもほじったの?」
と、訊くと
「いいや、ほじってない。
いきなり出てきた」
と、答えた。
翌朝、再び鼻血。
耳が痛いという。
見ると、右耳の下が赤くプッくリと膨れている。
長男は時たま鼻血を出す子だけど、
耳の下が腫れているのは、初めて見た。
六月の頭ごろ、
長女(3年生)が、学校から帰ってきた後、鼻血を出した。
突然出てきたという。
今週の中頃、
次女(6歳)が、近所のスーパー近くで、小学生のともだちとたたずんでいた。
雨にぬれていた。
翌日朝、耳が痛いと言った。
見ると、左耳の下が硬く盛り上がり、うっすら赤く腫れている。
数日後、腫れはひいた。
三女は今のところ、何もない。
思えば、小学生二人は、家では長年牛乳を飲ませていない。
学校給食では毎日飲んでいる。
家での食事の違いと言えば、これくらい。
肉類も、鳥肉なら調理して夕食に出す。
牛肉豚肉は、調理の際、臭いアクがたくさん出るので、
自分からは買わない。(でも、ときたまひき肉を買うことは、ある)
(ミツノン)
木
09
6月
2011
福島県福島市から福岡に避難し、今、私事で生まれ故郷の宮城県に一時的に帰ってきているアメリです。今、現在の福島市の状況ですが、ママ達の悲痛の叫びが「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」のホームページのコメント欄から知ることができます。福島を応援する温かい方々からの応援メッセージも読むことができます。
ぜひ皆さんにも読んでいただき、福島のママ達の苦しみ、悲しみ、怒りを知り、そして皆さんの活力へと変えて訴えてください。玄海を止めることもとってもとっても重要です。並行して、今現在、放射能に苦しめられている福島を助けてください。福島のママ達は自分のことでいっぱいいっぱいです。
私も福島の自宅に子どもを連れて戻った日は、外で遊びたがる子どもをなだめ、暑いと勝手に窓を開ける子どもを叱り、測定器とにらめっこしながら家の中の除洗をし、たった一日だけだったのに精神的にも体力的にも苦痛でした。福島のママ達にこれ以上の負担を与えないように他県の皆さんが代わりに声をあげてください。特に今のところ地震も放射能も心配のない九州の皆さんの力が本当に必要です。宜しくお願いします。
福島の自宅を出る時に4歳の娘が急いで私に庭に咲いていたシロツメクサを「ママにプレゼントだよ!」ってとってくれました。いつも部屋の片隅に飾っていた草花、嬉しいはずの想いが、放射能が手についたかもしれない、早く車に乗せなきゃと焦りでしかありませんでした。小さな子のこんなほんわか優しい想いをも放射能はかき消します。放射能が本当に憎くてたまらない。
皆さん、とにかくとにかく、福島を守ってくださいね。本当に本当に本気で宜しくお願いします。
もう少しで福岡に戻ります。そしたら皆さんで顔合わせ、意見交換の集会を開きたいですね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
皆さんに会える日を楽しみにしています。
読んでくださって、ありがとう!!感謝します。
(アメリ)
水
08
6月
2011
トニーネが東京にいたころのママ友、ヒギーから、こんなメールが来ました。
* * * * *
東京では危機意識の高いママを探しながら輪を広げようと頑張ってます。
先日友人に『子供の居場所の放射能値測定に関する署名』を
頼まれたので私も協力することにしました。
幼稚園の庭の数値も気になってたので園のママの協力を得ようと
園に許可を取って署名をもらえるように園長に掛け合ってみました。
園内でなく、お母さん達のネットワークで行い園の外で署名するなら大丈夫と許可を得ました。
署名をやると中には積極的に活動を協力してくれるママも居たのでやって良かったなと
安堵してたのも束の間、次の朝に園長から指導が入りました。
『いろいろな意見のお母さんが居ますので、園から見えない場所で行ってください。』と・・。
もう秩序とか組織にとらわれている場合じゃないのに。
3.11以前と変わらない常識に縛られている親の意見に逆に驚きを隠せません。
そういう人達は今、何を優先して生きているんだろうって・・・。
安全かどうか確認もされてない園の庭で遊ぶ子供を見て悲しいし落胆してしまった。
他の園でも、署名活動をしたママに対して他のママから注意があったと聞きました。
園での活動の中で不安になる行事もいくつもあるけど、
声に出してるママが居るのか居ないのか・・・。
放射能の話は公の場では全くされてない状態。
まるで原発事故すら無かったかのような状態で行事も進んでいる。
疑問を持っても声を上げないと意味ないのに、周りの目を気にしてか、無関心なんだか、
みんな生きながら眠っているように見えて怖い・・。
ママの間ですら戸惑うほどの温度差があり余計な部分でエネルギーを削られてしまう状態。
東京に居るからには少しでも子供に被曝させない努力をしたいと思うけど、その対策に関しても
やってる、やってない、どの程度してるかで結局最後は対立的になり放射能の話は、
更にものすごく気を遣うのが現状。
放射能という人間の五感では感じないものに対して個人的に長期的な対策をするのは
とてつもなくストレス。
『目に見えない→目の前に無いもの』に変わってしまう。
大半の人は心身共に疲れてしまい、覚悟を決めて向き合うより『どうせ全部防げないから』と
全てのスイッチを切って普段と変わりない生活に戻っている人が多い。
* * * * *
東京を離れ、残してきた人たちに申し訳ない気持ちのトニーネでしたが、
ヒギーからは「がんばってくれてると思うと元気出る」って、逆に励まされました。
彼女が今参加してる活動は、おひさま会http://ohisamakids3.jugem.jp/だそうです。
一緒に、がんばっていきたいね。ありがとう。
(トニーネ)
木
02
6月
2011
久留米市の医師西村靖子さんのお話会で
放射能対策のビデオを教えてもらいました。
見たり音や振動で体内に含まれた放射性物質を除去できるそうです。
その映像はアメリカのミネラル社が医療用に開発したものです。
不思議な映像と超音波の様な音に振動を感じれます。
子供と一緒にかけ流すと良いそうです。
でも子供には「これは、放射能が・・」って説明はしないでね!と言われていました。
そういうイメージが残っちゃうそうです。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WS_7kjj3X6A
(チキチータ)
月
30
5月
2011
今日、お昼に開かれたトミナガマイさんのスライドショー&米原幹太くんのお話会に
エリーとトニーネも出席してきました。
音楽や詩や写真を見たりする中で、
「てんごくのおきゃくさま」という絵本の朗読がありました。
原発問題をテーマにした、30年前の絵本でした。
あらすじを軽く説明しますと・・・
* * *
天使たちがお空で遊んでいると、変わった天使たちがお空に上ってきました。
それは、原発の事故によって、お母さんたちのおなかにいられなくなってしまった、
人間や動物たちの天使でした。
そして、原発によってどんな悲惨なことが起きているか、
変わった天使たちが説明をするのです。
「この状態をどうしたらいいだろう?」
天使たちは考えて、子どもたちに、
「原発をつくらないように」という、手紙を届けることにしたのでした。
大人たちが、子どもたちを通して、そのメッセージを受け取れることを願いながら。
PCからはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201103140001/
携帯からはhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=monwingaji&id=35282799
* * *
トミナガマイさんの写真を見ながら、
その絵本の朗読を聞いていると、本当に胸が詰まる思いでした。
放射能の影響を一番受けるのは、子どもたちだと言われています。
チェルノブイリでも、胎児や6歳までの子どもたちに、
10年、20年後、奇形や白血病、甲状腺がんなどが多発しました。
危険区域にいる子どもたちを避難させることなく、
2000ベクレルという高い基準の食べ物を流通させている、
今の日本政府の対応を見ていると、
日本でこうした天使たちが生まれてしまうことは、
時間の問題ではないでしょうか。
チェルノブイリを超える汚染を受けながら、
日本だけは、チェルノブイリのようなことが起こらないと思っているかのような対応。
その異常さに、正直、震撼します。
私たち大人は、何ていう社会を作り上げてしまったんでしょう。
今、お母さんたちのおなかの中で苦しんでいるかもしれない子どもたち、
もう生まれることをあきらめてしまった子どもたちに、
何と謝ったらいいんでしょう。
そのあとのお話の中で、
20歳の米原幹太くんが言った言葉も、胸に突き刺さりました。
「子どもたちの未来を考えない、どんな行動も大人のエゴだと僕は思う」
何で原発があるの? そんな危険なもの、いらないじゃん。
子どもの視線から見たら、とても当たり前の公式が、
大人たちの世界では、主張するのがなぜだかとても難しいことになっています。
絵本では、天使が子どもたちに手紙を託しました。
でも、それは本当のことで、子どもたちは一人一人が、
存在している、そのことだけで、天使からの手紙を日々、
私たちに届けてくれている、と思いました。
大人中心の世界では、子どもは力がなく、半人前だと思われているけれど、
子どもから見て、当たり前のことが、
当たり前になっている社会のほうがきっといい。
なぜって子どもは、天使からの手紙を託されている存在だからです。
そんな子どもに、被爆を強要し、
学校や園に通わせるような国なんか。
そんな国に、未来があってたまりますか。
ちょっと過激だけど、そんなふうに思えます。
東京でも、低線量被曝が始まっていると、
ジャーナリストの木下黄太さんがブログで書いておられました。
福島から200キロ離れた場所でさえ、そんな状態なのです。
何ていう世界を、私たちは子どもたちに残してしまったのでしょうか。
言葉になりません。
(トニーネ)
金
27
5月
2011
ママ原の立ち上げにも関わり、30日にはトミナガマイさんのスライドショーでもお話をする、米原幹太くんのmixi日記
* * * *
「若者が動こうとしている。」
コミュニティをつくりました。
after311
どうすんだよ?若者は?
同世代として、
みんなにanswerを求める。
若者が若者へ発信していく。
この行為に、
とことんこだわろうと思う。
すでに
生まれてしまった
これから
生まれてくる
次の世代に、
本当に申し訳ない。
黙って
黙って
静かに
静かに
死んでいく
この島
子供が死んで
未来は無くなり
金が無くなり
未来は拓ける
この関係性
みえる人が何人いる?
資本主義という
病はもはや病ではなく
生きるために
息をする
食べる
飲む
これら
生きるための事象
資本主義はその中に
金を稼ぐ
を生み出した
金があったら生きていける
Why?
金があっても食べ物無い
はい。死んだ
日本人この民族は
金がない世界を
全く想像できない
頭の片隅にもない
だから
滅びると思う
311
起こった
はっきり
わかった
日本人
この民族
金が命を上回ってる
前々から感じてた
違和感は正しかった
残念
アジアの片隅
「資本主義」の
完璧なモデルケースが完成
それが、日本州です。
武力で支配
もう古い
金という概念で支配
回りくどく
ねちっこく
静かに
静かに
手を回されて
吸収された
しかし
誰も気づかず
気づいた人は
爪弾き
口にだせば
首が飛び
タブー恐れて
何もいわず
面倒くさいから
無関心
結果は
原発爆発
起きても
無関心
相変わらず
疑問を抱けど
かみ殺し
不安を煽ると
真実見ずに
TVを見て
笑ってな
ここに、
小中高、大学
管理教育の成立をみました。
意図的なシステムが、
日本の風俗、
人格までに密接に絡み込んでいる。
金を稼いで使うことが染み着いて、この性から死ぬまで離れられない。
なぜなら、息をするのと全く同じこと。
息をしなかったら死ぬ。
これと同じ。
自分自身を、否定したり、問いつめたり、ある一定の自分を越えたり。
してきて無いと、この日記は解読不可能なのかもしれない。
そして、
そんな人が
一般常識者的視点の異常な人。
ぼくからみたら
当たり前の人。
言い訳ばかりして
良いわけがないと
自分に言い聞かせて
戦うやつが少ない
そんな気がするよ
とか、思うから
正直に言うわけよ。
過激と言われてもね~(笑)
* * * *
最近「幸せの経済学」っていう映画を見ました。
私も、最近まで、金がないと、って思ってた人間の一人。
幸せでしたか?って自分に聞いてみた。
いつも誰かと争って、
蹴落とさなきゃ落とされるっていう、恐怖ばかりで。
何の肩書きもなくなった今のほうが、よっぽど幸せだ、と思う。
今の私の使命は、子どもを守る、それだけ。
今も、多くの人が、やっぱり「命よりお金」って思ってる。
原発が必要だって思ってる。
この日本で、彼らもきっと、
私がやってた戦いを、今も繰り広げているのかなって思う。
聞きたくないことに耳をふさぎ、
見たくないことに目を閉じている人に、
真実を伝えようとする人は、
いつの世だって、煙たがられてきた。
ソクラテスだって殺された。
煙たがられてもいい、
そういう人たちの戦いが、早く終結するように、
応援する自分でありたいと思う。
もちろん、自分の戦いも、まだまだ続くわけだけれども。
(トニーネ)
水
25
5月
2011
ママ原勉強会の講師にも来ていただいた、平和学の専門家、足立力也(通称リッキー)さんの日記
* * * *
行ってきたよ、見てきたよ、フクシマ。
マジヤバいよ、フクシマ。
まず、マイミクsaikomsさんからガイガーカウンターを借りる。
もともと、このガイガーカウンター、アラームがなるデフォルト値が0.3μSv/h。
福島駅でその値をあっさり超えた。
駅前東口の空間線量率で1μSv/h。
いきなりピーピーなりだす。
周りには、普通に駅の利用者がいる。
慌てて、早速アラームの閾値を2μSv/hに設定し直す。
んで、同じ東口で、側溝の上に近づけてみると、一気に3μSv/h超え!
またもピーピーピーピー、アラームが鳴りだす。
ひええ!
※参考までに。
1μSv/h=年間8.76ミリシーベルト。
3μSv/h=年間26.28ミリシーベルト。
いわゆる「20ミリシーベルト問題」を軽く突破のヤバすぎる値!
福島市もこりゃアウトだよ。
海岸線。
新知町~相馬市~南相馬市まで走破。
海岸から内陸数キロにわたって、マジで真っ平ら。
もうそれは見事なほどに、真っ平ら。
2カ月たってんのに、復旧どころか、片付けすら終わる気配がない。
街中、田んぼ、屋根の上。
船があちこちに転がってる。
小舟なんかはもちろん、結構なトン数ある船も陸の上。
普通の重機なんかじゃ絶対持ち上がらん。
どーすんだコレって感じ。
相馬市松川浦の漁港付近は、まだ信号も復旧してない。
イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが瓦礫撤去のボランティアをしている
南相馬市の現場もお邪魔した。
おばあちゃんの一人暮らしのお宅。
線量計を持って行ってたので、あちこちはかってくれと頼まれる。
家の中、側溝、蔵の中、そして畑。
特に、畑で作っている野菜を食べてもいいかどうか、心配していた。
畑の地表は0.6μSv/h。
ちゃんとベクレル値で測ってないから正確には分からんが、
そんだけ出てたらやっぱやめたほうがいいよな、ってんで、
食べないことにした、と後から連絡を受けた。
そして、件の飯舘村へ。
南相馬市・原町区は平均して0.22μSv/hくらいだった。
それが、八木沢峠を越えて飯舘村に入ると、突然線量率が上がる。
一気に1→2→3μSv/hへ。
アラームがけたたましく鳴りだす。
上述したように、いわゆる「20ミリシーベルト」で考えてもアウト。
めんどくさいので、アラームの設定値を6μSv/hに設定し直す。
役場前も3μSv/hくらい。
我々が役場に着いた時、幼児を乗せた幼稚園の送迎バスが
ちょうど出て行くところだった。
早く逃がせ、アホたれ!!!
菅野村長とも面談。
やつれた表情、うつろな目。
ダメだ、こりゃもう精神的に疲労しすぎだ。
対応能力を失っている。
ちょうど長野県中川村の曽我村長からケータイに電話が入る。
どうも、俺のツイートを見て、俺が飯舘村にいることをつかみ、
連絡してきたようだ。
「こっちにも村営住宅で受け入れるよって菅野村長に連絡してるんだが、
返事がないんだ。聞いといてくれないか?」
早速菅野村長に聞いてみると…
「申し出はありがたいが、そういう話をたくさんいただいている。
ひとつひとつに返事を出せる状況じゃない」
「今電話があったばかりなので、コールバックしますけど」
というと、おおきくかぶりを振って
「いや、いい、いい」。
ダメだ、行政単位では村人を救えない。
同日夜、中川村・曽我村長に電話、事情を説明。
曽我さん「一本釣りしかないか…」
行政という枠にとらわれない曽我さんの行動力に期待。
そして菅野さん、責任感は分かるが、1日でも休んだほうがいい。
今の状態では村民が犠牲になる。
役場を後にした我々は、村の方の案内で、飯舘村一番の「ホットスポット」へ。
長泥(ながとろ)地区というそうだ。
そこに行くには、役場から峠をひとつ越えるのだが、
そこを越えた途端、ガイガーカウンターのアラームがピーピーなりだす。
外に比べて車の中の線量率は4割減と言われている。
それでも6μSv/hを超えたってことは…外は10μSv/hくらい!?
やってられん、アラーム閾値を10μSv/hに設定しなおしじゃ!
長泥地区に到着。
車外に出ると、あにはからんや、またもアラームが…
数値を見ると、12μSv/h。
ここまでいくと、もう殺人的。
年間で換算すると、100ミリシーベルトを超えてる。
原発の現場労働者が通常認められている「5年間の積算線量」が
100ミリシーベルト。
そして恐ろしいことに、まだそこに人が住んでる!!!
9割は逃げたが、逆に言うと1割まだ残ってる。
実際、焚火をしている女の人を見かけた。
マスクはつけてたが、ここまで高いと、マスクなんかもう意味がない…
いや、内部被ばくを考えると、せんよりマシだが、そんなことを
議論するような値じゃない。
人生諦めないで欲しい…。
しかしいろいろあるのだ、特に飯舘村の避難問題は。
なだけにもどかしい。モヤーっとする!!!
で、その長泥地区でもとびきりのホットスポットへ。
案内役のAさんが「ここ測ってみましょうか」
ある雨どいの下にガイガーカウンターを置くと…
あっという間に値が上昇、軽く500μSv/hを超える!!!
年間になおしてみてみそ。
500(μSv/h)×24(時間)×365(日)=43800000μSv。
=4380ミリシーベルト。
=4.38シーベルト。
2時間いれば、普通の人が浴びていい年間の限度を超える。
本当はガイガーカウンターをじっくり置いて計測しないといけないのだが、
とてもそんな悠長なことをしてられる現場じゃない。
実際は500を軽く超えてるようだ(写真参照)。
ひとつ確認しておきたい。
「放射線管理区域」というのがある。
簡単に言うと、「普通の人は入っちゃいけませんよ」という場所。
一番身近なのが、病院のレントゲン室。
この区域では、いろんな規則がある。
例えば、モノを食べちゃいけない、飲んじゃいけない、液体や塵を
床に落としてはいけない(ちょっとでも落とそうもんなら必死こいて除染して
始末書書いて上司に「すんませんでしたー!!!」と頭を下げまくらねばならない)、
そして決定的なのが「子どもを入れてはいけない」。
その「放射線管理区域」に指定される基準の値が、
0.6μSv/h
なのだ。
600μSv/hってことは、その1000倍!!!
どんだけめちゃくちゃな値か、これで分かると思う。
ついでに(?)ベータ線も測ってみた。
普通、そこらへんではベータ線はほとんど検出されない。
これまたぐんぐん値が上昇、ヤバい、ここに高濃度の放射性物質がある!
いや、そんなもんはガンマ線の線量率から分かっちゃいたけど、
ベータ線の収束量を見て寒気が走った。
とっとと尻尾巻いて逃げたさ。
それが普通の心理ってもんです。
それに慣れてしまった、慣らされてしまった飯舘村民…
マジでヤバいよ。
どうやって逃げてもらうか…なんという難題。
ちなみに、その村民たちが要求しているのが、「ホールボディカウンタによる
被曝測定」。
全身の被曝量を検査するもの。
原発の作業員たちが、作業後毎日測定するヤツです。
これによって、どんだけ被曝したか、あらかじめデータをとって、
本人がそのデータを持っていることが、今後非常に重要になってくる。
後でガンなどを発症した際に、被曝が原因だと証明するためです。
それを政府に要望しているのだがあっさり蹴られたそうだ。
それはもうヒトゴロシだよ。
どうにかこの要望を飲まさないと、飯舘村民が放射線被害症例の
モルモットにされてしまう。
実際、ある意味手遅れな部分がある。
一番被曝量が大きかったのは、おそらく例の「水素爆発」の後。
その時に大量に出たヨウ素は、もう検出できなくなってしまった。
放射性ヨウ素自体は検出できないくらい放射能が小さくなっても、
その時にくらった影響は後々まで続く。
その「証拠」がもう分からなくなってしまったのだ。
しかし、できるだけ早くホールボディカウンタによる被曝量検査をすることで、
少しでも後の補償などで正当な権利を得られる。
どうにかせにゃ!!!
平和学という学問=科学をつかさどる立場として、
これだけは断言しておかねばならない。
これはマジで戦争だ。
原発の作業員は、前線に送られる兵士と一緒。
放射線という弾丸がびゅんびゅん飛び交う中に突撃させられる。
その弾丸がびゅんびゅん飛び交う戦地を逃げなければならない避難民。
統制された情報。
抑制された行政。
何もかもが、戦争と全く同じ構図なのだ!
違うのは、普通の戦争は、戦ってるヤツら同士が話し合って和平すれば、
人が死ぬのもモノが壊れるのも終わるが、原発はそうはいかないってこと。
原発は話し合いになんか応じてくれない。
決して和平することのない相手と戦わねばならない、
戦争以上にタチが悪い究極の戦い、それが原発震災、原発事故なのだ。
ありとあらゆる危機感てんこ盛りの被災地訪問だった。
* * * *
こんにちは、アメリです。
リッキーさんの日記、読みました。一応補足しておくね。
飯館村は今は計画的避難地域に指定されていて、早かれ遅かれみんな避難できます。
でも残っている人は自分の都合で残っている人も多いようです。
子どもや妊婦はいち早く逃がしているよ。
村長さんは一生懸命やっています。
村長が動けないのは、勝手にやれば保証をしてもらえないからだよ。
国が悪いのです。
村長も組織にいる以上、国には逆らえない、国が早くここへ行けと言うべきなのです。
そして私たちもヒドイと見ているだけではダメ。
知った情報をもとに国や福島県に訴えてください。
私からして見れば、計画的避難地域に指定された飯館村はうらやましい。
福島市や郡山市や二本松市なんかはそれこそほんとに逃げたくても逃げれないのです。
子どもたちがたくさん残っているの。
もう本当にどうしたらいいかわからないよ。
とにかく訴えるしかない。
デモも玄海を止めてっていう前に
福島県をもっともっと応援するデモにすれば良かったって後悔してる。
6.11のデモでは福島県の20ミリシーベルト撤回を強く強く訴えてほしいなと思います。
みんなー、よろしくね。
提案してください。
私は口だけで何もお手伝いできなくてごめんね。
早く自宅をなんとかします。
今日も頑張りましょう。
ありがとう。
(アメリ)
月
23
5月
2011
4月の第1回のパレードに参加したティナです。
私自身は、4月末にさいたまの自宅に帰ってみたのですが、やはり子どもの被ばくが避けられないと思い、福岡に戻ってきました。
一番、危険だと思ったのは保育園です。「さいたまは値が高くないから」という理由で、外遊びも通常通りだし、給食の食材も牛乳も、近隣の県のものが出されています。
職場の永田町にも行ってみましたが議員会館の地下2F室内でも、0.14マイクロシーベルトもあり、ショックでした。測定器を持ち歩いている先輩に聞いたら、都内のオフィスで仕事して帰るだけでも、1日の累積は3マイクロシーベルトに達することもあると言っていました。
子どもたちは、さいたまに戻さない方がいいとは思っていますが、私自身はどうするべきか。永田町で仕事に復帰した方が、多くの子どもたちを守るために何がしかの役にたてるのではないか?と迷っています。次女にもっと母乳もあげたかったし、3人目もほしかったのですが…
(ティナ)
日
22
5月
2011
今回は、道路申請もしない、ほとんど告知もしない、
こじんまりしたパレードをしようということで、
ふたを開ければ、集まったのは約十数名(うち子ども3人)でした。
いつもの、緑マントにひまわりの造花を頭につけた10人組。
最初は公園の人たちに、署名を集めたり、お話をしていました。
そのうち、某団体と重なりそうになったこともあり、
急いで公園をおいとまし、歩き始めると、
中央署の方々がやって来られて、
「プラカードはだめ」、「垂れ幕もだめ」・・・。
今回のパレードでは、全国でもママパレードが広がることを願い、
「いかに手間のいらない、効果的なパレードが組めるか」
というところに焦点を絞ってみたのですが、
「道路申請」は欠かせないようだ、ということは一つわかって良かったです。
(当たり前だろ!笑)
道では、ラジカセで音楽をつけながら、
「原発いらない」
「子どもを守ろう」
「電気は足りてる」
「今こそ変わろう」
「日本を変えよう」
というコールや、メッセージをしながら歩きました。
道の途中では「がんばれよ!」という声も何回か聞こえて、
初めての経験だったので、とてもうれしかったです。
確実に、脱原発の賛同者は増えているんじゃないか!と思いました。
ミーティングは、いつもならドタバタなのですが、
久々に心行くまで語り合うことができ、
本当によかったです。
これから、ママ原として何をしていったらいいのか。
いろんな青写真が描けました。
・もっと地域のママたちと交流を深めること
・東北、関東からの避難者の受け入れ先を議員に訴えること
・このHPを充実させていき、原発の問題を初心者でもわかりやすいものにしていくこと
・全国の脱原発ママ団体の活動をまとめたHPを作成すること
・ママ原の活動内容を、映像として配信していくこと
等々。
一つ一つ、具体化させていこうと思います。
そうそう、ミーティングが終わった後、カレーを食べに行ったのですが、
その道すがら、3歳のうちの子Tが拡声器を持って、
「Tちゃんは、東京から避難してきました。お願いします」と言いました。
それだけでもびっくりだったのですが、
すると、今度は少しお姉ちゃんのSちゃんが、
「Sちゃんは、原発いりません。お願いします」。
それを聞いたうちの子が、
「Tちゃんは、東京いりません。お願いします」。
かわいい演説に、道行く人たちも笑っていました。
(トニーネ)
土
21
5月
2011
市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は5月18日、厚生労働省で記者会見をし、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、福島、茨城、千葉在住の5人の母乳からヨウ素が、また、福島、茨城、東京在住の4人からセシウムが検出されたと、データを公表。国や自治体に対し、全数調査を行うように訴えた。
母乳の検査は、前回4月21日に公表した9人に加え、新たに福島県、茨城県、千葉県、栃木県、東京都在住の母親計40名から母乳の提供を受け検査をした。検査の結果、茨城県土浦市在住の母親からは、1キログラムあたり、セシウム137が8ベクレル。福島県福島市の母親の母乳からは、セシウム134が 5.1ベクレル、福島県西白河郡の母親からは、セシウム134が4.8ベクレル、セシウム137が5.7ベクレル。福島県いわき市の母親からは、ヨウ素131が 5.5ベクレル。東京都三鷹の母親から、セシウム137を4.8ベクレル検出した。
17日発表された政府の調査では、母乳から放射性物質が検出されなかったとされているが、5月になってもヨウ素が検出されていることから、福島第一原発の 放射性 物質の流出が止まらない限り、母親が新たに放射性物質を摂取する可能性は否めない。東京在住の母親からもセシウムが検出されていることから、母乳調査・母子支援 ネットワークの発起人で四日市大非常勤講師の河田昌東さんは「特定はできないが、食べ物、飲み物が原因と考えられる。今後広い範囲で母乳の放射線汚染が出てくる可能性もある。さらに多くの調査を国や地方自治体が実施する必要がある」と訴えた。河田さんによると、母親が摂取した放射性物質の20%が母乳に入るのだという。
日本の食品の暫定基準は、飲料水/牛乳・乳製品が、ヨウ素で1リットル300ベクレル以下、セシウムでは1リットル200ベクレル以下と定められているが、1リットル、ヨウ素、セシウムともに1リットル10ベクレル以下としているWHOの基準より、20倍から30倍緩い基準となっている。また野菜に関しても、日本では1キロあたりヨウ素は2000ベクレル以下、セシウムが500ベクレル以下とされているが、欧米の基準は1キロあたりセシウムは370ベクレル以下とされている。日本が食品を輸入する際の基準値も同じ370ベクレルとなっている。
記者会見の動画はこちら→Our Planet-TV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1055
ドイツ放射線防護協会・日本における放射線リスク最小化のための提言、によると乳児・子ども・青少年は、1kgあたり4ベクレル以上で、成人は、1kgあたり8ベ クレル以上のセシウム137を 含む飲食物を摂取しないことが推奨されている。【転載終了】
* * * * * *
とても重いニュースだよね。
私も本当に心が痛い。
私は19日に福島で行われた記者会見に応援にかけつけ、
そのまま参加させてもらって発言させていただきました。
質疑の中で、人数や数値は低いと見解する方もおられると思うがどうお考えか?と、、
私、耳を疑いました。そんなバカなこと言う人がいるの?悲しい現実だよね。
母乳ネットの方は淡々と答えていました。
確かに低い数値かと思う方がいるかもしれない、
けれど今その位出ていればもともとはもっと高かった可能性もある、
出ているという事実を受け止め対応していただきたい等々、、
私は気持ちを押さえきれずにマイクをお借りして、
私も現在まだ母乳をあげてる身としてこの事実は大変苦しいものであること、
5人も出ていることのどこが少ないのか、
一人でも大切な命、たった一人が出たとしても国は大きな問題として取り上げるべきだ、
と訴えました。
母乳から出た5人の方、未来を担う赤ちゃん達、その方達はどうなってもいいの?
少なかったら問題ないことなの?当事者じゃなかったら関係ないの?
悔しくて悲しくて怒ってます。
これからも私達はそのようなママ達も含め、苦しんでいるママ達を応援していこうね。
今日もありがとう。
(アメリ)
金
20
5月
2011
お久しぶりです。
皆さん、お元気ですか?
祖父の初七日も無事に終わりました。
私がいる宮城県名取市は、仙台市のすぐ南、空間線量は高い所で0.6マイクロシーべルト毎時ありました。
私が滞在中の兄のマンションは11階のため0.1マイクロシーべルト毎時です。
私は場所によっては仙台市もとても危険だと感じています。
私達は料理にミネラルウォーターを使っています。歯磨きのうがいもミネラルウォーターです。
短期間の滞在のため頑張れますが、長期間いる方にとっては難しいですね。
私達でさえ、もうミネラルウォーター30本は使っています。
野菜は産地を選んで購入。
佐賀県産たまねぎにはずいぶんお世話になっています。
あとは海外産(なるべく有機)を選んで買っていますが、限りがありとても疲れる、、、。
福島や宮城にもスーパー0べクレルのお店がほしいです。
昨日は福島市入りしました。
福島と宮城の県境ですでに0.8マイクロシーべルト毎時はありました。
福島市街は1.5マイクロシーべルト毎時、、、これでもだいぶ低くなったんだよ、と主人に言われました。
現実を目の当たりにし愕然とすると共に怒りさえ覚え、悲しみの涙さえこぼれました。
美しかった福島は今はありません。
久々に自宅に戻りました。
壊れた窓の隙間からたくさんの虫が入り住みかになっていました。
クモの巣もはっているし、なぜか鳥の糞まで、、。
でもやっぱりホッとする。
マスクを外して思い切り空気を吸い込んで伸びをしたかった。
たくさんの思い出がよみがえり、被爆してもいいからここで暮らしたいとも思いました。
避難地域のお年寄りの気持ちが痛いほどわかりました。
でも私は大切な子ども達を守らなければいけない。福島市にはサヨウナラしなきゃね!
私の家からは福島市の夜景が一望できます。
この景色を二人一緒に見れるのは次はいつなんだろうね、、と主人と話し帰路につきました。
福島市民の様子は、話に聞いていた通り、みんな普通に生活しています。
0.7を越える場所で小さな赤ちゃんと2歳位の子どもを連れた若いお母さんが
マスクなしでお散歩をしていました、とても楽しそうに。
福島がいかに安全神話を作っているか、危険を知らせていないのかがわかりました。悔しいです。
福島でいつもお世話になっていた、天然酵母パン屋さんに
福岡から持って行った資料や冊子を届けに行きました。
ここのパン屋さんは原発事故前から脱原発を訴えていた仲間でもあり
県庁前にての座り込みにも一緒に参加したことのあるとても意識の高い方です。
福島の現状や避難したい方がいるかお聞きしたところ、
アトピーやアレルギーを持つお子さんがいるお母さんが避難したがってるとのこと、
福島では布団も洗濯物も外に干せない状況、窓を開けて掃除もできない、
アレルギーを持つ子はつらいですよね。
集団疎開ができる場所がないかと聞かれました。
福岡には廃校になった学校がたくさんあります。
そういった場所を利用できないでしょうか?
私達ができること、、
福島の方々にまず現実を知ってもらいたい。どうしたらいいのかな?
ガイガーカウンターを送るプロジェクトはとてもいいよね!
それからニーズに合った場所の提供。
それから、フクシマの事故を忘れず、
私達も長いスパンで活動していく必要があります。
ずっと訴え続けましょう。
また、報告しますね!
明日のパレード、楽しんでね!
たった一人でも原発の危険性や福島のことを知ってもらえたら
パレードをやった意味があると思います。
私はこちらで私にできることを頑張ります。
では、また会える日まで!
みんないつもありがとう。
(アメリ)
水
18
5月
2011
九電交渉、行ってきました。
九州中から、脱原発を求める団体、個人、約180人が集まりましたが、
中に入れたのは40人だけで、私たちは外にあるスクリーンで、
中の様子を見ることになりました。
u-streamの配信を断られるなど、ハプニングもありましたが、
何とか最後まで見ることができました。
http://www.ustream.tv/recorded/14781925
http://www.ustream.tv/recorded/14781817
個人的には、1〜4号機までメルトダウンしている可能性が高く、
汚染もチェルノブイリを上回ってしまった今の日本について、
もうどうしようもないような気持ちになっていたのですが、
ここに来ているママたちとお話ししたりなんかして、
元気を取り戻しました。
どんな状況でも、やることやるしかないもんね!
(トニーネ)
ママ原メンバーの日々の声を届けます。。
過去記事はhttp://stopgenpatsu.blog60.fc2.com/にもあります。
金
23
3月
2012
皆さん日曜日は本当にお疲れさまでした。
3.11虹のひろば、”脱原発” の文字は削られちゃったけど、放射能の危険から逃れてきた避難ママの存在や、ママ原デモのVTRをあの場で流せたことは、ものすごく意味のあることだったと思います。
実行委員の皆さん、本当にお疲れさまでしたm(_ _)m どうもありがとう。
また3・11福岡集会の壇上では、我らがアメリのスピーチが。
私はその後ろ、のぼりの陰でとまらない涙を拭いました。
2時46分の黙祷の後に抱き合って泣いていたアメリ&トニーネと一緒に、
福岡に着いた夜、福島がどうなるかわからない、途方もない大きな事故になってしまうかもしれない、全基が爆発を起こすかもしれないと、福島で収束作業にあたってくれている人達に、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに、泣きながら祈ったことを思いだしました。
そして、その輪に加わったハリイさんの言葉がずっと心に残っています。
ごめんね、こんなことが起きてしまって、ごめんね、って。
福島の事故はハリイさんのせいじゃないのに。
そんな思いで、そんな責任感を持って、ずっと私たちに寄り添ってくれているんだなって。
大人が皆、そんな大人だったら、今、世界はこんなじゃなかった。
デモで声をはりあげる子ども達を見て、大きくなってもきっと世の中の間違ったことに雄々しく立ち向かってくれるんだろうなって、頼もしく思いました。
皆、本当にありがとうー
(ミトン)
木
01
3月
2012
みなさまお疲れ様です。
ママは原発いりません インディです。
毎度の会議では娘ソラがお騒がせしております。
前回の会議後、団体紹介フローチャートで、他とのバランスを考えて
「脱原発」ではなく、「エネルギー問題」とマイルドに表現したいという打診がありました。
「脱原発」は一般の人に少しインパクトが大きいかもしれないから、
マイルドにした方が間口が広くなるのではというアドバイスもいただきました。
(その打診やアドバイスに反論があるわけではありません。
各団体の垣根を越えて作り上げるという趣旨は
理解をしていますし、賛同しています。)
ただその際に、あらためて相互の間の認識に隔たりがあることを認識し、
ミーティングに参加している私たち自身の伝える力の足りなさを反省しています。
ママ原の思いを伝えたい伝えたいとずっと言いながら、
きちんと皆さんに伝えることをしていなかったことに気付きました。
今日のミーティングではお互い団体について理解を深めあおうというお話でしたが、
私は移住準備で東京に戻っている為、参加できません。
メールという形になりますが、私なりの思いをお話させていただきたく思います。
「ママは原発いりません」がなぜ「脱原発」を叫んでいるのか。
ママ原のメンバーの多くは放射能から避難してきた原発被災者です。
そしてそれに寄り添う者たち、で構成されています。
原発被災者の苦しみ、悲しみ、そこから立ち上がっていくこと、
それを経験してきたり、間近で見てきている人たちです。
私たちは帰る家を失いました。
生まれ育ってきた故郷に二度と戻れなくなりました。
避難場所を転々として地に足がつきません。
家族が離れて生活することになりました。
親に孫の顔を滅多に見せることができなくなりました。
クリスマスもお正月も誕生日も、家族ばらばらでした。
友人、親せきと疎遠になりました。
周囲からノイローゼ扱いされました。
長年誇りをもってしてきた仕事を捨てました。
子どもを泣かせて、それでも転校させました。
被曝の危険を理解してくれない夫と離婚しました。
たった1人で知らない土地で子どもを産みました。
住めない家のローンを払い続けなくてはいけません。
避難生活でもう貯金が底をつきました。
そしてなにより悲しいことに、
大切な我が子や自分の身体に異変が起こりました。
鼻血がでました。
血便がでました。
下痢が止まりません。
湿疹がひどくなりました。
風邪をひき続けています。
甲状腺にしこりができました。
血液の状態に問題があると指摘されました。
子どもの未来を考えると眠れません。
うつっぽくなりました。
これは、私自身や私が福岡で出会った友人たちの生の声です。
1年たってもまだまだ終わらない。
この先、一体どうしたらいいのか。
自分たちはどこに行くのか。
離れることで薄れていく家族の絆を取り戻せるのか。
そしてこの先、我が子が病気になるかもしれないという不安。
悲しい、苦しい、悔しい、さみしい、憤り、怒り・・・
心の中がぐちゃぐちゃになりそうなこともありました。
でも、自分たちはつらいんだと声高く愚痴ったりできないのは、
この悲劇を引き起こした原因の一端に
自分たちの無知、無関心があることに気付いているからです。
原発の事故がこんなことを招くなんて夢にも思わなかった。
私たちが何気なく使っていた電気を作るシステムは、
人口の少ない地方に危険な原発を押し付け、
そこで働く原発労働者に被曝を強いて病にさせる、
そういう誰かの犠牲の上に成り立っているものだった。
そんなこと自分たちに火の粉が降りかかってきて初めて知りました。
自分たちは間接的だけど加害者でもあるのです。
これまでの自分の無関心さに心から反省、後悔もしているのです。
福島では1年たっても、10年たってもその先もずっと
この苦しみと戦っていかなきゃいけない。
それは想像を超える苦しさではないかと思います。
もうそんな思いをする人をこれ以上増やしたくない。
またどこかで事故が起きて手遅れになる前に気付いてほしい。
九州は福島を、東北関東を助けられるところだから。
だからママ原は「脱原発」なのです。
イデオロギーでも自己満足でもなんでもないのです。
こんなひどいことになる原発、子どもの未来にはいらないよねって
親として、人間として、当たり前のことを言いたいだけなのです。
福岡の人たちに私たちの経験を、生の声を聞いて知って欲しい。
だから私たちは子どもを抱えて声をあげ続けてきました。
知っているのに沈黙することは罪だろうと思うから。
大人の、みんなの沈黙が子どもを虐げることになるのだから。
今、この瞬間も人がいてはいけない高線量地区で、
子どもたちが色んな事情でやむなく暮らしているのです。
家族が、友人が、恩師が、大切な人たちが暮らしているのです。
脱原発を訴えることは原発被災者と寄り添うことだとも思っています。
今回、東日本支援を核とする虹のひろばに参加しようと思ったのは、
以前の私たちのような普通の「知らない人たち」にこそ、それを伝えたいからです。
そして支援団体のみなさんにももっとリアルな実情を知って欲しいと思っています。
誰か困っている人たちがいるなら何かしようと身を削って日々動いてくださっている、
温かい気持ちを持ったみなさんにこそ、伝えるべきだと思っています。
また、3.11はデモでシュプレヒコールをあげるのではなく、
被災地への追悼の思いもあり、静かにそれを訴えたいという気持ちもあります。
私たちの思いが強く、また複雑で、実行委員の調和に
少なからずインパクトを与えてしまっていますよね。
なかなか上手に、大人な立ち回りのできないママ原に
温かく向き合ってくださっていること、心から感謝しています。
ありがとうございます。
長文になり、まとまらずすみません。
また、会議に参加せず、他団体の皆さんのお話を聞かずに一方的ですみません。
少しでも何か伝わればうれしいです。
土
25
2月
2012
おはようございます、ミトンです。
ちょっと長くなりますが、レポートします♡
先日、”五ケ山ダムの500億円を福島へ” の講演会に行ってきました。
電気だけじゃなくて、水道もか〜
なるほどの構図がここにも。納得の講演会でした。
福岡は水道代がやたらに高いぞと思っていましたが、そんな方いらっしゃいませんか?
●●福岡市議・荒木龍昇さんから、"福岡市の水道水は余っている" こと。
福岡市の過去10年間の ”給水人口”(=世帯数/移住人口 と捉える)は増えてきているが、節水技術の向上や、節水努力により、1日平均給水量は横ばいで、増える見込みはない。
また、
●●佐賀大学名誉教授・久保浩洋先生より、”五ヶ山ダムでは水害は防げない” こと。
国交省の ”水害統計” で、水害の場所を調べたが、那珂川本流から溢れたものはなく、
水害防止に、ダムは役立ちそうにない。
政府が同建設にあたって高らかにうたう、
●今後増えていく水需要にこたえる為と、
●水害の防止の為は、
どうにもあてはまらないようです。
つまり、
1.ダムをつくってお金儲けをしたい人がいて、
2.その人達のいいなりの行政がそれに追従し
3.周囲の自然をを破壊、人々には立ち退き料、もしくは迷惑料を払い
4.巨額の税金を投じ、無用の施設を建設し
5.過剰供給のシステムをつくりあげ
6.皆が儲からないと困るので、
7.結果、私たちが高いお金をだして水を買わされている
(あれ? どこかで聞いたような??)
さらに、●渇水に備え、ということでもあるようですが、
・平成6年以降17年間は危機的状況はおこっておらず、
・30〜50年に1度の渇水の為に、今この非常時に更に500億円を使うのか??
なによりも、
渇水時などの非常時にはバケツを持って並べば良いじゃないか、自然に寄りそって生きるって、そういうことなんじゃないの??
(ここで拍手でした!! わ〜そうだ、そうだ〜!!!!)
佐賀県の天然記念物である親子杉を、ダムの底に沈ませてまで、まだやりたいの???? と。
いい加減にしてください(怒)
必要性が薄く、自然環境を壊す事業を今すぐ止めて、
フクシマで放射能を浴びる続ける生活を余儀なくされている子ども達を助けること、
その税金を子ども達のいのちと未来のために廻すこと、を福岡県に訴える署名があります。
皆さん、ご協力よろしくお願いします!
水
01
2月
2012
アメリ@只今、屋久島旅行中
おはようございます。
どうしても行ってみたかった屋久島へ、ふらりと来ています。
ふらりと来れる所じゃないでしょ!!と言われちゃうかな(笑)
皆さん!屋久島は最高です!!
お水や空気は本当に美味しいし、グローバルな植物達に大自然と共に生きる動物達。。
子供達と私はこの大自然にノックアウトされて、ここに住みたい~と連呼しています。
原発のことはもちろん、環境問題や動物愛護などたくさんのことを考えずにはいられない屋久島、皆さんもぜひ一度、屋久島へ!!
屋久島ではお世話になった方々や出会った方々と原発の話をしましたよ~
そして、とっっても心強い素晴らしい生き方をされている素敵な方とつながらせていただきました。
作家の星川淳さんです。
ツイッターでも流してくださったそう。私はツイッターをやっていないので仕組みとかもよくわかりませんが、皆さん、ぜひツイッターでつながってくださいね!
https://twitter.com/#!/HoshikawaJun/status/164377788198043648
「3人の子連れで九州へ避難してきた女性と会った。パートナーは仕事で福島を離れられず、親子が週末一緒にすごせるよう汚染の低い近隣県へ再移住予定。そこでも給食は福島産食材が混じり、弁当は不可。3度里帰りの度、子ども3人とも鼻血と下痢。こういう人たちが折れないよう応援したい。」
屋久島旅行、明日で終わります。
数日の滞在だけで頭が研ぎ澄まされ、心の栄養になり、新たに出発していく力になっています。
ママ原のある意義、素晴らしさも感じとったよ~!
やっぱりママ原は最高です!
早くみんなに会いたいなぁと思っています。
4日、ママ原のこれからの在り方について、話し合いをしましょう。
ではまた。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
いつもありがとう☆
(アメリ)
月
16
1月
2012
1月14日の「つながろうよ!福岡」キックオフでは、 福岡でそれぞれ活動している人たちがこんなにいるんだ! (脱原発グループ以外もたくさん!)という印象でした。
木
05
1月
2012
年末年始は親元には帰らず、福岡で親子3人ですごしました。実家に帰らない正月は生まれてはじめてで、あけましておめでとうなんて気持ちにもなれなず、、年賀状も出しませんでした。でも少しでもお正月気分をと思い、福岡風のあごだしカツオ菜の雑煮をつくったりしました。おいしかったです。
福島の親戚からは年賀状でどうぞ遊びにきてくださいやら、逆に頑張ってと言われるやら、放射能のほの字もでてこない生活に私の認識している世界とのギャップに混乱。
群馬の義両親からは暖かくなったらおいでと言われます。
生きている間に会えるのか、会いにいかなくていいのかと福島の祖母にはまだ年始の電話ができません。
毎回電話で、元気に暮らしているよ、元気でいてね、という会話。
曾孫の顔見せられなくてごめんねって毎回思いながら、つらくて口には出せません。
両親にも初孫の顔みせてあげたい。福岡にきたとき3か月だった我が子も1才、月日の流れを感じます。
もちろんつらいことばかりではなく、笑顔いっぱいでやんちゃに育つ子どもをみているとたくさん幸せを感じます。
避難しているみんなは多かれ少なかれある現実ですが。。
年末年始くらい帰れたら私もよかったのかな、と考えてしまう日々でした。
帰りたいけど帰れなかった。
年末は山本太郎さんもたくさん原発関連でテレビに出演されていましたね。
NHKのゆらぐ国際基準はいい番組でした。
民放の聖なる夜と放射能という番組もタイトルはどうかと思いますが、福島の自主避難の家族の様子がありのままに伝えられて、切なかったけどいい番組でした。
ドイツの脱原発デモに参加して、福島市から避難した子どもがドイツで内部被爆検査をするシーンがあるのだけど、検出されなくて!、安堵して涙しました。(逆に他の番組では日本で検査し、強いセシウムは検出されていませんから大丈夫!といった内容もありました。)
・・・・
いろんなことがありましたが、ママげんの皆様昨年は大変お世話になりました。仲間の存在、励ましで過ごすことができた年でした。みんなの存在が私を支えてくれています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
2012年は脱原発の年です。(エリイ)
月
28
11月
2011
12月のママ原(ママゲン)は福島原発の近くで、原発からの電気に
頼らずに電気も自給自足していたのらやのてんさんを福岡にお呼びします!
ライフスタイルも含めて3.11後の生活をシフトさせていきませんか?
警固公園での活動はお休みです。11月の活動報告はのちほど。。
12月もお友達などお誘い合わせの上、どうぞご参加ください。
金
25
11月
2011
明日は11月のママ原(ママゲン)活動日です!
◆明日の上映会のお知らせを再度いたします。
西山監督をお迎えして
【脱原発 いのちの闘争】上映会
●11月26日 12時~
●福岡国際キリスト教会(福岡市中央区大名1丁目12-45)←いつもの教会
●カンパ制
*お友達お誘いあわせのうえご参加ください!
その後、14時からママ原のいつもの活動になります。
みなさん、どうぞよろしくお願いします☆
12月のママ原の活動、12/10の自然エネルギー講座のお知らせも明日します。
HP、ツイッターで告知スタートしました。ドシドシ参加お申込みお待ちしております。
ではでは、また明日お会いしましょう♪
(エリー)
月
14
11月
2011
おはようございます、ミトンです。
皆さん昨日はお疲れさまでした。
何としても成功させなくちゃ、と願っていた1万人デモ。
結果1万5千人も集まったすごい人の数に、思わず涙がでました。
(東京の6万人ってあれの4倍なんだね。。)
★デモ初参加のママ達も本当にありがとう。お疲れさまでした。
私達も含めたあの大群衆は、皆同じ気持ちで参加してるんですよね。
こんなにもはっきりとしている脱原発の意志を見ないふり、そして
見せないように努める政府、マスコミっていったい何なんだろうか。
★今回は「ママは原発いりません」の出店、皆本当にお疲れさまでした!
大好評で良かったです。次の形につなげていこうね。
ミッキーさん、インディちゃん、最後の会計まで、
どうもありがとうござい ました。
アメリちゃんとトニーネちゃんは(2人よく間違えられるそうだけど)
ママ原の双頭なんだよね。2人交互の熱いシュプレヒコールに応え、
帰りは喉が痛かったです。笑
★つながルームでは、すっかりご馳走になり、また写真も運び込ん
で頂いて、どうもありがとうございました。
★最後にやすえさんから早速届いていたメッセージを送ります。
次は26日だね!
「1万人が終り、これからが更なる正念場です。
2,3月には経済界と経産省の再稼働大合唱が起るでしょう。
つぶす為にはどうしたら効果的か、よーく考えて、
名案、珍案、奇想天外案、どんどん行動する他無い!!
誰かがやっていたら出来る範囲で協力しながら
自分の得意分野で自由に動くことです。」
ミトン
月
14
11月
2011
みなさん、おはようございます!
昨日の1万人デモは本当にお疲れさまでした。
私は疲れ果て、顔も洗わずコンタクトもはずさず爆睡してしまいました(笑)
デモでは、ののちゃんの写真展が大好評でした☆
母親の力強さを感じる!母親の笑顔は素敵!子どもを守る愛を感じる!
様々な感想をいただきました。
写真の上に
「亀山ののこ NO NUKES写真展」とあったら良かったな~、
そして、ののちゃんのプロフィールがあったら良かったな~と思いました。
写真の皆さんと同じく子どもを持つののちゃんが撮影していること、
同じく原発に悩み避難していることを伝えると
うっすら涙を浮かべる方もいらっしゃったので、
プロフィールがあるとさらにぐっと胸に響くと思います。
ののちゃんさえ良ければ、これからもいろんなイベントで写真展をやりたいです。
今回だけじゃもったいなーい!!
写真は、つながルームに置かせていただいています。
三枚で一組になるようパネルに張り直すとかコンパクト化対策と、写真がくっついてしまわないよう保管方法を考えなければいけません。
その作業を近々、26日午前かな?にしましょう。
デモの感想の続きですが、ミトンさんとビラを配りながら歩いていたら
「ママ原のHPを見ています!」という方や「MLに入りたいです!」
という声がありました☆
嬉しかったです。
でも「どうやったら仲間に入れますか?」とも聞かれましたよ。
12月10日に考えている、
ソーラーのらやさんトークイベント&ワークショップでは、
ママ原の会員さんも募ったら良いですね!
実行委員的なMLとイベント情報等だけが流れるMLがあったらいいのかもね~
エリーちゃん、どうなのかな?
今回のデモでの経験を生かし、次につなげていきたいなと思います。
誰が何をやれるのか?を少し明確にできたら動きやすいですね。
販売は、エリーちゃん、バンビちゃん、コマリちゃん、
インディちゃんが上手だった~☆
優しい雰囲気で良かったです。
展示物のそばに説明を聞ける人、託児担当、裏方担当などもなんとなく決めておけたらいいですね。
今回は、託児はハラさんやトシさん、ツーくんがやってくれていて大変助かりました。
裏方では、シルクさんが風船膨らましをコツコツとやっていてくれました。
ブレイブさんはお花の飾りつけを素敵にされていました。
トニーネちゃんは取材の対応に追われていました、さすが代表です!
私とミトンさんはビラ配り、広報がいいね!
ミッキーさんには運搬業務をすっかりおまかせしてしまいました。
ミッキーさんは総監督だよね!!
つながルームの方々にもたくさんサポートしていただきました。
改めてありがとうございました!
初めての試みの中、一人一人が自分にやれることを精一杯やっていて
素晴らしかったですね~。
かなりのチームワークでした!
原発がハイロになって、デモをやらなくなるのが一番だけど、
そう簡単には終わる闘いではないと思います。
引き続き、ゆるやかに活動を続けましょう!
昨日は本当に本当にお疲れさまでしたっ。
参加できなかった方々も想いは同じだったと思います。ありがとうございます!
ノンちゃん、体調は良くなりましたか?
みんな心配していたよ~!
ママ原に出会えて本当に良かったです。
ママ原大好きです!
これからもどうぞよろしくお願いします。
アメリ
水
02
11月
2011
夜分にごめんなさい。
悔しくて悲しくて腹が立って眠れません。
今日、九電前に大分の友達が一人で座り込みを始めました。
女性一人で大丈夫かなと心配で心配でいましたが、
強い助っ人が!!
なんと、ショウトモさんが今一緒に座り込んでくれていました。
長崎からも一人来ているそうで、三人で座り込みしています。
彼女達の真剣な想い、本気さが伝わってきます。
涙が出るよ。ありがとう。
私達も明日頑張ろう!!
時間のある方はぜひ来てください。
声に出せなくてもいいんだよ!
たくさんの人の本気さを見に来て!
九電のヒドイ対応も見るべき!
私は息子を3時間目で早退させて向かいます。
13時半には着けると思います。
ママ原の横断幕を掲げて、来れなかった人達の分まで声をあげてきます。
エリーちゃん、ライトちゃん、ミッキーさん、任せといて!
エリーちゃん、大役、頑張ってね!!
ではでは、皆さん、明日!
追伸
ママは原発いりません!
ママは原発いりません!
ママは原発いりません!
アメリ
金
28
10月
2011
Let's actionページに福岡市で行われている【住民投票実現アクション】を加えました。
10月3日~11月3日で目標4万筆!
玄海原発とこども病院の2つの問題について住民投票で決めましょう!
福岡市に住民票がある方で意思表示がまだの方は→
天神イムズ6階の自然食品屋さん、ナチュ村に全区の署名簿が揃っているそうです!
他各地で街頭署名も行われています。(以下ブログ参照)
福岡市の方、署名にご協力ください!受任者(署名集め人)になってください!
大事なコトは市民が決めましょう。
http://fukuokavote.blog.fc2.com/
※福岡市も東京都も大阪市も、「住民投票条例」を持っていません。
だから、まず「住民投票条例を作ろう!」という直接請求からスタートさせなければ
なりません。
大事なコトは、市民が決める!
政治家になんでもかんでも白紙委任するのではなく、私たち住民が決めるための「住民投票」なのです。
わたしたちの意思表示、政治に反映させたいですね☆
月
24
10月
2011
ママ原の皆さん、こんにちは!
土曜日はママ原の活動日、お疲れさまでした~☆
瓦礫問題、給食問題、福島市渡利署名、国民投票
いろいろな問題について考え情報をシェアしました。
ティーコさんの福島、仙台の写真やデータ付き報告会に耳を傾けました。
ママ原のステッカーでは可愛い!の歓声があがり、Tシャツ作成に向けて、素材やデザインの話し合いをしました。
1万人デモにて、ののこちゃん写真展、ママ原グッズ販売の構想を練りました。
集会後、テント村の上條さんに案内してもらい、つながルームを見学に行きました!
つながルームにママ原のステッカーを置かせていただきたいです!
次は一万人デモです!
子どもは明るくオシャレして、女の子はドレスを着たりで盛り上がりましょう!
Tシャツは問い合わせしてますので、色やデザイン、金額がわかりましたらまたお知らせします。
ママ原の11月活動日は26日です。
ママ原、忘年会を企画中!
安心安全な食材を食べれて、座敷があり、みんなが集まりやすい場所を探しています。
情報をお持ちの方、ご連絡お待ちしてます。
アメリ家のお泊まり会は、
ミッキーさん、トニーネちゃん、インディーちゃんが参加。
朝方まで会話を楽しみました。
冒険家族にはあいにくの天気により、参加を断念しました。
冒険家族には行けなかったけど、とっても楽しかったので、来月にまた第二回を企画中です。
以上、ザッと報告です。
皆さんからの細やかな感想もお待ちしています。
フォローお願いします。
では皆さん、またね♪♪
(アメリ)
日
23
10月
2011
山梨県にいらっしゃる版画家のこばやしこうさん(子育て中のママ)と、宮崎県にいらっしゃる相馬敬子さんのご協力で、かわいい「ママは原発いりません」ステッカーができあがりました!
車、ママチャリ、玄関先など、いろんな場所で、静かに深く、脱原発を訴えるのにもってこいの一枚。「ママは原発いりません」は団体名ではありますが、脱原発を願う母たちの普遍的な思いでもあると思います。この思いを、潮騒のように日本に広げていきましょう。
一枚200円。収益は、活動費と募金にさせていただきます。ご所望の方は、ご入用の枚数と住所、氏名、電話番号をお書きの上、chronikasha@gmail.comまでお寄せください。
土
22
10月
2011
10月22日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、
11月13日に行われる「さよなら原発!福岡1万人集会」のチラシ配りや、「住民投票実現アクション」などの街頭署名集めをしました。警固公園では雨が降って、断念したのですが、みんなで歌いながら教会に向かう途中、だんだんと雨がやんできたので、教会の前の道路で、チラシ配りと、署名集めをすることができました。
大活躍だったのは子どもたち。道すがら、プチ拡声器を持って、「原発にはおなかいっぱい♪」の歌を歌ったりしてました。チラシ配りも、大人より、子どものほうがずっと得意。興味のなさそうな人たちも、子どもがいるだけでガードが下がるようでした。
教会では、11月13日の一万人集会に向けて、いろいろと作戦を練りました。「ママは原発いりません」ステッカー(200yen)や、脱原ソーラーライト(500yen)、オススメ本、わくわく工房とのコラボ菓子など、ママ原グッズ満載のブースを出店します。写真家の亀山ののこさんの、「原発いらないママ」たちを写したミニ写真展も開催します。お楽しみに!
火
18
10月
2011
ちょっと感動する詩がありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
不意に
答えを風に聞きそうになる
雨に
自分で決めろと言われた気がする
雲が流れ
雨が緑をぬらし
朝とともに
山に靄をかける
ぼくは
わたくしとは
なにものなのか
生まれてから
死ぬまでに
どこへむかうというのか
山々は
あり方を問いただしてくる
でも
実際は
その静かな存在感に
自らの
傲慢さや欲
落ち度を隠しきれず
ただ
自分に問い詰められているだけなんだろう
どこまでも深く
どこまでも高く
世界は自分次第
朝が明ける少し前
海と空の間の色
僕は今
なに色ですか
・・・・・・・・・・・・・・・・
あふれ出るような感受性。
今の若者は、半端じゃないなと思わされる。
これを書いたのは、米原カンタくんです。
最初にママ原を始めることを勧めてくれた21歳の若者です。
こないだは、経済産業省前で、ハンガーストライキをしてましたね。
NHKのあさイチ、わたくしも見ました、エリー。
私は、甘いかもしれないけど、ホッとしました。
郡山で、ただでさえ被曝してる母子たちが、
少なくとも一週間は放射性物質を食べなかったんだってことがわかって。
今回の原発事故で、私たちは今、みんな、
生き方を問われていると感じました。
何を大切にするのか。
どこで生きていくのか。
今までも問われて来た。
でも、今はもっともっと問われてる。
あなたは、どう生きますかと。
子どもに、あえて福島県産を食べさせる母親、
なるべく食べさせない母親、
避難する母親、
地元に留まる母親。
みんなが、
それぞれが、
一人一人の選択が、
どうか真剣なものでありますように。
それだけを、ただただ祈ろうと思ったのでした。
そんな折、
ちょっとよすぎる詩にぶつかったので、
再度、朗読させてもらっていいですか?(笑)
ぼくは
わたくしとはなにものなのか
生まれてから
死ぬまでに
どこへむかうというのか
山々は
あり方を問いただしてくる
でも
実際は
その静かな存在感に
自らの
傲慢さや欲
落ち度を隠しきれず
ただ
自分に問い詰められているだけなんだろう
人は、人間とは、悲しくなるほどバカだね。
バカで、愛おしい存在だね。
そして、一生懸命生きている。
推進派も、脱原発派も、避難派も、地元に残る派も、
精一杯がんばって生きている。
「自分は何者か」という問いを、
直視したり、無視したりしながらも、
結局は携えて歩んでいる私たち。
こんな私たちの、一人一人のがんばりが、
どうかいつか報われますように。
こういう瞬間を詩に書き留めている、カンタくん。
21歳とは思えない少年の、言葉の重み。
世界は、どこで変わるんだろう。
もしかして、こういうところからではないかしら。
トニーネ
木
13
10月
2011
さすが東京新聞だよね。
この記事よんで、今、金原ひとみさんが、
まさに私たちママの代弁者になってくれてると感じたよ。
岡山だったら近いし、いつか招いてみたい。
言うことがさすがに鋭いよ。
なんで日本は変えられないんだろうね。
主人は一体誰なんだろう?
トニーネ
原発推進の内なる空気 制御されている私たち 金原ひとみ
長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗きれいに畳み直し、あと僅わずかとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。
三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。
放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろし いことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違 い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上で も情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻かき集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。
四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルク を飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。 放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄やゆする人もいるらしい。人は多少被曝ひばくしても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。
原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実 となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。
こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れ は変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろうむ数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、 変わらないままだ。
既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛つらいだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐こわくて何もできない人がいることは不思議ではない。
しかし多くの人が癌がんで死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。
私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。
東京新聞 2011.10.11 夕刊
火
20
9月
2011
みなさま、どうも!
17日のママゲン、おつかれさまでした。
そして18日の誕生会、ありがとうございました。
トニーネは、32歳になりました。
昨日の東京のデモ、もう見ましたでしょうか?
6万人です。警察発表では2万7000人ですが、
6万人以上いたんじゃないかという話です。
私はほんとに感動しました。
福島の事故直後、ドイツで10万人デモがあったとき、
どうしたらそんなデモが起こせるんだろうと、
心底うらやましく思いました。
ドイツでは、緑の党とか、
普段から組織的に活動しているグループがあるので、
それだけの人数を集められるのだと聞きました。
ひるがえって、そういった組織の弱い日本で、
さらにはデモの文化も育っていない日本で、
6万人!
もしかするとそれ以上の人たちが自発的に集まったのです!
これは大ニュースです。
でも、わかってたことだけど、このデモを、マスコミがトップで
取り上げる向きはありません。
マスコミには、もう正常なニュースの価値判断ができなくなっています。
でも、本当のところ今回のデモは、日本の歴史を塗り替える、
と言ってもいいものだった、と私は思います。
もし、これだけの民意を受けても政治が変わらなければ、
誰のための政治でしょうか。誰のための国でしょうか。
そう、私たちのための政治でも国でも、なかったのです。
今まで。
一部の利権や特権のある人たちが、今の日本を動かしています。
電力会社ひきいる経済界も、「それでも原発は必要」という思想を、
あの手この手で、国民に浸透させようとしています。
今回、新聞の調査で65%の人たちが、
「たとえ経済力が落ちても、原発はいらない」と解答しました。
これだけの民意を受けても政治が変わらないとすれば、
今の政治が、一部の利権者のための政治だったんだと、
みんな否応無しに気づくはずです。
国民の命を守るよりも、福島の子どもたちの命よりも、
自殺した農家の方たちの命よりも、
お金儲けをしたい一部の人たちのための国家だったと、
私たちは否応なしに、気づかされるはずです。
だからこそ、今、政治もマスコミも利権者も、
瀬戸際に立っています。
今、日本が変わろうとしています。
あと一押しです。
6万人がデモに集まりました。
6万人です。
東京から、革命が起きようとしています。
当事者意識の薄い福岡ではなかなか人数が集まりませんけれど、
福岡にいる私たちもがんばってます。
今、日本の大きな変わり目、激動の時代に、
みんなと一緒に生まれてきたことは、
やっぱり何かの必然だったように感じます。
関東・東北のお母様方に伝えたいです。
福岡には、こんないい仲間がいます。
ときどきくじけそうになるけれど、私たちは元気です。
(トニーネ)
火
20
9月
2011
こんばんは。インディです。
昨日は東京の「さようなら原発」に6万人集まったと知って、
ひとり感動して涙してました。
私たちと同じ思いの人はたくさんいる。
お金より命だって気付いてる人はたくさんいる。
だって6万人だよ?そんな大勢の人見たことない。
それだけたくさんの人が自分の意思で集まったんだよ?
すごいよね。
デモしたり、署名集めたり、呼びかけたり。
私たちママの声はほんとにちっぽけなもので、
すぐにつぶれてしまいそうになるけど、
そんな声だってきっと誰かの心にはちゃんと届くんだって思ったら泣けてきました。
6万人が100万人になって、1000万人になって…
そうなったら原発推進しようとする人たち手も足もでなくなる。
そんな日が来るまで、私は小さな声を上げ続けようって思います。
そしてそんな姿を子どもたちに見せ続けたいと思います。
こないだの活動の時の子どもたちのデモ見て、
ちゃんと次の世代につながってるって思ってうれしかったよ。
(インディ)
土
17
9月
2011
9月17日(土)14:00~ @警固公園 の集まりでは、
「東北地方太平洋沖地震の瓦礫処理及び焼却灰の処理に関する請願」と、
「福岡市の学校給食食材に関する請願書」に対する署名を集めました。
〜ご協力下さった方々、どうもありがとうございました。〜
”汚染瓦礫と汚染焼却灰処理の問題” に関しては、復興支援の妨げになるから福岡県でも受け入れをすべきである、というご意見も頂きました。
ここには、行政の示す ”安全値” が、食品を例にとっても未だ "暫定” であり、放射性物質の性質が、”しばらくの間” で話をするにあまりにも不向きであることも、問題として挙げられると思います。受け入れをした後の周りの環境への影響は、過去のデータ等があって、安全を確約できるものでないのも事実ではないでしょうか。
被災地の一日も早い復興を願う思いは、皆一緒だと思います。
けれど、汚染物質を全国に拡散することは、たとえ微量であるとしても、得策であるとは思えません。。
”汚染ガレキの焼却許可は、福島原発事故の再現です。
地面に落ちた汚染物質をもう一度、空気中に舞い上げることです。”
by NRC(アメリカ原子力規制委員会)
皆さんの街の 焼却炉、もしくはゴミ処理場が、どれだけ放射性物質の外界への遮断性を持つか、是非問い合わせてみてください!
月
11
7月
2011
トニーネです。
さいきん動きがなくて、みなさん心配してらしたと思います。どうもすみません。
私トニーネはホメオパシーの勉強に没頭してました。
なんで今?って思うかもしれないけど、私思ったんです、
自分が一番幸せなことをしようと。
そして、その幸せなことで人様の役に立とうと。
最近、こういう活動してて気高いだなんて言ってもらったけど、
全然違って、結局のところ私は、
こっちに来て、とにかく焦って、恐怖でいっぱいで、
友だちもほしくて、自分のことばっかりだったと思う。
正直な話。
でも、その結果得たものは、大切な仲間。
ホメオパシーにまた没頭できるようになったのも、
気持ちをシェアできる仲間ができたからでした。
だから、みんなに本当にありがとうです。
奥田民生の「あーりがとー!!!」を歌いたい気分。
今、玄海はてんやわんやですね。
福島第二原発もあやしくなってきています。
日本は今、どうしようもなくなってきてると思います。
前は、そんなときになんで勉強か、
それどころじゃなーい!って感じだったんだけど、
でも、なんかシコシコ勉強できるようになったのには理由があります。
腹をくくりました。
「たとえ明日、世界が滅ぶとも、
リンゴの木を私は植えよう」
と、ルターが言ったんだったかな。
私は、もし地球に未来があるとしたら、その未来に必要だと思うから、
地球が終わる日までできることをやろうと思いました。
そして、私に今できる一番のことはホメオパシーだと思ったんです。
遠回りに思えるかもしれないけど、それが今、
私にとって一番、「今日いちにちを、地球の未来のために進んだ」と思える、
実感を伴う行為なんだとわかりました。
もちろん、原発を止めるためにも、
何か作戦を考えていきたいと思います。
でもそれは、本業をきちんとやった上で、その余力で、です。
代表がこんなんじゃまずいかもしれないので、
そのうち、誰かにお願いするかもしれません。
ただ、ママ原らしい、ママにしかできない、
実感を伴った何かにしていきたい、
そういう構想はあります。
ちょっと待っててください。
最近、めっきり元気になったのは、こういうふうに思ったからです。
原発で、もしも、ですよ、もしも死んでしまう日が来ても、
「まあいっか」、と。笑!
おかしな言い方かもしれないけど、
きっとこれは、人類にとって必要な過程なんだと思ったんです。
「やな時代に生まれちまったぜ」と思うけど、
最近、朝の連続テレビ小説見てて思うに、
いつの時代も、飢えとか戦争とかで、みんな生死をさまよっていたんですよね。
いつの時代も、必要な過程が起きていた。
今も、それが必要である程度は同じなんですよね。
今起きていることは、放射能というよりも、
利権を手放したくない人たちの、自分の欲望との戦いで、
人類の欲望は今、欲望を手放せない人自身が自らの生命を
滅ぼしかねない局面にさしかかっているように思いました。
でも、彼らの中での戦いが失敗して、その結果、
巻き添えをくって私が死んだとしよう。
「それも、しょうがないかな」って思ったんですよね。
だって、彼らも私たち人類の仲間なんですもんね。
仲間の失敗のために、人は死ぬことだってあるでしょう。
だけど、死ぬ日まで、仲間のために、諭し続けることはやめない気持ちで。
愛しましょう。
それがママです。
今日は突然、詩を贈りたくなりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せな一日を。
(トニーネ)
木
16
6月
2011
昨日は、6月28日の九電株主総会に向けてのMTGがあるということで、出かけてきました。
MTGに参加するだけでいいのかな、なんて思ってたら、
今度の6・28には、デモやイベントも企画されているようで、
その若者たちの連絡係がほしい、と。
若者軍団、みんなシーンとなってしまい。
みんな、ほんっっと疲れてるんだよね。
あんな大きなデモやって、財力も体力も時間も、使い果たしてしまっている。
なんか見るに見かねて、手を上げてしまったトニーネ。
あああ。でも、私もけっこういっぱいいっぱいなんだけどな。
これを読んでくださったみなさん。
よかったらご協力お願いします。
6月28日(火)の午前中ですから、ほとんど会社勤めの人は集まりません。
頼りは、フリーターとママです。
子育て中のママ、どうか!!!お願いします。来てね♡
ジャグリングとか歌とか、いろんな楽しいイベント満載ですけん。
さあ帰ろうか、とみんなが解散し始めたとき、
福島から避難中のアメリがこんな話をしていました。
「昨日さ、テレビ見てたら、酪農家が自殺したって。
そしたらテレビの人が、『自殺よりほかにいい方法なかったんでしょうかねえ』って。
でもさ、誰だって自殺したくなると思うよ、
ずっと大切に築き上げて来たもの取り上げられて。
すべて失って。
私だって、家族とも離れて、建てたばかりの家も住めなくなって。
もう自殺したほうがいいかもしれんって、夫と話したりするもん。
私たちはさ、ただ、今まで築き上げてきた場所に、帰りたいだけなんよ。
帰りたいだけなのに、もうそこは帰れない場所なんよ」
話してるうちにアメリは泣き始めて、私はちょっと呆然となって。
いつもアメリは明るくて、元気で。
私も、東京から離れてつらかったけど、
私より大変なはずのアメリがいつも明るいから、
がんばらなきゃーって思ってたけど、そうだよね、
アメリ、やっぱりつらかったんだって、
自殺したいほどつらかったんだって、
そんな当たり前のことを思い、ショックでした。
福島の人たちに、自殺させておけばいいのかな。
ほんとは、こんなことになった今、
私たち一人一人が、もっと、死ななきゃいけないんじゃないかな。
私は、そんなことを思いました。
もっともっと、自分のことじゃなくても、もっともっと、
私たちは福島の人たちの痛みを、シェアしなきゃいけない。
もっと、福島の人たちの怒りを、悲しみを、感じなきゃいけない。
福島の人たちが自殺したほうがいいと思うとしたら、
それは私たちの責任。
彼らと一緒に、悲しみ、怒り、死ななかった、
私たちの責任。
ママ原は、アメリ一人に死なせないね!
(トニーネ)
火
14
6月
2011
「51年目のスイッチ」弁護士 高山俊吉
6月11日の新宿中央公園からのデモは長丁場でしたね。午後3時過ぎに公園を出発してアルタ前は6時近く。主催者はさっさと解散っていう雰囲気。私たち6人は近くで食事をしてまたアルタ前に戻った。現場は完全な飽和状態。青い制服の警察官でいっぱい。ゲリラ的なリレートークが続いているが、警察官がどんどん増えて解散を迫っている。司会者の後ろの生け垣の上にも警察官たちがいる。
「俺たちには表現の自由がある」と絶叫する青年。
「表現の自由」
この言葉を聞いて私にはかちっとスイッチが入ってしまいましたね。何かがおりてきてしまった「しゃべらせろ」「何でもしゃべらせろ」とどなった。予定の進行から外れることで困ったような顔の司会者が「どうぞ」と私にマイク。
「何だこのざまは。ふざけるんじゃない。
警察官の君たちも被曝しているんだぞ、君たちの家族も被曝しているんだぞ。
原発反対を言っているみんなは君たちの命を含めてみんなが死なないようにがんばっているんだ。
東電の味方をして自分がもっと被曝したいのか。恥を知れだ。君たちは今何をしているのかわかっているのか。
私は弁護士だ、法律家だ。いま表現の自由という言葉を聞いた。
法律家として私は断言する。そのとおり、みんなに正義がある、彼らには絶対に正義がない。
生きるか死ぬかの話の時に、何の規制か、何のルールか。
私は弁護士として言う。みんなにはいうべきことを言う権利がある。そしてみんなに言いたい。
政府も財界も司法権力も御用学者もみんな全然信用できない。政治家はもちろん信用できない。このとんでもない社会を根本から変えてゆくのは若いみんなだ。皆さんがこの社会を根本から変えてゆく。
法律家が言うべきを言わないでいることを私は詫びる。でも、力の限りがんばろうとしている弁護士も少なくない。力をあわせてこの状況を根本から変えていこう。彼らに暴走させてはいけない。彼らが暴走すれば、ここはチュニジアやエジプトに必ずなるぞ。一緒に闘おう。以上です」
と、こんなことを話した(ような気がする)。いい爺さんの絶叫。しゃべった時間は5~6分かな。話が終わったら完全なもみくちゃ状態。握手をしようというみんなにどっと囲まれました。
若い夫婦と子どもさんが寄ってきて、これも握手。「お嬢さんもご一緒なんですね」と言ったら、「マスクをさせていてわからないでしょうがこれは男の子です」と。そりゃごめんなさい。
「名前を教えて下さい、逮捕されたら頼みます」という青年。外の何人もが「名前を教えて下さい」口々に。タハリール広場とまではとても言えないけれど、アルタハ広場くらいの感じはしましたね。後で一緒にいたS弁護士が「おおぜいいた警察官がいつの間にかすっと消えてしまった」と。
私は大学1年の時に樺美智子さんが警察官に殺された翌日の学内集会を思い起こしました。あのときも私の頭に一瞬にスイッチがはいってしまい、おとなしい俊吉青年が学友に「彼女の死を自分の問題として考えきろう」と思わず口走ってしまった。
しゃべる内容よりも、まずしゃべってしまったですね。
51年ぶりです。
タハリール広場にも51年ぶりのお爺さんがいたんだろうなぁ。
* * * * *
いやあ、その場にいたら、ものすごい感動だったでしょうね。「何かがおりてくる」とき、ですね。大事、大事。
(トニーネ)
日
12
6月
2011
ママ原メンバーで、福島から避難中のママ、うのさえこさんが、広島のデモで訴えました。
* *
福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。
目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。
耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。
耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。
耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。
耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。
耳を澄ましましょう。自分の心の声に。
私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。
私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。
再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。
広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ
土
11
6月
2011
ティナ@2人の子どもと共に、福岡に避難中です。
来月には育休が終わるので、埼玉に帰らないといけません。
赤ちゃんである次女を母親が引き離すのは可哀想なので、やっぱり連れて帰りたい…
でもTwitterで、埼玉県内の保育園の土壌を自主計測したママから、規制値を越える値が出ていたことを聞きました。そのママは現在、お子さんと沖縄に避難しているそうです。
家ではいくら気をつけても、保育園が対策をとってくれないと、子どもと一緒に埼玉で暮らすことはできない。
そう思って在福岡のまま、埼玉県への署名を集めることを計画しました。
降ってくるものは止められないけど、本来なら避けられる被曝をさせたくない。
将来、子ども達に「なんでお母さんたちは、その時に何も言わなかったの?」と聞かれて答えに窮したくない。
ちょうど来月は県知事選があるので、タイミング的にもチャンスとみました。
子どもへの被曝対策を争点に浮上させられたら、他県の首長も多少は意識すると思うのです。
自分が行動を始めると、県内で協力して下さる方も次々に出て来てくださいました。
署名を集めることと並行しながら、埼玉県議会への要望、選挙前の公開質問状、被曝に関する学習会など、やれることは何でもやっていこうと思っています。
自治体を動かしたいのももちろんですが、署名活動を広げることで埼玉県内で、子どもの被曝対策への関心を高めたい、という狙いもあります。 被曝慣れ(?)や、諦めの風潮を変えたい!
あと、不安を抱えてる親が孤立してる現状がよく分かったので、「1人じゃないよ!」と伝えたいのです。
どれだけの広がりを作れるのかは分かりませんが、とにかくやってみます!
署名フォームなど完成しましたらこちらにもまたメールいたします。ご協力いただけると嬉しいです。
(ティナ)
金
10
6月
2011
太宰府市に住むミツノンです。
ここ最近、家事の合間を縫って、少しづつですが放射線の勉強を進めています。
ネットで検索して、調べるのが主ですが、
読むだけでは、なかなか頭に入っていかないみたい。
それで、これはと思った記事や文章は、
日付つきで、ノートに書き写しておりました。
5月19日
ー原発情報ー
チェルノビルでは、最高で1平方メートル当たり380万ベクレル。
(148万ベクレルで強制避難)
原発から北西40キロの飯館村で、2000万ベクレル。
148万ベクレル以上 → 強制避難
~55万5000 → 強制移住
~18万5000 → 希望者は移住を認める
~3万7000 → 放射能管理が必要なエリア
*メモ*
日本の表面積は、地球の表面積の0.07%
全世界の原発の約13%が、この国土に密集している。
五月の終わりごろ、週末、
夜、長男(5年生)が、鼻血を出した。
なかなか止まらず、
「鼻糞でもほじったの?」
と、訊くと
「いいや、ほじってない。
いきなり出てきた」
と、答えた。
翌朝、再び鼻血。
耳が痛いという。
見ると、右耳の下が赤くプッくリと膨れている。
長男は時たま鼻血を出す子だけど、
耳の下が腫れているのは、初めて見た。
六月の頭ごろ、
長女(3年生)が、学校から帰ってきた後、鼻血を出した。
突然出てきたという。
今週の中頃、
次女(6歳)が、近所のスーパー近くで、小学生のともだちとたたずんでいた。
雨にぬれていた。
翌日朝、耳が痛いと言った。
見ると、左耳の下が硬く盛り上がり、うっすら赤く腫れている。
数日後、腫れはひいた。
三女は今のところ、何もない。
思えば、小学生二人は、家では長年牛乳を飲ませていない。
学校給食では毎日飲んでいる。
家での食事の違いと言えば、これくらい。
肉類も、鳥肉なら調理して夕食に出す。
牛肉豚肉は、調理の際、臭いアクがたくさん出るので、
自分からは買わない。(でも、ときたまひき肉を買うことは、ある)
(ミツノン)
木
09
6月
2011
福島県福島市から福岡に避難し、今、私事で生まれ故郷の宮城県に一時的に帰ってきているアメリです。今、現在の福島市の状況ですが、ママ達の悲痛の叫びが「子どもたちを放射能から守る 福島ネットワーク」のホームページのコメント欄から知ることができます。福島を応援する温かい方々からの応援メッセージも読むことができます。
ぜひ皆さんにも読んでいただき、福島のママ達の苦しみ、悲しみ、怒りを知り、そして皆さんの活力へと変えて訴えてください。玄海を止めることもとってもとっても重要です。並行して、今現在、放射能に苦しめられている福島を助けてください。福島のママ達は自分のことでいっぱいいっぱいです。
私も福島の自宅に子どもを連れて戻った日は、外で遊びたがる子どもをなだめ、暑いと勝手に窓を開ける子どもを叱り、測定器とにらめっこしながら家の中の除洗をし、たった一日だけだったのに精神的にも体力的にも苦痛でした。福島のママ達にこれ以上の負担を与えないように他県の皆さんが代わりに声をあげてください。特に今のところ地震も放射能も心配のない九州の皆さんの力が本当に必要です。宜しくお願いします。
福島の自宅を出る時に4歳の娘が急いで私に庭に咲いていたシロツメクサを「ママにプレゼントだよ!」ってとってくれました。いつも部屋の片隅に飾っていた草花、嬉しいはずの想いが、放射能が手についたかもしれない、早く車に乗せなきゃと焦りでしかありませんでした。小さな子のこんなほんわか優しい想いをも放射能はかき消します。放射能が本当に憎くてたまらない。
皆さん、とにかくとにかく、福島を守ってくださいね。本当に本当に本気で宜しくお願いします。
もう少しで福岡に戻ります。そしたら皆さんで顔合わせ、意見交換の集会を開きたいですね。
これからもどうぞよろしくお願いします。
皆さんに会える日を楽しみにしています。
読んでくださって、ありがとう!!感謝します。
(アメリ)
水
08
6月
2011
トニーネが東京にいたころのママ友、ヒギーから、こんなメールが来ました。
* * * * *
東京では危機意識の高いママを探しながら輪を広げようと頑張ってます。
先日友人に『子供の居場所の放射能値測定に関する署名』を
頼まれたので私も協力することにしました。
幼稚園の庭の数値も気になってたので園のママの協力を得ようと
園に許可を取って署名をもらえるように園長に掛け合ってみました。
園内でなく、お母さん達のネットワークで行い園の外で署名するなら大丈夫と許可を得ました。
署名をやると中には積極的に活動を協力してくれるママも居たのでやって良かったなと
安堵してたのも束の間、次の朝に園長から指導が入りました。
『いろいろな意見のお母さんが居ますので、園から見えない場所で行ってください。』と・・。
もう秩序とか組織にとらわれている場合じゃないのに。
3.11以前と変わらない常識に縛られている親の意見に逆に驚きを隠せません。
そういう人達は今、何を優先して生きているんだろうって・・・。
安全かどうか確認もされてない園の庭で遊ぶ子供を見て悲しいし落胆してしまった。
他の園でも、署名活動をしたママに対して他のママから注意があったと聞きました。
園での活動の中で不安になる行事もいくつもあるけど、
声に出してるママが居るのか居ないのか・・・。
放射能の話は公の場では全くされてない状態。
まるで原発事故すら無かったかのような状態で行事も進んでいる。
疑問を持っても声を上げないと意味ないのに、周りの目を気にしてか、無関心なんだか、
みんな生きながら眠っているように見えて怖い・・。
ママの間ですら戸惑うほどの温度差があり余計な部分でエネルギーを削られてしまう状態。
東京に居るからには少しでも子供に被曝させない努力をしたいと思うけど、その対策に関しても
やってる、やってない、どの程度してるかで結局最後は対立的になり放射能の話は、
更にものすごく気を遣うのが現状。
放射能という人間の五感では感じないものに対して個人的に長期的な対策をするのは
とてつもなくストレス。
『目に見えない→目の前に無いもの』に変わってしまう。
大半の人は心身共に疲れてしまい、覚悟を決めて向き合うより『どうせ全部防げないから』と
全てのスイッチを切って普段と変わりない生活に戻っている人が多い。
* * * * *
東京を離れ、残してきた人たちに申し訳ない気持ちのトニーネでしたが、
ヒギーからは「がんばってくれてると思うと元気出る」って、逆に励まされました。
彼女が今参加してる活動は、おひさま会http://ohisamakids3.jugem.jp/だそうです。
一緒に、がんばっていきたいね。ありがとう。
(トニーネ)
木
02
6月
2011
久留米市の医師西村靖子さんのお話会で
放射能対策のビデオを教えてもらいました。
見たり音や振動で体内に含まれた放射性物質を除去できるそうです。
その映像はアメリカのミネラル社が医療用に開発したものです。
不思議な映像と超音波の様な音に振動を感じれます。
子供と一緒にかけ流すと良いそうです。
でも子供には「これは、放射能が・・」って説明はしないでね!と言われていました。
そういうイメージが残っちゃうそうです。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=WS_7kjj3X6A
(チキチータ)
月
30
5月
2011
今日、お昼に開かれたトミナガマイさんのスライドショー&米原幹太くんのお話会に
エリーとトニーネも出席してきました。
音楽や詩や写真を見たりする中で、
「てんごくのおきゃくさま」という絵本の朗読がありました。
原発問題をテーマにした、30年前の絵本でした。
あらすじを軽く説明しますと・・・
* * *
天使たちがお空で遊んでいると、変わった天使たちがお空に上ってきました。
それは、原発の事故によって、お母さんたちのおなかにいられなくなってしまった、
人間や動物たちの天使でした。
そして、原発によってどんな悲惨なことが起きているか、
変わった天使たちが説明をするのです。
「この状態をどうしたらいいだろう?」
天使たちは考えて、子どもたちに、
「原発をつくらないように」という、手紙を届けることにしたのでした。
大人たちが、子どもたちを通して、そのメッセージを受け取れることを願いながら。
PCからはhttp://plaza.rakuten.co.jp/hatenaisya/diary/201103140001/
携帯からはhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=monwingaji&id=35282799
* * *
トミナガマイさんの写真を見ながら、
その絵本の朗読を聞いていると、本当に胸が詰まる思いでした。
放射能の影響を一番受けるのは、子どもたちだと言われています。
チェルノブイリでも、胎児や6歳までの子どもたちに、
10年、20年後、奇形や白血病、甲状腺がんなどが多発しました。
危険区域にいる子どもたちを避難させることなく、
2000ベクレルという高い基準の食べ物を流通させている、
今の日本政府の対応を見ていると、
日本でこうした天使たちが生まれてしまうことは、
時間の問題ではないでしょうか。
チェルノブイリを超える汚染を受けながら、
日本だけは、チェルノブイリのようなことが起こらないと思っているかのような対応。
その異常さに、正直、震撼します。
私たち大人は、何ていう社会を作り上げてしまったんでしょう。
今、お母さんたちのおなかの中で苦しんでいるかもしれない子どもたち、
もう生まれることをあきらめてしまった子どもたちに、
何と謝ったらいいんでしょう。
そのあとのお話の中で、
20歳の米原幹太くんが言った言葉も、胸に突き刺さりました。
「子どもたちの未来を考えない、どんな行動も大人のエゴだと僕は思う」
何で原発があるの? そんな危険なもの、いらないじゃん。
子どもの視線から見たら、とても当たり前の公式が、
大人たちの世界では、主張するのがなぜだかとても難しいことになっています。
絵本では、天使が子どもたちに手紙を託しました。
でも、それは本当のことで、子どもたちは一人一人が、
存在している、そのことだけで、天使からの手紙を日々、
私たちに届けてくれている、と思いました。
大人中心の世界では、子どもは力がなく、半人前だと思われているけれど、
子どもから見て、当たり前のことが、
当たり前になっている社会のほうがきっといい。
なぜって子どもは、天使からの手紙を託されている存在だからです。
そんな子どもに、被爆を強要し、
学校や園に通わせるような国なんか。
そんな国に、未来があってたまりますか。
ちょっと過激だけど、そんなふうに思えます。
東京でも、低線量被曝が始まっていると、
ジャーナリストの木下黄太さんがブログで書いておられました。
福島から200キロ離れた場所でさえ、そんな状態なのです。
何ていう世界を、私たちは子どもたちに残してしまったのでしょうか。
言葉になりません。
(トニーネ)
金
27
5月
2011
ママ原の立ち上げにも関わり、30日にはトミナガマイさんのスライドショーでもお話をする、米原幹太くんのmixi日記
* * * *
「若者が動こうとしている。」
コミュニティをつくりました。
after311
どうすんだよ?若者は?
同世代として、
みんなにanswerを求める。
若者が若者へ発信していく。
この行為に、
とことんこだわろうと思う。
すでに
生まれてしまった
これから
生まれてくる
次の世代に、
本当に申し訳ない。
黙って
黙って
静かに
静かに
死んでいく
この島
子供が死んで
未来は無くなり
金が無くなり
未来は拓ける
この関係性
みえる人が何人いる?
資本主義という
病はもはや病ではなく
生きるために
息をする
食べる
飲む
これら
生きるための事象
資本主義はその中に
金を稼ぐ
を生み出した
金があったら生きていける
Why?
金があっても食べ物無い
はい。死んだ
日本人この民族は
金がない世界を
全く想像できない
頭の片隅にもない
だから
滅びると思う
311
起こった
はっきり
わかった
日本人
この民族
金が命を上回ってる
前々から感じてた
違和感は正しかった
残念
アジアの片隅
「資本主義」の
完璧なモデルケースが完成
それが、日本州です。
武力で支配
もう古い
金という概念で支配
回りくどく
ねちっこく
静かに
静かに
手を回されて
吸収された
しかし
誰も気づかず
気づいた人は
爪弾き
口にだせば
首が飛び
タブー恐れて
何もいわず
面倒くさいから
無関心
結果は
原発爆発
起きても
無関心
相変わらず
疑問を抱けど
かみ殺し
不安を煽ると
真実見ずに
TVを見て
笑ってな
ここに、
小中高、大学
管理教育の成立をみました。
意図的なシステムが、
日本の風俗、
人格までに密接に絡み込んでいる。
金を稼いで使うことが染み着いて、この性から死ぬまで離れられない。
なぜなら、息をするのと全く同じこと。
息をしなかったら死ぬ。
これと同じ。
自分自身を、否定したり、問いつめたり、ある一定の自分を越えたり。
してきて無いと、この日記は解読不可能なのかもしれない。
そして、
そんな人が
一般常識者的視点の異常な人。
ぼくからみたら
当たり前の人。
言い訳ばかりして
良いわけがないと
自分に言い聞かせて
戦うやつが少ない
そんな気がするよ
とか、思うから
正直に言うわけよ。
過激と言われてもね~(笑)
* * * *
最近「幸せの経済学」っていう映画を見ました。
私も、最近まで、金がないと、って思ってた人間の一人。
幸せでしたか?って自分に聞いてみた。
いつも誰かと争って、
蹴落とさなきゃ落とされるっていう、恐怖ばかりで。
何の肩書きもなくなった今のほうが、よっぽど幸せだ、と思う。
今の私の使命は、子どもを守る、それだけ。
今も、多くの人が、やっぱり「命よりお金」って思ってる。
原発が必要だって思ってる。
この日本で、彼らもきっと、
私がやってた戦いを、今も繰り広げているのかなって思う。
聞きたくないことに耳をふさぎ、
見たくないことに目を閉じている人に、
真実を伝えようとする人は、
いつの世だって、煙たがられてきた。
ソクラテスだって殺された。
煙たがられてもいい、
そういう人たちの戦いが、早く終結するように、
応援する自分でありたいと思う。
もちろん、自分の戦いも、まだまだ続くわけだけれども。
(トニーネ)
水
25
5月
2011
ママ原勉強会の講師にも来ていただいた、平和学の専門家、足立力也(通称リッキー)さんの日記
* * * *
行ってきたよ、見てきたよ、フクシマ。
マジヤバいよ、フクシマ。
まず、マイミクsaikomsさんからガイガーカウンターを借りる。
もともと、このガイガーカウンター、アラームがなるデフォルト値が0.3μSv/h。
福島駅でその値をあっさり超えた。
駅前東口の空間線量率で1μSv/h。
いきなりピーピーなりだす。
周りには、普通に駅の利用者がいる。
慌てて、早速アラームの閾値を2μSv/hに設定し直す。
んで、同じ東口で、側溝の上に近づけてみると、一気に3μSv/h超え!
またもピーピーピーピー、アラームが鳴りだす。
ひええ!
※参考までに。
1μSv/h=年間8.76ミリシーベルト。
3μSv/h=年間26.28ミリシーベルト。
いわゆる「20ミリシーベルト問題」を軽く突破のヤバすぎる値!
福島市もこりゃアウトだよ。
海岸線。
新知町~相馬市~南相馬市まで走破。
海岸から内陸数キロにわたって、マジで真っ平ら。
もうそれは見事なほどに、真っ平ら。
2カ月たってんのに、復旧どころか、片付けすら終わる気配がない。
街中、田んぼ、屋根の上。
船があちこちに転がってる。
小舟なんかはもちろん、結構なトン数ある船も陸の上。
普通の重機なんかじゃ絶対持ち上がらん。
どーすんだコレって感じ。
相馬市松川浦の漁港付近は、まだ信号も復旧してない。
イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんが瓦礫撤去のボランティアをしている
南相馬市の現場もお邪魔した。
おばあちゃんの一人暮らしのお宅。
線量計を持って行ってたので、あちこちはかってくれと頼まれる。
家の中、側溝、蔵の中、そして畑。
特に、畑で作っている野菜を食べてもいいかどうか、心配していた。
畑の地表は0.6μSv/h。
ちゃんとベクレル値で測ってないから正確には分からんが、
そんだけ出てたらやっぱやめたほうがいいよな、ってんで、
食べないことにした、と後から連絡を受けた。
そして、件の飯舘村へ。
南相馬市・原町区は平均して0.22μSv/hくらいだった。
それが、八木沢峠を越えて飯舘村に入ると、突然線量率が上がる。
一気に1→2→3μSv/hへ。
アラームがけたたましく鳴りだす。
上述したように、いわゆる「20ミリシーベルト」で考えてもアウト。
めんどくさいので、アラームの設定値を6μSv/hに設定し直す。
役場前も3μSv/hくらい。
我々が役場に着いた時、幼児を乗せた幼稚園の送迎バスが
ちょうど出て行くところだった。
早く逃がせ、アホたれ!!!
菅野村長とも面談。
やつれた表情、うつろな目。
ダメだ、こりゃもう精神的に疲労しすぎだ。
対応能力を失っている。
ちょうど長野県中川村の曽我村長からケータイに電話が入る。
どうも、俺のツイートを見て、俺が飯舘村にいることをつかみ、
連絡してきたようだ。
「こっちにも村営住宅で受け入れるよって菅野村長に連絡してるんだが、
返事がないんだ。聞いといてくれないか?」
早速菅野村長に聞いてみると…
「申し出はありがたいが、そういう話をたくさんいただいている。
ひとつひとつに返事を出せる状況じゃない」
「今電話があったばかりなので、コールバックしますけど」
というと、おおきくかぶりを振って
「いや、いい、いい」。
ダメだ、行政単位では村人を救えない。
同日夜、中川村・曽我村長に電話、事情を説明。
曽我さん「一本釣りしかないか…」
行政という枠にとらわれない曽我さんの行動力に期待。
そして菅野さん、責任感は分かるが、1日でも休んだほうがいい。
今の状態では村民が犠牲になる。
役場を後にした我々は、村の方の案内で、飯舘村一番の「ホットスポット」へ。
長泥(ながとろ)地区というそうだ。
そこに行くには、役場から峠をひとつ越えるのだが、
そこを越えた途端、ガイガーカウンターのアラームがピーピーなりだす。
外に比べて車の中の線量率は4割減と言われている。
それでも6μSv/hを超えたってことは…外は10μSv/hくらい!?
やってられん、アラーム閾値を10μSv/hに設定しなおしじゃ!
長泥地区に到着。
車外に出ると、あにはからんや、またもアラームが…
数値を見ると、12μSv/h。
ここまでいくと、もう殺人的。
年間で換算すると、100ミリシーベルトを超えてる。
原発の現場労働者が通常認められている「5年間の積算線量」が
100ミリシーベルト。
そして恐ろしいことに、まだそこに人が住んでる!!!
9割は逃げたが、逆に言うと1割まだ残ってる。
実際、焚火をしている女の人を見かけた。
マスクはつけてたが、ここまで高いと、マスクなんかもう意味がない…
いや、内部被ばくを考えると、せんよりマシだが、そんなことを
議論するような値じゃない。
人生諦めないで欲しい…。
しかしいろいろあるのだ、特に飯舘村の避難問題は。
なだけにもどかしい。モヤーっとする!!!
で、その長泥地区でもとびきりのホットスポットへ。
案内役のAさんが「ここ測ってみましょうか」
ある雨どいの下にガイガーカウンターを置くと…
あっという間に値が上昇、軽く500μSv/hを超える!!!
年間になおしてみてみそ。
500(μSv/h)×24(時間)×365(日)=43800000μSv。
=4380ミリシーベルト。
=4.38シーベルト。
2時間いれば、普通の人が浴びていい年間の限度を超える。
本当はガイガーカウンターをじっくり置いて計測しないといけないのだが、
とてもそんな悠長なことをしてられる現場じゃない。
実際は500を軽く超えてるようだ(写真参照)。
ひとつ確認しておきたい。
「放射線管理区域」というのがある。
簡単に言うと、「普通の人は入っちゃいけませんよ」という場所。
一番身近なのが、病院のレントゲン室。
この区域では、いろんな規則がある。
例えば、モノを食べちゃいけない、飲んじゃいけない、液体や塵を
床に落としてはいけない(ちょっとでも落とそうもんなら必死こいて除染して
始末書書いて上司に「すんませんでしたー!!!」と頭を下げまくらねばならない)、
そして決定的なのが「子どもを入れてはいけない」。
その「放射線管理区域」に指定される基準の値が、
0.6μSv/h
なのだ。
600μSv/hってことは、その1000倍!!!
どんだけめちゃくちゃな値か、これで分かると思う。
ついでに(?)ベータ線も測ってみた。
普通、そこらへんではベータ線はほとんど検出されない。
これまたぐんぐん値が上昇、ヤバい、ここに高濃度の放射性物質がある!
いや、そんなもんはガンマ線の線量率から分かっちゃいたけど、
ベータ線の収束量を見て寒気が走った。
とっとと尻尾巻いて逃げたさ。
それが普通の心理ってもんです。
それに慣れてしまった、慣らされてしまった飯舘村民…
マジでヤバいよ。
どうやって逃げてもらうか…なんという難題。
ちなみに、その村民たちが要求しているのが、「ホールボディカウンタによる
被曝測定」。
全身の被曝量を検査するもの。
原発の作業員たちが、作業後毎日測定するヤツです。
これによって、どんだけ被曝したか、あらかじめデータをとって、
本人がそのデータを持っていることが、今後非常に重要になってくる。
後でガンなどを発症した際に、被曝が原因だと証明するためです。
それを政府に要望しているのだがあっさり蹴られたそうだ。
それはもうヒトゴロシだよ。
どうにかこの要望を飲まさないと、飯舘村民が放射線被害症例の
モルモットにされてしまう。
実際、ある意味手遅れな部分がある。
一番被曝量が大きかったのは、おそらく例の「水素爆発」の後。
その時に大量に出たヨウ素は、もう検出できなくなってしまった。
放射性ヨウ素自体は検出できないくらい放射能が小さくなっても、
その時にくらった影響は後々まで続く。
その「証拠」がもう分からなくなってしまったのだ。
しかし、できるだけ早くホールボディカウンタによる被曝量検査をすることで、
少しでも後の補償などで正当な権利を得られる。
どうにかせにゃ!!!
平和学という学問=科学をつかさどる立場として、
これだけは断言しておかねばならない。
これはマジで戦争だ。
原発の作業員は、前線に送られる兵士と一緒。
放射線という弾丸がびゅんびゅん飛び交う中に突撃させられる。
その弾丸がびゅんびゅん飛び交う戦地を逃げなければならない避難民。
統制された情報。
抑制された行政。
何もかもが、戦争と全く同じ構図なのだ!
違うのは、普通の戦争は、戦ってるヤツら同士が話し合って和平すれば、
人が死ぬのもモノが壊れるのも終わるが、原発はそうはいかないってこと。
原発は話し合いになんか応じてくれない。
決して和平することのない相手と戦わねばならない、
戦争以上にタチが悪い究極の戦い、それが原発震災、原発事故なのだ。
ありとあらゆる危機感てんこ盛りの被災地訪問だった。
* * * *
こんにちは、アメリです。
リッキーさんの日記、読みました。一応補足しておくね。
飯館村は今は計画的避難地域に指定されていて、早かれ遅かれみんな避難できます。
でも残っている人は自分の都合で残っている人も多いようです。
子どもや妊婦はいち早く逃がしているよ。
村長さんは一生懸命やっています。
村長が動けないのは、勝手にやれば保証をしてもらえないからだよ。
国が悪いのです。
村長も組織にいる以上、国には逆らえない、国が早くここへ行けと言うべきなのです。
そして私たちもヒドイと見ているだけではダメ。
知った情報をもとに国や福島県に訴えてください。
私からして見れば、計画的避難地域に指定された飯館村はうらやましい。
福島市や郡山市や二本松市なんかはそれこそほんとに逃げたくても逃げれないのです。
子どもたちがたくさん残っているの。
もう本当にどうしたらいいかわからないよ。
とにかく訴えるしかない。
デモも玄海を止めてっていう前に
福島県をもっともっと応援するデモにすれば良かったって後悔してる。
6.11のデモでは福島県の20ミリシーベルト撤回を強く強く訴えてほしいなと思います。
みんなー、よろしくね。
提案してください。
私は口だけで何もお手伝いできなくてごめんね。
早く自宅をなんとかします。
今日も頑張りましょう。
ありがとう。
(アメリ)
月
23
5月
2011
4月の第1回のパレードに参加したティナです。
私自身は、4月末にさいたまの自宅に帰ってみたのですが、やはり子どもの被ばくが避けられないと思い、福岡に戻ってきました。
一番、危険だと思ったのは保育園です。「さいたまは値が高くないから」という理由で、外遊びも通常通りだし、給食の食材も牛乳も、近隣の県のものが出されています。
職場の永田町にも行ってみましたが議員会館の地下2F室内でも、0.14マイクロシーベルトもあり、ショックでした。測定器を持ち歩いている先輩に聞いたら、都内のオフィスで仕事して帰るだけでも、1日の累積は3マイクロシーベルトに達することもあると言っていました。
子どもたちは、さいたまに戻さない方がいいとは思っていますが、私自身はどうするべきか。永田町で仕事に復帰した方が、多くの子どもたちを守るために何がしかの役にたてるのではないか?と迷っています。次女にもっと母乳もあげたかったし、3人目もほしかったのですが…
(ティナ)
日
22
5月
2011
今回は、道路申請もしない、ほとんど告知もしない、
こじんまりしたパレードをしようということで、
ふたを開ければ、集まったのは約十数名(うち子ども3人)でした。
いつもの、緑マントにひまわりの造花を頭につけた10人組。
最初は公園の人たちに、署名を集めたり、お話をしていました。
そのうち、某団体と重なりそうになったこともあり、
急いで公園をおいとまし、歩き始めると、
中央署の方々がやって来られて、
「プラカードはだめ」、「垂れ幕もだめ」・・・。
今回のパレードでは、全国でもママパレードが広がることを願い、
「いかに手間のいらない、効果的なパレードが組めるか」
というところに焦点を絞ってみたのですが、
「道路申請」は欠かせないようだ、ということは一つわかって良かったです。
(当たり前だろ!笑)
道では、ラジカセで音楽をつけながら、
「原発いらない」
「子どもを守ろう」
「電気は足りてる」
「今こそ変わろう」
「日本を変えよう」
というコールや、メッセージをしながら歩きました。
道の途中では「がんばれよ!」という声も何回か聞こえて、
初めての経験だったので、とてもうれしかったです。
確実に、脱原発の賛同者は増えているんじゃないか!と思いました。
ミーティングは、いつもならドタバタなのですが、
久々に心行くまで語り合うことができ、
本当によかったです。
これから、ママ原として何をしていったらいいのか。
いろんな青写真が描けました。
・もっと地域のママたちと交流を深めること
・東北、関東からの避難者の受け入れ先を議員に訴えること
・このHPを充実させていき、原発の問題を初心者でもわかりやすいものにしていくこと
・全国の脱原発ママ団体の活動をまとめたHPを作成すること
・ママ原の活動内容を、映像として配信していくこと
等々。
一つ一つ、具体化させていこうと思います。
そうそう、ミーティングが終わった後、カレーを食べに行ったのですが、
その道すがら、3歳のうちの子Tが拡声器を持って、
「Tちゃんは、東京から避難してきました。お願いします」と言いました。
それだけでもびっくりだったのですが、
すると、今度は少しお姉ちゃんのSちゃんが、
「Sちゃんは、原発いりません。お願いします」。
それを聞いたうちの子が、
「Tちゃんは、東京いりません。お願いします」。
かわいい演説に、道行く人たちも笑っていました。
(トニーネ)
土
21
5月
2011
市民団体「母乳調査・母子支援ネットワーク」は5月18日、厚生労働省で記者会見をし、独自に母乳を民間放射線測定会社に送り分析した結果、福島、茨城、千葉在住の5人の母乳からヨウ素が、また、福島、茨城、東京在住の4人からセシウムが検出されたと、データを公表。国や自治体に対し、全数調査を行うように訴えた。
母乳の検査は、前回4月21日に公表した9人に加え、新たに福島県、茨城県、千葉県、栃木県、東京都在住の母親計40名から母乳の提供を受け検査をした。検査の結果、茨城県土浦市在住の母親からは、1キログラムあたり、セシウム137が8ベクレル。福島県福島市の母親の母乳からは、セシウム134が 5.1ベクレル、福島県西白河郡の母親からは、セシウム134が4.8ベクレル、セシウム137が5.7ベクレル。福島県いわき市の母親からは、ヨウ素131が 5.5ベクレル。東京都三鷹の母親から、セシウム137を4.8ベクレル検出した。
17日発表された政府の調査では、母乳から放射性物質が検出されなかったとされているが、5月になってもヨウ素が検出されていることから、福島第一原発の 放射性 物質の流出が止まらない限り、母親が新たに放射性物質を摂取する可能性は否めない。東京在住の母親からもセシウムが検出されていることから、母乳調査・母子支援 ネットワークの発起人で四日市大非常勤講師の河田昌東さんは「特定はできないが、食べ物、飲み物が原因と考えられる。今後広い範囲で母乳の放射線汚染が出てくる可能性もある。さらに多くの調査を国や地方自治体が実施する必要がある」と訴えた。河田さんによると、母親が摂取した放射性物質の20%が母乳に入るのだという。
日本の食品の暫定基準は、飲料水/牛乳・乳製品が、ヨウ素で1リットル300ベクレル以下、セシウムでは1リットル200ベクレル以下と定められているが、1リットル、ヨウ素、セシウムともに1リットル10ベクレル以下としているWHOの基準より、20倍から30倍緩い基準となっている。また野菜に関しても、日本では1キロあたりヨウ素は2000ベクレル以下、セシウムが500ベクレル以下とされているが、欧米の基準は1キロあたりセシウムは370ベクレル以下とされている。日本が食品を輸入する際の基準値も同じ370ベクレルとなっている。
記者会見の動画はこちら→Our Planet-TV http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1055
ドイツ放射線防護協会・日本における放射線リスク最小化のための提言、によると乳児・子ども・青少年は、1kgあたり4ベクレル以上で、成人は、1kgあたり8ベ クレル以上のセシウム137を 含む飲食物を摂取しないことが推奨されている。【転載終了】
* * * * * *
とても重いニュースだよね。
私も本当に心が痛い。
私は19日に福島で行われた記者会見に応援にかけつけ、
そのまま参加させてもらって発言させていただきました。
質疑の中で、人数や数値は低いと見解する方もおられると思うがどうお考えか?と、、
私、耳を疑いました。そんなバカなこと言う人がいるの?悲しい現実だよね。
母乳ネットの方は淡々と答えていました。
確かに低い数値かと思う方がいるかもしれない、
けれど今その位出ていればもともとはもっと高かった可能性もある、
出ているという事実を受け止め対応していただきたい等々、、
私は気持ちを押さえきれずにマイクをお借りして、
私も現在まだ母乳をあげてる身としてこの事実は大変苦しいものであること、
5人も出ていることのどこが少ないのか、
一人でも大切な命、たった一人が出たとしても国は大きな問題として取り上げるべきだ、
と訴えました。
母乳から出た5人の方、未来を担う赤ちゃん達、その方達はどうなってもいいの?
少なかったら問題ないことなの?当事者じゃなかったら関係ないの?
悔しくて悲しくて怒ってます。
これからも私達はそのようなママ達も含め、苦しんでいるママ達を応援していこうね。
今日もありがとう。
(アメリ)
金
20
5月
2011
お久しぶりです。
皆さん、お元気ですか?
祖父の初七日も無事に終わりました。
私がいる宮城県名取市は、仙台市のすぐ南、空間線量は高い所で0.6マイクロシーべルト毎時ありました。
私が滞在中の兄のマンションは11階のため0.1マイクロシーべルト毎時です。
私は場所によっては仙台市もとても危険だと感じています。
私達は料理にミネラルウォーターを使っています。歯磨きのうがいもミネラルウォーターです。
短期間の滞在のため頑張れますが、長期間いる方にとっては難しいですね。
私達でさえ、もうミネラルウォーター30本は使っています。
野菜は産地を選んで購入。
佐賀県産たまねぎにはずいぶんお世話になっています。
あとは海外産(なるべく有機)を選んで買っていますが、限りがありとても疲れる、、、。
福島や宮城にもスーパー0べクレルのお店がほしいです。
昨日は福島市入りしました。
福島と宮城の県境ですでに0.8マイクロシーべルト毎時はありました。
福島市街は1.5マイクロシーべルト毎時、、、これでもだいぶ低くなったんだよ、と主人に言われました。
現実を目の当たりにし愕然とすると共に怒りさえ覚え、悲しみの涙さえこぼれました。
美しかった福島は今はありません。
久々に自宅に戻りました。
壊れた窓の隙間からたくさんの虫が入り住みかになっていました。
クモの巣もはっているし、なぜか鳥の糞まで、、。
でもやっぱりホッとする。
マスクを外して思い切り空気を吸い込んで伸びをしたかった。
たくさんの思い出がよみがえり、被爆してもいいからここで暮らしたいとも思いました。
避難地域のお年寄りの気持ちが痛いほどわかりました。
でも私は大切な子ども達を守らなければいけない。福島市にはサヨウナラしなきゃね!
私の家からは福島市の夜景が一望できます。
この景色を二人一緒に見れるのは次はいつなんだろうね、、と主人と話し帰路につきました。
福島市民の様子は、話に聞いていた通り、みんな普通に生活しています。
0.7を越える場所で小さな赤ちゃんと2歳位の子どもを連れた若いお母さんが
マスクなしでお散歩をしていました、とても楽しそうに。
福島がいかに安全神話を作っているか、危険を知らせていないのかがわかりました。悔しいです。
福島でいつもお世話になっていた、天然酵母パン屋さんに
福岡から持って行った資料や冊子を届けに行きました。
ここのパン屋さんは原発事故前から脱原発を訴えていた仲間でもあり
県庁前にての座り込みにも一緒に参加したことのあるとても意識の高い方です。
福島の現状や避難したい方がいるかお聞きしたところ、
アトピーやアレルギーを持つお子さんがいるお母さんが避難したがってるとのこと、
福島では布団も洗濯物も外に干せない状況、窓を開けて掃除もできない、
アレルギーを持つ子はつらいですよね。
集団疎開ができる場所がないかと聞かれました。
福岡には廃校になった学校がたくさんあります。
そういった場所を利用できないでしょうか?
私達ができること、、
福島の方々にまず現実を知ってもらいたい。どうしたらいいのかな?
ガイガーカウンターを送るプロジェクトはとてもいいよね!
それからニーズに合った場所の提供。
それから、フクシマの事故を忘れず、
私達も長いスパンで活動していく必要があります。
ずっと訴え続けましょう。
また、報告しますね!
明日のパレード、楽しんでね!
たった一人でも原発の危険性や福島のことを知ってもらえたら
パレードをやった意味があると思います。
私はこちらで私にできることを頑張ります。
では、また会える日まで!
みんないつもありがとう。
(アメリ)
水
18
5月
2011
九電交渉、行ってきました。
九州中から、脱原発を求める団体、個人、約180人が集まりましたが、
中に入れたのは40人だけで、私たちは外にあるスクリーンで、
中の様子を見ることになりました。
u-streamの配信を断られるなど、ハプニングもありましたが、
何とか最後まで見ることができました。
http://www.ustream.tv/recorded/14781925
http://www.ustream.tv/recorded/14781817
個人的には、1〜4号機までメルトダウンしている可能性が高く、
汚染もチェルノブイリを上回ってしまった今の日本について、
もうどうしようもないような気持ちになっていたのですが、
ここに来ているママたちとお話ししたりなんかして、
元気を取り戻しました。
どんな状況でも、やることやるしかないもんね!
(トニーネ)